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いっぽずつ。~慢性離人性障害と生きる~

心理士とともに、慢性的な離人性障害の自助グループ設立を目指すブログです。※2014/5/5~公開しました

幸せだけど実感がない辛さ

2022-08-28 | 離人日記
結婚して一年以上、よくこんなに気が合う人と一緒になれたなぁと感謝の日々。
お陰様で楽しく過ごせてます。

でも、
美味しいもの食べたり綺麗な景色を見ても実感が湧かない。
沢山手も繋ぎますが、これも現実感がなくて悲しい。

今日も久々に海を見に行って足をつけたりして、気持ち良かった。
でも、離人症になる前の感覚ではない。
海風や波の音、照りつける太陽の暑さ、水の冷たさ、足裏の砂の感触‥
これら全て〝分かる〟けれど現実に体感してる感覚に乏しい。
離人症になる前、海好きだったんだけどなぁ‥。大事な人と一緒に過ごせてエモいはずなのに。

旦那が見たがってる花火。
近いうちに見れた時、嬉しい反面やっぱり現実感なくて悲しくなるんだろうなとも思う。

高校時代や独身時代に見に行った花火大会‥。
離人前だったら本当に感動してテンション上がってたのに、目の前の光景がまるでTV放映のどこかの花火大会を見ているみたいで。
でも周りに合わせて〝わ〜綺麗ー!〟と盛り上がって見せたりして‥
そうすればする程、離人症が私から奪ったものの大きさ・以前との落差を突きつけられる感じがして虚しかった。

離人症は医者から〝生活上困る事はないでしょ〟と軽く見られがちだけど、生きる上で大事な感覚を奪われてるよね。
もうね、生きるモチベーションが上がらないよ。
(そんな中、なんとか生きてる皆も私もすごい。)

いい加減、リアルに体感させてくれ。
一緒に見るもの食べるもの、旦那の〝生〟そのものも。
もし子供を授かっても体感できないの?大事な人の死に目でも?

20年以上‥あまりに長すぎて、
辛くて耐えられない気持ちさえ通り過ぎてしまったよ。



meiko

………
※返信には、
管理人の仕事や健康の状況、
心理士との連絡の都合(返信にあたり、ダブルチェックする場合もあります)により、お時間を頂く事がございます。
予めご了承ください



近況

2022-01-15 | 離人日記
またまたご無沙汰しております。
まだ見て下さってる方はいらっしゃるかな?

明けましておめでとうございます🌅

2021年、コロナにオリンピックにと色々ありましたが、私個人にも大きな出来事がありました。


実は‥結婚しました👰


これまでずっと離人症なんて得体の知れない(一般の方からしたら)病気を抱えていて、更に中々正社員の仕事に就けず障害年金受給しているフリーターな私なんて受け入れてくれる人がいるんだろうか‥
と本当に自信がなく八方塞がりで鬱状態でした。

ですが三年前にツテで社員として就職してから、思い切って婚活にチャレンジしてみる事にしました。

色んな人に会いました。
色んな人がいました。
失礼な人も。。
でも自分で思っている程、この病気が人から受け入れられないという訳でもありませんでした。

むしろ病気を受け入れてくれるか否かよりも、通常の婚活と同じく金銭感覚や人間性など中身の相性に重きを置くべきだなという事が分かりました。

そうして離人云々より相性にフォーカスして婚活を続けて‥
中々成果が出ないなと諦めかけた頃に主人と出会いました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

とても気が合い優しくて楽しくて。
ただ、不登校に離人に色々あった私に対して彼は友達も多く部活も運動系で‥

時々、自分に自信がなくなりました。

不登校などは小出しに打ち明けていきましたが‥
ただ〝将来を見据えて〟付き合い始めたので、プロポーズ前には年金の事や離人の事、言いづらい事をきちんとカミングアウトしておかなくてはと。

私は彼と結婚したい。
信頼関係を築いた上で打ち明けるなら大丈夫と思いたい。
でも、引かれてしまったら‥と本当に不安でした。
離人症の事を打ち明け済みの既婚の友達に相談して勇気を貰ったりもしました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

そして‥
そろそろプロポーズが近そうというある日、まず初めは障害年金の事を伝えました。
障害年金を受給する=やばいレベルなのではと引かれるのが不安でしたが、
人の悪口言いふらしたり殺人したとかじゃない限り嫌いにならないし引かないよ。〟と、
むしろ〝勇気がいる事なのにちゃんと言って偉い〟と褒められました😭
良かった‥。


そして後日、離人症の事を伝えました。
解離性うんぬん〜より、〝どういう症状に困っているか〟という部分を軸に伝えました。
どういう反応かは緊張の為か忘れてしまいましたが、引かれるという事もなかったです。
(ただ‥大袈裟に受け取られたり、見る目が変わられたら怖いという気持ちも大きく、緊張もしていたしどこまで上手く伝えられたかは謎です。
また、〝ネットで離人症を検索すると誤解されるような表現も多いので心配だ〟とも言いました。
そうしたら〝ネットは見ないようにする〟との事で、彼の中の離人の知識は私の伝えた情報だけなんですね。
それが良いかどうかも分かりません‥。)

そして、その上で指輪のサイズを聞かれてプロポーズを受けました。

私の中の大難関をクリアする事が出来、安堵しました🌱

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 

コロナ禍なので披露宴はなくささやかなものでしたが、延期も免れ何とか結婚式も出来ました。

世の女性にとっては最高に幸せな瞬間?かも知れませんが、
タイムスケジュールやらバタバタなのと、やはり離人感は相変わらずで‥衣装を着て式をしている実感や感慨がいまいち湧かないまま過ぎてしまいました💦

ただ、私は自分の為というより花嫁姿を楽しみにしてきた親の為に式を〜という意識が強かったので、親が喜んでくれたのが本当良かったです。
ただ同じく楽しみにしてきた施設の祖母はコロナ禍で外出は勿論、オンラインで繋がる事も叶わずでした‥😢

そしてこの状況で招待は迷惑かと思っていた友人、知人もほぼ参列してくれ、皆親族ばりに喜んでくれて。
〝お金をかけたどの豪華な式よりも感動した😭〟と言ってくれました。

また参列出来なかった遠方の親戚、友人からも手紙やお祝いが届き、暗いニュースが多い中嬉しい・暖かい気持ちになれたと‥😢

自分で思っている以上に周囲の人が結婚を喜んでくれて、驚き、有り難さが身に染みました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 

私は人生の大事なライフイベントを離人じゃない状態で経験したいと思ってきました。
結婚式もその一つ。

でも今回はコロナもあり、〝実感がないまま大事な日を迎えるのが辛い〟と感傷的になってる場合ではなく⚡️
日々陽性者数と睨めっこし、延期にハラハラし、罹患しないよう対策し‥ある種戦いでした。
なので無事に安全に式が出来て安心した、ほっとした。それしかなかったです😅

それはそれでかえって良かったのかも知れません。


でも、やっぱり本音の本音はもう少しリアルに体感したかったです。
仮に今後子供を産むとなったとしても、離人のまま迎える気がする。(痛みや不安は多少カバーされるのかなぁ。メリットといえばそこだけだな。。)

ただ、大事な人の死に目だけは離人がない状態で迎えたいです。
そんな時まで現実感ないなんて辛すぎます。

今年、離人も23年目に入ります。
13歳だったのにね。


meiko

………
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お久しぶりです

2020-10-21 | 離人日記
お久しぶりです。
まだ見てくださってる方いらっしゃるかしら…?

離人症も21年目を過ぎ、一人暮らしして仕事して、日々目まぐるしく過ごしています。

goo blogがリニューアルして本っっ当に使いづらい!涙
シンプルさで選んでいたのに、なんなんだこれは…😭
これが更新を鈍らせておりました…。

ただ更新していない間も寄せて下さったコメント等は目を通し、返信させて頂いておりました。
なのでログインはしていましたよー!


それにしても、前回の更新からコロナで世界を取り巻く環境が大きく変わってしまいましたね。

ある意味で非日常的な状況でもあるなぁと思っていた所、精神科医の斎藤環さんがこのような発信をしておられました。


時間意識の変化に関しては、私は当初、自分だけの感覚なのかと思い、備忘録として書いてみたのですが、驚くほど反響があり、多くの人が感じていることなのだと実感しました。

実はこのような現象は、精神医学の教科書に書いていませんし、哲学書でも読んだことがない。閉鎖空間で過ごすと体内時計が狂うという実験はありますが、それとも違い、今が何時だとか、今日が何曜日かというのはわかるけれど、過去の記憶が曖昧になるというか、3月から5月にかけての記憶の前後関係がどうもあやふやなんです。ダイヤモンドプリンセス号のこととか、アベノマスクのこととか、いろいろなことがありましたが、その遠近感が掴めない。

おそらくこの感覚は、連続性の欠如ーー同じような日々が続く中で、一昨日はこれをして、昨日はこれをした、という感覚が曖昧になったことでもたらされた症状ではないかと。そして、この感覚は心理学でいうところの離人感にも似たものではないかと考えています。

かつて、精神科医の木村敏さんは離人症になると時間の感覚が狂うと仰っていましたが、私は逆に、時間の感覚が乱されると離人感が起こるという回路もあるのだと気づきました。


続き&引用元

https://news.yahoo.co.jp/articles/1022c1656eeac85e32aebd62ab25eb0999b78b47



なるほど。
時間感覚以外にもコロナによる非日常的な状況が続けば、またストレスなんかでも一過性の離人感や離人に似た感覚を感じてしまう人はいそうな気がします。


なんであれ私は感染症という予想だにしていなかった危機を前に
〝大切な人が感染しなけりゃ何でもいい〟という究極の心理に行き着いてしまいました。

感染した患者さんを家族は直接看取れないまま…という悲劇。
他人ながら本当に苦しくて悲しくて…。

勿論、離人も治りたい訳ですけども。
コロナの収束も強く願っています。


meiko

………
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振り返り

2019-05-02 | 離人日記
過去の日記を読み返す機会があり、思う事が色々ありました。
画像つきで振り返ってみようと思います。

人様に見せるつもりのない子供の日記という事で平仮名だらけ誤字脱字、字が汚い(今もですが💦笑)のはご了承を‥。

とにかくこの病気の辛さがよく表現されてるな、と我ながら思いました。


99/12/21






発症して1年未満(99年3月発症)の頃はどうやら
現在のように離人感が強い状態で固定されておらず、まだらというか強弱の幅があったよう。とまどいが感じられる。


00/1/4











とにかく離人症という病気の存在そのものを知らないし、病院二ヶ所で訴えていたにも関わらず思春期の不安定程度の対応しかされなかったので、本当に辛かった。


00/1/14



病院に行った日でこれ‥。
早く離人症って教えてくれたら多少楽になれたのになと今でもこの時期の辛さを思うと泣けてくる。

00/1/28


病院で改めて訴え直して分かった。
ようやく、これは気の持ちようなんかではない、れっきとした病気なんだ!
と判明してすっきり?というか何というか‥(語彙力のなさ)。
と同時に早く言ってくれればこの10か月苦しまなくて済んだのに‥とも思った。

けれど、判明した所でこれといった治療という治療はなされなかった。なんか、粉薬は出ていたけれどどういった処方だったのか今や分からず‥。(それってけっこう怖い事かも)

当時はネットも普及してなくて、本で調べるにも限界があり。
有名な大学病院に通院していたし、セカンドオピニオンなんていう概念も普及していなかったから、
他に病院を探す発想が浮かばなかった。
(後々、色々病院やクリニックジプシーしたけれども。結局離人に詳しい先生って中々いないんですよね。だから当時他に探しても見つからなかったかも。)


〜〜〜〜



離人症になる前、元々絵は好きだったけれど自己流で水彩画を描き始めた。
これは多分小6位。



発症直前くらいの絵。




これはもうbefore→afterみたいだ。
画風に変化は現れていないけれど、左が発症10日前位、右は発症して10日後位の絵のよう。





この頃はもう恐らく症状固定。
上はけっこうな大作なのでした。

〜〜〜〜

自然や民族が好きだった私。

離人になって、以前のような美や感動を心の底からリアルに感じられなくなった事が残念というか‥受け入れ難かったというか(またしても語彙力)。

この頃は絵を含めこれまで好きだったり興味があった物事に対して、
また親や幼い頃からいつも一緒の大好きなぬいぐるみに対する愛着に関して、
発症前の感覚に戻りたい、好きじゃなくなった訳じゃないよねと否定したい気持ち、不安、とまどいを度々日記に書いている。


私は多分、離人じゃなかったら美大を目指していたと思う。
離人になって“心の底から描きたい”という情熱が湧かなくなった事がずっとコンプレックスだった。
高校時代、情熱をもって美大を目指していた友人が羨ましかった。


大人になってからもそう。
人に頼まれたり、自分からプレゼントしたりもして、絵が好きで熱がある人と思われていたけれど、
自然と湧き上がるものなどはなかったんだ。。
だからそんなイメージを持たれると辛かった。
本当は大して感じてなんかないんだよって。


〜〜〜〜

そして自然に対して、
リアルに体感できない苦しさは20年間ずっと毎日感じています。

満開の桜の花も、新緑の時期の暖かさも、夏の匂いや青い海も、紅葉も、雪も‥
美しい心地良い自然を前にする時、いつもいつも写真の景色を見てきれいと感じてるだけのような感覚で、その場にいるのに体感できてない事が悲しい。
でもその悲しみにさえ実感がないんだ‥。
いたたまれない。







今年の春の写真。
これ撮った時も辛くなった。
全くリアルに感じてなくて。
治った状態で見たい、感じたいって。


〜〜〜〜

祖母が病気の時の日記もでてきた。

この20年、
祖母、塾の先生、職場のオーナー‥
大切な人が亡くなった時もリアル感に欠けていて
それが辛かった。
悲しかったし泣いたけど、もっと心の底から泣いてちゃんと悲しみたかった。
自分に“感じてるはずだ、感じてるはずだ、”と暗示をかけて泣いていた気がする。
そんなの嫌だった。

〜〜〜〜

美しい事ばかりじゃない、辛い事もリアルに感じさせて下さい。

早く治りたい。
20年前からずっとそう思って、助けて助けてって願って、
治療含め出来る行動は最初からしてきた。

なんでこんな病気あるの。
もう解放して欲しい。


誰だってそうだ。
こんな症状、一日だって辛いもの。


この病気に苦しむ人が早く救われ、報われて欲しい。


meiko



平成が終わる

2019-04-30 | 離人日記
平成11年3月に離人症になった。

まさか離人が治らないまま、元号が変わるなんて‥。

TVで平成30年間を振り返っていて
どれもこれも記憶にあるけれど、感慨を持って懐かしいとしみじみ出来るのは平成11年3月以前のニュースな気がする。



おととい、同年代の異性に凄く嫌な事を言われた。
“もう(飲み会なんかで)昭和はモテないよ、主流は平成だよ”
“30歳過ぎたら健康な子供を産めないリスクが上がるんだから自覚してパートナー探ししろ”
“その年で結婚できてないって何か訳ありと思われてるよ”
みたいなね。

その時は笑いながら反論してたけど、思いのほか傷は深く、(二項目なんて女性全般、病気のお子さんに失礼な話)
昨日は涙が止まらなかった。



13歳から離人で、生きてる実感も時を重ねてる感覚も得られず生きてきた。

当時から、感覚がないまま年を取っていく事が辛かった。
高校生の時も、花の女子高生(って感じですよね。日本って。)を全然体感できず、教室の空気とか制服着てる感覚とか感じられないまま卒業するのが嫌だった。

子供時代を体感しきれず、身体も数字上も大人に近づいていくのが辛かった。

18歳が1つの限界だった。
20歳は完全に限界だった。

ローティーンだったのが実感がない状態で成人を迎えるなんて受け入れ難かった。

何とか20歳までに治さなければ、加齢によって変わっていく容姿も社会的に成人という立場で過ごす事も、どんどん体感と現実とのギャップが開いて行き耐えられなくなってしまう。

だから治そうと動いた。専門家を頼り、薬を飲んでボロボロになった。
色々な専門家に嫌な事を言われて、その都度沢山傷ついたり落胆した。

それでも離人は治らないし、無情に時は流れていく‥。


加齢の現実はいつも常に辛くって、
二十代後半はもう発狂しそうだった。
10代も20代も経験した感覚がないまま、30代に突入する現実、事実がとても耐えられなかった。

女性として若く美しい時代を体験できない事が辛くて辛くて、
死にたくてたまらなかった。
叫んで狂ったように泣いた。

もちろん死ぬことは出来ないし完全に狂う事も出来なかった。
そのまま30代に突入してしまった。


年齢より若く見られる事だけが心の支えだったけど、それも辛くなってきた。
おしゃれも好きだし、身ぎれいにしているつもりだけど、
加齢の実感がないまま見た目が老けていくのが辛い。


あと以前は離人のまま大事なライフイベント(結婚、出産)を迎えたくないなんて思っていたけど、
今はそんな事も言っていられず。

もう落ちつきたい‥。
親を安心させたい。
でも出会いを探して行動しても中々良い出会いがなく。


同い年の友達がどんどん結婚して出産して、立派なお母さんになってる。
それだけの時が過ぎて、そんな年齢なんだよって事実を突きつけられる。
友達はみんな私にとって失われた20年間をしっかり生きている。


独身を謳歌してるんじゃないよ。
体感がなく若い時代が過ぎていくばかりで辛いだけなんだよ。


でも周囲の人はそんな事知らないわけだし、
いつも明るくしてるから
言いたい事言うよね。



令和こそは治したい。
実感がほしい。
容姿も現実も何もかもリアルに体感したい。

でも治るの間に合わなくて良いから結婚して子供産んで親を安心させたいし、自分の家庭が欲しい。

親を看取る前には何が何でも治したい。
そんな時ですら離人で実感がないだなんで、
絶対に絶対に嫌だ。



‥と、平成最後のグチでした(お目汚し失礼💧)