先週、フェローたちに誘われてとうとうスターウォーズエピソード3を観た。
前回のエントリーでも書いたが、ダースベーダーのテーマが頭から離れず、皆居ても立ってもいられなくなったようだ。(何を隠そう僕もその一人なのだが・・)
月曜日、仕事を早めに切り上げ映画館へ。
8時半からの上映にぎりぎり間に合い、急いで会場へ駆け込んだ。
観客は我々をいれて20人ぐらいしかいなかった。
さすがに、月曜のこの時間から映画館に足を運ぶような暇な人間はそうはいないらしい。
我々は中程の列の中央の席に座った。
目の前の家族連れがバリバリと、ものすごい音を立ててポップコーンを頬張っていた。
まるでセサミ・ストリートのクッキーモンスターのようだ。
昔なら、こういう人たちを見ると殺意に似た感覚を覚えたものだが最近はあまり気にならなくなった。
ふと横を見ると、他のフェローたちもナチョスをパクついているではないか。。。
ご親切に「おまえもどうだ?」と勧めてくれたので、結局僕もディップがたっぷりついたナチョスを何枚か口の中に放り込んだ。
一通りの予告編が終り、スクリーンが横に少し広がった。
いわゆるシネスコサイズというやつである。本編が始まる合図だ。
心地よい緊張感が走った。
スターウォーズを観るときはいつもオープニングが一番緊張するのだ。
スターウォーズのオープニングは1975年のエピソード4以来ずっと変わっていない。
20世紀フォックスの大きなロゴとともに聴覚えのあるあのファンファーレが流れ、
それに続き“A long, long time ago. In a galaxy far, far away”というおなじみの文句が静かに挿入される。
そして半ば唐突にオープニングテーマは始まった。
「きたー!!」
一瞬、全身にゾクゾクっという武者震いに似た感覚が走った。
そしてそれと同時に、あの記念碑的第一作目(エピソード4)をいまは亡き祖母に手を引かれて観にいったはるか30年前の記憶が鮮明によみがえってきた。
当時、僕はまだ小学2年生だった。
祖母は、金沢駅の近郊にあった“ロキシー”という映画館に姉と僕を連れて行った。会場はすでに満員であったが、祖母は混雑する会場の中からどうにか後ろのほうの隅っこの席を二つ見つけて姉と僕を座らせた。心優しい姉が「おばあちゃん座っていいよ」と席を立とうとしたが祖母はけっして座ろうとはしなかった。結局そのまま祖母は映画が終わるまで約2時間もの間、私達の傍らにずっーと立っていた。祖母はその半年後に他界したが、未だにあの時のことを思い出すと後ろめたい気持ちになる。
このように、僕の脳裏には、スターウォーズエピソード4の強烈な印象とともに、死の数ヶ月前の祖母の記憶や、今ではすっかり様変わりしてしまった当時の金沢の街並みや、そして帰り道の途中、暮れかかった夕焼けの空にわさわさと音をたてて舞っていた蝙蝠の群れの記憶までもが、まるで切り取られた絵のように焼きついているのだ。
すなわち結局のところ、僕にとってスターウォーズを観るということは、エピソード4の思い出に浸ることでしかないのかもしれない。
であるから、正直なところ今回のエピソード3も、過剰なSFXに食傷することはあっても内容に熱狂することはほとんどなかったように思う。実は、前回のエピソード2の時も途中で寝てしまったのだが、今回も中盤はうとうとしてしまった。
嗜好が変わっただけなのか、あるいは感受性が錆付いてしまったのかは分からないが、どうしても途中が間延びしたように感じられて起きていられなかったのだ。
スピルバーグが、「スターウォーズを自分に撮らせてくれたらもっといいものを作る自信がある」と言ったという話を聞いたことがある。ルーカスには悪いがそのとおりかもしれない。
いずれにせよ、エピソード4の時のような熱狂は望むべくもなかった。
ただし、映画がラストに近づくにしたがって、すなわちルークとレイアが生まれ、砂の惑星タトウィーンや建設中のデス・スターが登場する頃になってようやく、すべての物語は30年前へと回帰し始める。
「あっ、タトウィーンだ・・・・!」
映画のラスト。CGで描かれたタトウィーンの砂漠の向こう側に、いつか見たbinary sunsetがあった。
エンディングを見ながら、僕は気持ちが再び研ぎ澄まされてゆくのを感じた。
前回のエントリーでも書いたが、ダースベーダーのテーマが頭から離れず、皆居ても立ってもいられなくなったようだ。(何を隠そう僕もその一人なのだが・・)
月曜日、仕事を早めに切り上げ映画館へ。
8時半からの上映にぎりぎり間に合い、急いで会場へ駆け込んだ。
観客は我々をいれて20人ぐらいしかいなかった。
さすがに、月曜のこの時間から映画館に足を運ぶような暇な人間はそうはいないらしい。
我々は中程の列の中央の席に座った。
目の前の家族連れがバリバリと、ものすごい音を立ててポップコーンを頬張っていた。
まるでセサミ・ストリートのクッキーモンスターのようだ。
昔なら、こういう人たちを見ると殺意に似た感覚を覚えたものだが最近はあまり気にならなくなった。
ふと横を見ると、他のフェローたちもナチョスをパクついているではないか。。。
ご親切に「おまえもどうだ?」と勧めてくれたので、結局僕もディップがたっぷりついたナチョスを何枚か口の中に放り込んだ。
一通りの予告編が終り、スクリーンが横に少し広がった。
いわゆるシネスコサイズというやつである。本編が始まる合図だ。
心地よい緊張感が走った。
スターウォーズを観るときはいつもオープニングが一番緊張するのだ。
スターウォーズのオープニングは1975年のエピソード4以来ずっと変わっていない。
20世紀フォックスの大きなロゴとともに聴覚えのあるあのファンファーレが流れ、
それに続き“A long, long time ago. In a galaxy far, far away”というおなじみの文句が静かに挿入される。
そして半ば唐突にオープニングテーマは始まった。
「きたー!!」
一瞬、全身にゾクゾクっという武者震いに似た感覚が走った。
そしてそれと同時に、あの記念碑的第一作目(エピソード4)をいまは亡き祖母に手を引かれて観にいったはるか30年前の記憶が鮮明によみがえってきた。
当時、僕はまだ小学2年生だった。
祖母は、金沢駅の近郊にあった“ロキシー”という映画館に姉と僕を連れて行った。会場はすでに満員であったが、祖母は混雑する会場の中からどうにか後ろのほうの隅っこの席を二つ見つけて姉と僕を座らせた。心優しい姉が「おばあちゃん座っていいよ」と席を立とうとしたが祖母はけっして座ろうとはしなかった。結局そのまま祖母は映画が終わるまで約2時間もの間、私達の傍らにずっーと立っていた。祖母はその半年後に他界したが、未だにあの時のことを思い出すと後ろめたい気持ちになる。
このように、僕の脳裏には、スターウォーズエピソード4の強烈な印象とともに、死の数ヶ月前の祖母の記憶や、今ではすっかり様変わりしてしまった当時の金沢の街並みや、そして帰り道の途中、暮れかかった夕焼けの空にわさわさと音をたてて舞っていた蝙蝠の群れの記憶までもが、まるで切り取られた絵のように焼きついているのだ。
すなわち結局のところ、僕にとってスターウォーズを観るということは、エピソード4の思い出に浸ることでしかないのかもしれない。
であるから、正直なところ今回のエピソード3も、過剰なSFXに食傷することはあっても内容に熱狂することはほとんどなかったように思う。実は、前回のエピソード2の時も途中で寝てしまったのだが、今回も中盤はうとうとしてしまった。
嗜好が変わっただけなのか、あるいは感受性が錆付いてしまったのかは分からないが、どうしても途中が間延びしたように感じられて起きていられなかったのだ。
スピルバーグが、「スターウォーズを自分に撮らせてくれたらもっといいものを作る自信がある」と言ったという話を聞いたことがある。ルーカスには悪いがそのとおりかもしれない。
いずれにせよ、エピソード4の時のような熱狂は望むべくもなかった。
ただし、映画がラストに近づくにしたがって、すなわちルークとレイアが生まれ、砂の惑星タトウィーンや建設中のデス・スターが登場する頃になってようやく、すべての物語は30年前へと回帰し始める。
「あっ、タトウィーンだ・・・・!」
映画のラスト。CGで描かれたタトウィーンの砂漠の向こう側に、いつか見たbinary sunsetがあった。
エンディングを見ながら、僕は気持ちが再び研ぎ澄まされてゆくのを感じた。
引っ張りますねー。
まあ、SW関連であればヒット間違いないでしょうから、このままほっとく手はないでしょうなー。
テレビドラマ化する計画があるようです。
たしかになんだかんだ言って9本作りそうな・・・
さて、これで本当にSWシリーズが終わるのかどうか、気になるところです。
結局なんやかんや言ってエピソード9まで行っちゃうような気もするんですけどねー。
ルーカスもジョン・ウィリアムスも元気でよく6作完成させました。拍手!
久々にパンフレットというものを買ってしまいました(笑)。
私はあんまりバトンを渡せるようなブログ友達がおりませんが、トライしてみますね。
年の話をするのも何ですが、最初のウルトラマンは何とかリアルタイムで記憶があります。最終回ウルトラマンがゼットンに倒される場面はショックでした。
スターウォーズはキャラクターやメカが斬新でかっこよかったのを憶えています。ハリソンフォードの出世作というイメージも強いですが。
ミュージックバトンなるものが回ってきました。
迷惑を顧みずkazu-nさんに回しましたが、気が向かれたらで結構です。お忙しければ捨て置いて下さい。
ちなみに、僕の生まれた年に起こった主な出来事を列挙しますと。。
海外では1.キング牧師暗殺、2.パリ5月革命、3.ベトナムソンミ村虐殺事件など。。
国内では
1.3億円事件、2.東大紛争(安田講堂事件)などですね。
いま、ネットで調べてみたら1957年って書いてあったようですけど。。。
もしそうなら、僕はそれよりかなり若いですよー(笑)
もしかして私と同じ歳なのかなぁ・・・
もしかして、ライカ犬が宇宙へ行った年に生まれましたか?
Pow on!さん
お久しぶりです。お元気ですか?
お父さんに今度是非聞いてみてください。
きっと、覚えてくれているのではないでしょうか?
それと、TBSのインターネットラジオで波田陽区の番組をこっちでも聴くことが出来ます(笑)。一回しか聴いたことありませんけど。。
ダイアンさん
こんにちは。
そう!まさにそのハウスメイトのいう通りだと思います。あのときにトリップするんです。分かるなーその感じ。そのくらいエピソード4のインパクトって強かったんですよねー。
usuhsさん
僕は、小さい頃に叔父によくスキーに連れて行ってもらったんですけど、叔父は必ず車の中でジョン・デンバーをかけるんですね。
子供ながらに「この人はなぜいつも同じテープばかりを聴いているんだろう。。。」ってすごく不思議に思ったものです。
多分、叔父にとっての心の歌だったのでしょう。
私は30代半ばなったとき、実は、未だに自分が17歳から20歳ぐらいの時のままの発想をしていることに気づきました。その時、きっと40代、50代いやそれ以上のおじさん達も皆同じなのではないかと思い至りました。
いや、ただ高校の同級生と何年かぶりに会って、その当時と同じ発想の実にくだらない駄洒落とかを思い浮かべている自分に気づいたのですが。
大人になると、自分を取り繕って隠すことを憶えるだけで、本質は高校生ぐらいまでに出来上がっているのではないでしょうか。皆さんどうですか?
子供の時、懐メロを聞いている親父が理解できなかったけど、今は自分がそこにいるんですね。
すでにZeppelinもDeep purpleもCSNYもBeatlesもみな懐メロです。
なんだかわからないけど、そんなもんなのかな~。
びっくりと打ったら、\(◎o◎)/!が勝手に出てきてまたびっくりでス。
いつまでも馬鹿なのは私だけ?
訳わからなくてすいません。
「スターウォーズのすばらしいところは
最初に観たあのどきどきを思い出させてくれて
あの時の自分にトリップできること」
なんか分かる気がするんですよね。
episode4を小学生の時に父と新宿で
観た記憶があります。
帰りに池袋でR2D2, C3POのおもちゃを
買ってもらったことも、なんとなく
憶えています・・・父は健在ですが、
その時の事を憶えているのでしょうか・・・
多忙のため実家には一年近く戻っていませんが
今度聞いてみることにします。
他、episode6しか観たことがありません。
1はテレビでやっていましたが、
途中で寝てしまいました・・・
ギター侍というコメディアンが日本におりますが、
ダースベイダーのテーマでみんなが思い出すのは
電波少年のT部長ですから!!
・・・と、つい先日テレビで叫んでいました。
結構こういう人、多いようです。
コメントありがとうございます。
エピソード3は巷ではかなり評判がいいみたいですよ。
ですから、息子さんにとってはきっとこのエピソード3が我々にとってのエピソード4のような役割を果たすことになるのではないでしょうか。
映画ってそんなものかもしれません(ちなみに、なんとあれからもう30年経つんですよ)。
例えば、我々の世代にとって山口百恵やキャンディーズ的なものが特別な存在であり続けるように、息子さんたちの世代にとってはたとえばB'zとか浜あゆのような音楽が将来のなつメロになる日が来るのかもしれません。
昔、誰が言ったか忘れましたが
「人間は20歳を過ぎたらあとは思い出に縋って生きてゆくしかないんだ」そうです。
なんともセンチな話ですが、結局人間なんてそんなものかもしれません。