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名誉会長アルバム「対話の十字路」第31回

2006年06月08日 | 「対話の十字路」

2006.6.8SP
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 名誉会長アルバム「対話の十字路」第31回
   フアン・カルロス国王──スペイン
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〔不屈の「民主化王」を讃えて〕
 40台から50台はあろうか。報道陣のカメラが、鈴なりになっている。
 1998年2月11日。戸田第2代会長生誕の日。フィリピンはマニラホテルの一室。
 池田名誉会長があとで「きょうは撮れなかったろう?」と、本紙のカメラマンに、ねぎらいの声をかけた。
 人と会ったり、会合に出ている時、名誉会長は、瞬間瞬間、その場の全体の情景が頭に入っている。会場の隅のほうにいても、声をかけられた経験のある人は多い。
 その名誉会長にして、見慣れたカメラマンが発見できないほどの混雑ぶりだった。
 「リサール大十字勲章(くんしょう)」の叙勲式(じょくんしき)を前に、スペインのフアン・カルロス国王御夫妻が、リサール協会の代表から祝福を受けている。
 名誉会長は、協会の人々と同じ、フィリピン男性の正装「バロン・タガログ」を纏(まと)い、その輪の中にいた。協会のキアンバオ会長から、両陛下を迎えていただきたいと要請があったのである。
 名誉会長自身、同勲章の受章者であり、2日前に、ラモス大統領から直接、同協会第1号の「リサール国際平和賞」を受けたばかりだった。
 この年、フィリピンは独立100周年。国王に注目が集まったのは、もちろん「旧宗主国(きゅう・そうしゅこく)の元首(げんしゅ)」ゆえだが、国王自身の魅力によるところも大きかったに違いない。
 独裁者フランコ将軍の死後、一滴の血も流さず、3年でスペインを立憲(りっけん)君主制の民主国家へと変えた、立役者(たてやくしゃ)。
 様々な対立と分裂の火種を抱えていたスペインにあって、国王という柱なくして、この「奇跡」はなかったと、世界のだれもが認めている。
 「創価学会の池田です!」
 名誉会長は、そうあいさつすると、「民主化王」を讃える長編詩を手渡した。
 タイトルは「スペインの太陽 偉大なる平和の大王」。
 国王が受け取って感謝を述べると、隣のソフィア王妃(おうひ)も、にっこりと微笑んだ。
 じつは、出会いは、この3年前に実現するはずであった。国王御夫妻の住まいであるマドリードのサルスエラ宮殿への表敬が予定されていた。
 しかし、どうしてもヨーロッパ訪問そのものを見送らざるをえなくなったのである。
 思いがけないフィリピンでの出会い──。
 名誉会長自身はもちろん、それをことのほか喜んだ友がいた。ローマクラブ名誉会長のホフライトネル氏である。
 氏は、国王が20代のころから間近に接し、その民主化への決意を知っていた。68年に教育科学省次官に就任してのちは、教育改革全般について、進講(しんこう)する役目も担(にな)った。
 『見つめあう西と東』──名誉会長との対談集(第三文明社刊)では、一章を割(さ)いて国王について語り合った。
 「池田会長が国王陛下(へいか)と会われたことを、私も非常にうれしく思います。
 私が国王陛下とお会いした時も、陛下は池田会長との出会いを、本当に親しみを込めて語っておられました」
               ◇
 国王が、独裁体制の後継者となるべく、フランコ将軍の元へ送られたのは、わずか10歳の時である。
 徹底した監視。忍従(にんじゅう)と沈黙と用心の27年間。
 しかし国王は、独裁者の操(あやつ)り人形のごとく振る舞いながら、時を待ち時をつくった。深く静かに、信頼に足る人物を見定めた。「その時」を見越して、国外の王制に反対する勢力とさえ、密かに直接、間接の接触をもっていった。
 そして75年11月。即位するや、「いつも浮かぬ顔をした凡庸(ぼんよう)な青年」が「快活で毅然(きぜん)たる民主化の擁護者(ようごしゃ)」へ豹変(ひょうへん)した。能ある鷹(たか)は、鋭い爪を隠す必要はなくなった。
 目を見張る国民。
 「君たちの目的を達したいなら、私を撃ってからにせよ!」──国王が、軍の一部によるクーデターを断固としてはねのけた時(81年2月23日)、感嘆はさらに、尊敬へと変わった。
 そうした国王への敬意を、詩に託した名誉会長。
 しかし、再会の機会は、思いのほか早く訪れた。
 なんと2日後!
 香港(ホンコン)に向かう名誉会長と帰国する国王が、ニノイ・アキノ空港のVIPルームで“鉢合わせ”となったのである。
 国王は、シャツにネクタイというくつろいだ姿で、談笑している。
 フィリピンのシアゾン外相が名誉会長を案内する。
 「おお、あの時の!」と国王は相好(そうごう)を崩した。
 「今、こんな格好なので、背広を着てきます」
 「いいえ、どうぞ、そのままで。気さくで英邁(えいまい)なスペイン国王のご訪問を、フィリピンの各界の人々は、本当に喜んでおられました」
 「どうも、ありがとう」と日本語で返す国王。温かな雰囲気が広がった。
 やがて、国王は西のスペインへ。
 名誉会長は東の中国へ。
 笑顔で見つめあった二人は、待つ人々のいるそれぞれの場所へ飛び立っていった。


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フアン・カルロス1世国王
 1938年生まれ。48年、亡命中の父君のもとを離れ、独裁体制の後継者として教育を受けるため帰国。フランコ将軍は前年、スペインを、国王が空位のままの「王国」と宣言し、自らは終身国家元首(げんしゅ)に就いていた。75年、将軍が世を去り、37歳で即位すると、「静かなる革命」と呼ばれるスペインの民主化を主導し、国民的な人気と国際的な評価を不動のものとする。スポーツー家で、国王、王妃、フェリペ皇太子、クリスティーナ王女は、ヨットの五輪代表に。エレーナ王女も、乗馬の腕前は各種の大会に出場するほど。国王の98年のフィリピン訪問も、長野冬季五輪の開会式に出席したあとだった。
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(聖教新聞 2006.06.08)