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名誉会長アルバム「対話の十字路」 第16回

2006年02月05日 | 「対話の十字路」

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 名誉会長アルバム「対話の十字路」 第16回
   カストロ議長──キューバ
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●理想と現実をつなぐのが政治

 重厚(じゅうこう)な扉から現れたカストロ国家評議会議長。
 188㌢の長身。力強い足音。五体から威風(いふう)を発し、周りの空気を震わせていた。
 目を見張るキューバの人。
 いつもの「軍服(ぐんぷく)」じゃない。スーツだ!
 国内の公式行事でのスーツ姿は、この時が「革命以来、初めて」だった。
 名誉会長は快活に語る。
 「背広姿が、よくお似合いですね」
 「いやぁ、いつもの服だと、平和のために戦っているということが、なかなか理解されませんので! 平和主義者を迎えるのにふさわしい服に着がえました」
 照れくさそうなカストロ議長。ネクタイは青地に白のストライプ(縞模様)。
 名誉会長は、さっとネクタイに手を伸ばすと、ユーモアをこめて。「文化大臣のほうが、ネクタイの選び方は、うまいかもしれませんね!」
 すかさず議長が反撃。「会長の通訳の服だってストライプ(縞模様)ですよ!」
 一瞬、たじろぐ通訳。訳す間もなく爆笑がはじける。
 まるで子どもに返ったかのように、はにかむ議長。
 「ネクタイのことは、よく知らないんです」
 「それでいいんです。人民のことを知っていることが偉大なんです」。まっすぐに議長を見る名誉会長。「戦い抜いて来られましたね」
 スペインから独立。そして革命。大国アメリカと対峙(たいじ)してきたキューバ。この時も、国際情勢は厳しかった。
 仏法者には反米(はんべい)も反キューバもない。お互いが「平和のため」という一点に立てば、対話の橋はかけられる。
 名誉会長は「行こう!」と決めた。まずSGI(創価学会インタナショナル)総会があるフロリダへ。そこにキューバから連絡が入った。
 「訪問を早められますか」
 その強い要望に応え、直ちに検討。アメリカからの直行便はない。入国ルートの変更を、どうするか――。
 苦慮していた時、キューバから異例の申し出があった。中継地のバハマ国(近くの島国)まで来ていただけませんか。そこに飛行機を差し向けます――。それは、国がもつソ連製の飛行機だった。
 キューバ訪問が実現した。
 首都ハバナに着いたのは、1996年6月24日の午後5時半すぎ。
 翌25日は朝から行事が目白押し。議長と会った時には、すでに午後7時半だった。
 大きなテーブルの別室へ。
 真剣勝負の1時間半。語らいは「後継者論」から「政治哲学」「世界観」へと。
 名誉会長は率直に。「目的は、民衆の幸福であり、食・衣・住という生活の向上です。その意味では、社会主義も手段です。滑走路のようなものではないでしょうか」
 さらに言った。
 「飛行機が飛び立ったあとは、思いもよらぬ現実があります。乱気流もある。それらに対処しながら、目的地まで、たどり着かなければなりません。知恵です。技術です。理想と現実を埋める技術こそ政治ではないでしょうか」
 ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来(しゅうおんらい)総理、アメリカのポーリング博士など、共通の友人も話題になった。
 そもそも名誉会長との会見は、議長が以前、西側の首脳から、名誉会長に会うべきだと勧められたことが、一つのきっかけだったという。
 名誉会長は言った。
 人民の支持があるかぎり、“キューバの父”ホセ・マルティの弟子として、一(いち)革命として、断じて戦い抜いていってください――。
 「友情に感謝します!」と語る議長。会見を終えた顔は紅潮(こうちょう)していた。
 そして、議長への創価大学名誉博士号の授与式へ。
 胸には創大バッジ。議長は「私の話は、長いことで有名ですが、今日は短くしたいと思います」と謝辞(しゃじ)に立った。
 数時間の演説はざらだという。意外なほどソフトな声。対照的な眼光(がんこう)の鋭さ。
 「池田会長、皆さまの訪問を誇りをもって受けとめます。文化交流、文化協力の拡大を望んでいます」
 約40分も熱弁。日本との新たな交流を呼びかけた。
 真心を尽くした歓迎だった。もっともっと語り合いたい――別れを惜しみ、わざわざ玄関まで見送りに出た議長であった。
 翌日、ハルト文化大臣が笑顔で語っていた。
 「きのうの晩、遅くに、カストロ議長から連絡があったんです。『池田会長の著作をもっていないか』と。それで私が宝物のように大事にしていた池田会長の本を、議長に差し上げたんです!」


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フィデル・カストロ

キューバ共和国国家評議会議長。1926年生まれ。ハバナ大学では学生運動の指導者。卒業後、弁護士に。59年、民衆の支持を受け、腐敗した独裁者政権を倒し、革命を成し遂げた。医療や教育を無料化。識字率はほぼ100%に。経済封鎖やソ連崩壊などの苦境を乗り越えてきた。キューバでは96年7~8月、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」を開催。名誉実行委員長として議長も鑑賞した。翌97年には日本で「キューバ国立美術館名作展」が開かれた。
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(2006.02.05 聖教新聞)