過去の日記を読み返す機会があり、思う事が色々ありました。
画像つきで振り返ってみようと思います。
人様に見せるつもりのない子供の日記という事で平仮名だらけ誤字脱字、字が汚い(今もですが💦笑)のはご了承を‥。
とにかくこの病気の辛さがよく表現されてるな、と我ながら思いました。
99/12/21

発症して1年未満(99年3月発症)の頃はどうやら
現在のように離人感が強い状態で固定されておらず、まだらというか強弱の幅があったよう。とまどいが感じられる。
00/1/4
とにかく離人症という病気の存在そのものを知らないし、病院二ヶ所で訴えていたにも関わらず思春期の不安定程度の対応しかされなかったので、本当に辛かった。
00/1/14
病院に行った日でこれ‥。
早く離人症って教えてくれたら多少楽になれたのになと今でもこの時期の辛さを思うと泣けてくる。
00/1/28
病院で改めて訴え直して分かった。
ようやく、これは気の持ちようなんかではない、れっきとした病気なんだ!
と判明してすっきり?というか何というか‥(語彙力のなさ)。
と同時に早く言ってくれればこの10か月苦しまなくて済んだのに‥とも思った。
けれど、判明した所でこれといった治療という治療はなされなかった。なんか、粉薬は出ていたけれどどういった処方だったのか今や分からず‥。(それってけっこう怖い事かも)
当時はネットも普及してなくて、本で調べるにも限界があり。
有名な大学病院に通院していたし、セカンドオピニオンなんていう概念も普及していなかったから、
他に病院を探す発想が浮かばなかった。
(後々、色々病院やクリニックジプシーしたけれども。結局離人に詳しい先生って中々いないんですよね。だから当時他に探しても見つからなかったかも。)
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離人症になる前、元々絵は好きだったけれど自己流で水彩画を描き始めた。
これは多分小6位。
発症直前くらいの絵。
これはもうbefore→afterみたいだ。
画風に変化は現れていないけれど、左が発症10日前位、右は発症して10日後位の絵のよう。
この頃はもう恐らく症状固定。
上はけっこうな大作なのでした。
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自然や民族が好きだった私。
離人になって、以前のような美や感動を心の底からリアルに感じられなくなった事が残念というか‥受け入れ難かったというか(またしても語彙力)。
この頃は絵を含めこれまで好きだったり興味があった物事に対して、
また親や幼い頃からいつも一緒の大好きなぬいぐるみに対する愛着に関して、
発症前の感覚に戻りたい、好きじゃなくなった訳じゃないよねと否定したい気持ち、不安、とまどいを度々日記に書いている。
私は多分、離人じゃなかったら美大を目指していたと思う。
離人になって“心の底から描きたい”という情熱が湧かなくなった事がずっとコンプレックスだった。
高校時代、情熱をもって美大を目指していた友人が羨ましかった。
大人になってからもそう。
人に頼まれたり、自分からプレゼントしたりもして、絵が好きで熱がある人と思われていたけれど、
自然と湧き上がるものなどはなかったんだ。。
だからそんなイメージを持たれると辛かった。
本当は大して感じてなんかないんだよって。
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そして自然に対して、
リアルに体感できない苦しさは20年間ずっと毎日感じています。
満開の桜の花も、新緑の時期の暖かさも、夏の匂いや青い海も、紅葉も、雪も‥
美しい心地良い自然を前にする時、いつもいつも写真の景色を見てきれいと感じてるだけのような感覚で、その場にいるのに体感できてない事が悲しい。
でもその悲しみにさえ実感がないんだ‥。
いたたまれない。
今年の春の写真。
これ撮った時も辛くなった。
全くリアルに感じてなくて。
治った状態で見たい、感じたいって。
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祖母が病気の時の日記もでてきた。
この20年、
祖母、塾の先生、職場のオーナー‥
大切な人が亡くなった時もリアル感に欠けていて
それが辛かった。
悲しかったし泣いたけど、もっと心の底から泣いてちゃんと悲しみたかった。
自分に“感じてるはずだ、感じてるはずだ、”と暗示をかけて泣いていた気がする。
そんなの嫌だった。
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美しい事ばかりじゃない、辛い事もリアルに感じさせて下さい。
早く治りたい。
20年前からずっとそう思って、助けて助けてって願って、
治療含め出来る行動は最初からしてきた。
なんでこんな病気あるの。
もう解放して欲しい。
誰だってそうだ。
こんな症状、一日だって辛いもの。
この病気に苦しむ人が早く救われ、報われて欲しい。
meiko