ジブリの新作、宮崎吾朗監督の「コクリコ坂から」が素晴らしい。
前作「ゲド戦記」で散々の評価しか獲得できなかった宮崎吾朗監督の面目躍如の1作と言ってよい。とにかく、途方もなく細部に充たされた映画なのである。
1960年台の横浜の町の詳細な描写のみならず、作品の舞台となるカルチェラタンという建物の内部の描写がさまざまな細部に満ち溢れていて誠によろしい。
学園紛争華やかなりし60年代。
みんな貧乏で物質的には全然満たされていなくても、希望だけがあった時代。
社会変革を信じて学園闘争に身を投じ、一端の活動家気取りで大人相手に小難しい言葉で大演説を打つ主人公の高校生たち。
彼らには、初々しさを感かんじることはあっても小憎らしさを感じることがこれっぽっちもない。
宮崎駿は書いている。
「『コクリコ坂から』は(1980年当時に)映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園紛争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代遅れの感が強かった」
しかし「今は違う。学園紛争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる」と。
なるほど。宮崎駿の言う通り、この映画をみる者は、実際に学園紛争の時代をリアルタイムで生きた記憶の有無にかかわらず、ある種、強烈なノスタルジーに囚われずにはいられないのである。
「自分は幸せだ」と回答する国民の割合が世界の中でも飛びぬけて低い我が国において、“貧しいけれども希望だけがある”世界と“何でもあるが希望だけがない”世界との間に横たわる千里の逕庭を、僕たちはどうやって埋めてゆけばよいのだろうか。
前作「ゲド戦記」で散々の評価しか獲得できなかった宮崎吾朗監督の面目躍如の1作と言ってよい。とにかく、途方もなく細部に充たされた映画なのである。
1960年台の横浜の町の詳細な描写のみならず、作品の舞台となるカルチェラタンという建物の内部の描写がさまざまな細部に満ち溢れていて誠によろしい。
学園紛争華やかなりし60年代。
みんな貧乏で物質的には全然満たされていなくても、希望だけがあった時代。
社会変革を信じて学園闘争に身を投じ、一端の活動家気取りで大人相手に小難しい言葉で大演説を打つ主人公の高校生たち。
彼らには、初々しさを感かんじることはあっても小憎らしさを感じることがこれっぽっちもない。
宮崎駿は書いている。
「『コクリコ坂から』は(1980年当時に)映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園紛争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代遅れの感が強かった」
しかし「今は違う。学園紛争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる」と。
なるほど。宮崎駿の言う通り、この映画をみる者は、実際に学園紛争の時代をリアルタイムで生きた記憶の有無にかかわらず、ある種、強烈なノスタルジーに囚われずにはいられないのである。
「自分は幸せだ」と回答する国民の割合が世界の中でも飛びぬけて低い我が国において、“貧しいけれども希望だけがある”世界と“何でもあるが希望だけがない”世界との間に横たわる千里の逕庭を、僕たちはどうやって埋めてゆけばよいのだろうか。
ゲドは絵もゆがんでたし、ひどかった。。
年甲斐もなく泣いちゃいました。
しかし、ネット上での評判をみると意外にも
「こんなくだらない映画見て損した」とか「ジブリ史上最悪の出来」なんていうコメントもあって、この映画に共感できない人(多分すごく若い人?)もそれなりにいるんだなーってちょっとびっくりした。