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第2総東京最高協議会での名誉会長のスピーチ〔下〕

2006年06月09日 | スピーチ

2006.6.9SP
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 第2総東京最高協議会での名誉会長のスピーチ〔下〕
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◆◆◆ 女性よ輝け!《リーダーは婦人部女子部に賞讃を》
◆◆≪御聖訓≫ 妙法を持(たも)つ女性を四菩薩が護る
◆◆〔健康第一〕〔無事故第一〕〔和楽第一〕で


【名誉会長のスピーチ】
 一、未来は女性で決まる。
 一家の未来も、一国の未来も、そして、広宣流布の未来も女性で決まる。
 女性が生き生きと活躍し、幸福に輝いているところは発展する。
 学会は、女性を深く尊敬しながら、明るく伸び伸びと前進してまいりたい。
 ここ第2総東京は、女性のリーダーの活躍が素晴らしい。
 インドの大詩人タゴールは言った。
 「婦人は生来(せいらい)宗教的信仰心をもち、仮令(たとい)男子がそれを顧(かえり)みなくとも、絶えず男子に信仰を訴えるのであります」
 「婦人のこの絶えざる然(しか)も隠れた要求が男子の向上心に十分な力をあたえます」(北吉訳『古の道タゴール講演集』プラトン社。現代表記に改めた)
 男性を正しき信仰の道ヘリードしてくれる女性の力は、あまりにも大きい。ここに、平和への希望もある。
 透徹(とうてつ)した詩人の眼は、女性が持っている優れた「精神の力」に注がれていた。
 婦人部の結成55周年に当たり、重ねて敬意と感謝を表(ひょう)したい(大拍手)。
 とくに男性の幹部には、婦人部・女子部を、心からほめ讃えていくことをお願いしたい。
 「素晴らしいですね!」と賞讃する。「ありがとうございます!」と感謝していく。それがリーダーの役目である。
 かりにも女性を差別するようなことがあっては、絶対にならない。
 公正さがなければ、リーダー失格である。仏法の指導者は、公平にして公正でなければならない。

◆すべての女性の幸福を約束
 一、牧口先生の座右(ざゆう)の御書には、次の御聖訓(ごせいくん)の個所にも傍線が引かれていた。
 「この曼陀羅(まんだら)は、文字は五字七字であるけれども、三世の諸仏の御師(おんし)であり、一切の女人(にょにん)の成仏の印文(いんもん)である」(御書1305㌻、通解)
 この御本尊は、すべての女性の成仏を保証し、約束しているとの御断言である。
 さらに、大聖人は、こう仰せである。
 「この妙法の良薬を持(たも)つ女性等に上行(じょうぎょう)菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ち添(そ)って、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。
 たとえば、影と身(み)、水と魚、声と響き、月と光のように、女性の身を守って離れることがないのです」(同1306㌻、通解)
 広宣流布に生き抜く女性は、どんな時も、いついかなるところにいても、厳然と護りに護られる。これが、御本仏の絶対の御約束である。
 婦人部、女子部の皆さんが、一人ももれなく、最高の幸福に光り輝いていくこと自体が、御本尊の功力(くりき)の証明である。
 皆さんが、健康第一、無事故第一、和楽第一で前進していかれることを、私は祈りに祈っている。

◆感謝の心が人間を高める
 一、忘恩は傲慢(ごうまん)から生まれる。古今東西(ここんとうざい)、そうした例に事欠かない。
 イタリア・ルネサンスの大芸術家ミケランジェロと弟子について、次のような証言が残されている。
 「彼(=ミケランジェロ)は人に教えようとしなかったと、多くの人が非難しているが、これは本当ではない。
 進んで教えようとしたのだが、不運なことには、能力のない者か、能力はあっても辛抱力(しんぼうりょく)がなく、彼が教えて数か月もたたないうちに自分をひとかどの師匠と思いあがる者ばかりだった」(ロマン・ロラン著、高田博厚訳『ミケランジェロの生涯』岩波文庫)
 師匠からの厳しき訓練を受けてこそ、人間の土台ができるのだ。
 戸田先生の弟子として、すべてを捧げてお仕えし抜いた私には、それがよくわかる。
 師弟は、弟子で決まる。
 「師匠に一生懸命、お仕(つか)えしていこう!」──この一点に心を定めることだ。そうすれば、すべて良い方向に変わっていく。
 覚悟が定まらず、心が散り散りばらばらになっている人は、何をやってもうまくいかない。
 誠実な人かどうか。要領の人間かどうか。師匠は、弟子のことをすべてわかっている。
 師匠の薫陶(くんとう)に対して、感謝できない傲慢な愚か者は、自分で堕落していくのである。
 オランダの哲学者スピノザは言った。
 「忘恩は感謝の軽蔑である」(齋藤晌訳「神、人間及び人間の幸福に関する短論文」、『スピノザ全集第1巻』所収、内田老鶴圃刊)
 恩知らずは、「感謝」することを軽蔑している。
 人に感謝すると、自分の価値が下がってしまうかのように錯覚している。ここに大きな狂いがある。
 人間は感謝の心を持つことで、より高められ、より豊かに、より大きくなれるのだ。
 忘恩の輩には、それがわからない。心の奥底(おうてい)に傲慢(ごうまん)があるからだ。
 一、牧口先生とも親交のあった新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)博士が、「人から惜しまれる人」と「自分で自分を惜しむ人」の違いについて綴っている。
 「自分で自分を惜しむ人」とは、傲慢な人間のことといえる。
 新渡戸博士は、自(みずか)らの経験に基づきつつ、こう書いている。
 「少し役に立つ人と思うて育て上げると、直ちにつけあがって、自ら借み、却(かえ)って飼主(かいぬし)の手を噛む犬の如(ごと)き挙(きょ)をすることがよくある」(「世渡りの道」、『新渡戸稲造全集第8巻』所収、教文館。現代表記に改めた)
 新渡戸博士は、この一文の中で、水戸黄門《徳川光圀(とくがわみつくに)》の例をあげている。
 ──明君(めいくん)と謳(うた)われた水戸黄門には、幼いころからとくに目をかけ、育てた臣下(しんか)がいた。
 しかし、その男は感謝するどころか、その厚情(こうじょう)につけあがって、水戸家を奪い、水戸黄門を暗殺する陰謀(いんぼう)まで企(たくら)んだ。
 結局、陰謀は発覚し、水戸黄門は危険を免(まぬが)れ、忘恩の臣下は捕らえられた、というのである。
 新渡戸博士は、こう結論する。
 ── 明君・水戸黄門ですら、臣下の中から反逆者を出している。
 人を疑わない明君ゆえに、悪党に仇(あだ)で報いられることがあるのである。悪い奴が出たからといって、裏切られた側を非難することは間違っている、と。
 だからこそ、後世(こうせい)のために、正邪の決着をつけ、厳正に歴史に留め残していかねばならないのだ。

◆貧欲(どんよく)になると人を見くびる
 一、「傲慢」と「貪欲(どんよく)」は、深く結びついている。
 「貪欲になればなるほど、同じ仲間である人間をいよいよ平気で見くびるようになる」(馬場俊彦訳「人類の一体性と教育」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社)と、タゴールは喝破(かっぱ)している。
 さらにタゴールは、「協調の原理」の重要性を訴え、「それが欠けているところに、苦悩や、悪意や、虚偽や、蛮行(ばんこう)や、紛争が生じるのです」(森本達雄訳「協調」、『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)とも述べている。
 仏法に説かれた「異体同心」は、最高の協調の原理である。
 南米解放の先駆者ミランダは言った。
 「わが友よ、悪辣(あくらつ)な輩(やから)の中傷や妄想に振り回されてはならない」
 私たちもまた、悪意のデマなどに紛動されてはならない。
 卑劣な中傷は強く打ち砕き、金剛不壊(こんごうふえ)の団結で、広宣流布に邁進(まいしん)してまいりたい。
 戸田先生は、外の敵より内部の敵を警戒しておられた。
 「破れるのは学会の内部からである。気をつけよ!」
 「今後の学会は、くさった幹部を切らねばならない」
 先生の叫びは、今も私の耳朶(じだ)に残っている。
 広宣流布は、仏と魔の戦いである。戸田先生の叫びには、「断じて学会を守る」「民衆を守る」との一念が凝結(ぎょうけつ)していた。
 「人事と金銭は、絶対に正確にして、問題を起こしてはならない」
 これも、戸田先生の厳命であった。
 イギリスのシェークスピアの戯曲(ぎきょく)に、次の有名な一節がある。
 「金は借りてもいかんが貸してもいかん。貸せば金はもとより友人まで失うことになり、借りれば倹約する心がにぶるというものだ」(小田島雄志訳「ハムレット」、『シェイクスピア全集1』所収、白水社)
 小事(しょうじ)が大事である。私どもは、戸田先生の遺言(ゆいごん)を厳守(げんしゅ)して、清らかな学会の組織を、永遠に守り抜いてまいりたい。


◆≪天文学者 モウラン博士≫
── 人生は障害レースです
── 逃げずに困難と闘うのです
── それが幸福の方程式です


◆幸福の哲学を未来部の友へ
 一、現在、私は、ブラジルを代表する著名な天文学者であるロナウド・モウラン博士と「天文学と仏法」をめぐる対話を進めている。
 モウラン博士は、「教育の目的は子どもの幸福である」という牧口先生の信念に心から賛同されていた。
 そして、こう語っておられた。
 「幸福は、いろいろな障害を乗り越えることと結びついています。困難が大きければ大きいほど、それを乗り越えたときの幸せは大きいという考え方を、子どもに教える必要があります。
 人生は障害レースです。それを乗り越えることが、幸福を見つけることです。
 そのためには、逃げずに、その困難と戦う必要があります。それが、幸福の方程式です」
 きょう(6月4日)は、今月の「未来部の日」である。
 何ものにも負けない、勝利の力──それが信心である。この幸福の大哲学を、わが未来部の友に、一段と強く伝えてまいりたい。
 なお、全国各地の尊き21世紀使命会、壮年・婦人部の未来部育成部長、学生部の進学推進部のメンバーをはじめ、未来部の成長のために尽力してくださっているすべての方々に、この席をお借りして、心から御礼申し上げたい(大拍手)。

◆生命は宇宙で最も大切な宝
 一、モウラン博士の宇宙論は、まことに味わい深い。
 わかりやすく、こうも語っておられた。
 「夜空に輝くあの光の点、つまり星は宇宙の坩堝(るつぼ)で、そこでは生命の原材料が常に作られています」
 「一つの星がその一生を終えて爆発するとき、その星は、新しく恒星(こうせい)や惑星や生物を生み出す要素を宇宙に流し込みます」
 「星の一生の終わりが、新たな生をもたらすのです。
 生命こそ、全宇宙の中で最も大切な宝です。何と素晴らしいことでしょう。宇宙のように、私たちの生命も永遠であり、始まりもなく、終わりもないのです」と。
 「生死不二(しょうじふに)」は、宇宙の大法則である。
 妙法とともに生き抜く人生は、この大宇宙の根本のリズムに合致していく。「生も歓喜」「死も歓喜」という大境涯を開いていけるのである。
 さらに、モウラン博士は、「宇宙は常に生命を創っています。宇宙は生命の永遠の宝庫です」と語られていた。
 そして、「南無妙法蓮華経の音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じます」とも感嘆しておられた。
 題目の力は、計り知れない。
 妙法の音律を朗々と唱え響かせながら、大宇宙をも包みゆくような大生命力をわきいだしてまいりたい。


◆◆ 不惜身命が仏法の魂

◆トインビー博士の要請で実現
 一、イギリスの歴史家トインビー博士は、「文明の解体」を分析する壮大な試みのなかで、“成長期の社会は「攻勢(こうせ)」を取っている。解体期の社会は「守勢(しゅせい)」を取っている”と述べている。
 〈『歴史の研究第12巻』から〉
 このトインビー博士が、創価学会の旭日(きょくじつ)の勢いに、21世紀の大きな希望を見いだしてくださっていた。
 思えば、若い私に“直接、会って語り合いたい”“われわれ二人で、人類の直面する諸問題について対談をしたい”とのお手紙をくださったのは、博士のほうであった。世界的に声望(せいぼう)の高い大学者である。対談は、未来のために深い価値のあるものとなった。
 〈1972年と73年の5月、のべ40時間に及んだ。その内容は対談集『21世紀への対話』として結実。世界26言語で出版されている〉
 博士は、私にこう言われた。
 「あなたは、将来、必ず、世界中の大学から名誉博士の栄誉を受けられるでしょう」と。
 その言葉が今、現実となっていることは、皆さまがご存じの通りである。
 すべては、「旭日の勢い」で進む全世界の会員の皆さまを代表してお受けしたものである(大拍手)。
 〈6日に授与された米・南イリノイ大学力ーボンデール校「名誉人文学(じんぶんがく)博士号」で、名誉会長への名誉学術称号は194となった〉

◆一歩また一歩朗らかに進め
 一、木々の青葉が美しい。俳句の季語では「青梅雨(あおつゆ)」とも言われる季節を迎える。どうか、くれぐれも健康に留意(りゅうい)していただきたい。
 南無妙法蓮華経の「経」とは、人間の体では「足」に配される。
 〈御義口伝に、「我等が頭(こうべ)は妙なり喉(のど)は法なり胸は蓮なり胎(はら)は華なり足は経なり」(御書716㌻)と〉
 仏法では「経行(きょうぎょう)」という歩く修行がある。これは一種の運動法でもあった。
 自分自身の「健康」の前進のため、「境涯(きょうがい)」の前進のため、「長寿」の前進のため、そして「広宣流布の勝利と栄光」の前進のため、生き生きと朗らかに、一歩また一歩、足を運びゆくことを決意し合ってまいりたい。
 一、最後に御書を拝したい。
 日蓮大聖人が、佐渡流罪(さどるざい)という大難(だいなん)の渦中(かちゅう)で著(あらわ)された「佐渡御書」である。
 「身命にまさるほど惜しいものはないので、この身を布施として仏法を学べば、必ず仏になるのである」(956㌻、通解)
 「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」こそ、仏法の魂である。
 そして、大聖人の御遺命(ごゆいめい)である広宣流布のために、不惜身命の闘争をしてきたのは、だれか。
 それは創価の三代の師弟であり、その精神に連なる、わが学会の尊き同志の皆さま方であると強く申し上げて、私の記念のスピーチとしたい。
 ありがとう!(大拍手)
 (2006・6・4)

(聖教新聞 2006.06.09)