休憩処 まっちゃの部屋(別館)

まっちゃの言葉と戯れる日々の徒然日記。

スペースを持ち続ける

2008年02月27日 12時36分44秒 | 日記
「human」は日本語で「人間」という意味ですが、
「hue(色)」+「man(人)」から来ているそうです。
つまり人間は色の存在であり、チャクラは虹の光線と対応しています。

色の存在であることの証として、こんな言い伝えがあります。
人は生まれるときに、その人の「ray(光線)」に乗って転生してくる。
そして生涯を終えると「虹の橋」を渡っていく、と。

虹は自然の中にあり、またみんなの中にあり、それぞれの色のストーリーは
その人だけのものであり、またみんなのものである。

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今日のポマンダー--ディープレッド
本質は"強烈な"グラウンディング機能なので、非常に元気づけられます。
高度のストレスを生むような状況で使用することをお勧めします。

今日のクイントエッセンス--ヒラリオン
真理に光を投げかけることで、ストレスのただ中にある
休息と平安を見出し、真の統合が可能になります。
一度この統合が起きると、私たちは「光を見る」というか、
状況の「愉快さ」を見るようになります。
これを使うと、自分に必要な時間を取ることを「思い出し」ます。
さらに、瞑想すると、自分自身の道を見つけること、そして自分自身の
真理に沿って行為することにフォーカスするようになります。
私生活または職業生活に高度のストレスがある環境の中で、
ヒラリオンは賢明な決定を行うのを助けてくれます。

グリーンの色の意味--
グリーンは私たちの意志(イエロー)と神の意志(ブルー)の間の橋です。
愛を自由に与えたり受け取ったりできる能力に導く相互連結性です。
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株式会社和尚アートユニティより引用
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内なるスペースをいつでも持っていなければならない。
疲れていたり気持ちが落ち込んでいたりすると、
他の人に侵略されているような気になることがあるが、
「自分は自分、あなたはあなた」という境界線を持つことで
お互いのスペースを尊重することができるようになる。

自分自身の結婚生活には、そういうスペースの尊重がなかったな、と
今にして思う。お互いが、未熟だったのだ。
そして、お互いにその未熟さを認め合い、成長しあおうという
心のスペースすらつくれなかった。

今は、オーラが大きすぎるから疲れちゃうんだよ、
境界線を持ちなさい、とよく言われる。

奉仕するということは、自分の感情を犠牲にすることではない。
「何かを犠牲にした」とおもうだけで、その奉仕は
思い上がったものになり、真の奉仕ではなくなる。

まず自分を愛します。
あなたにもおすそ分けするから、虹とともに人生を楽しみましょう。

「私は涙の中に虹を見ます」

2008年02月26日 21時56分55秒 | 日記
立春から使っていたイヤーボトルが終わったので、
「セラピスベイ」ボトルをセレクト。

コンサルテーションを受けたのを使うつもりだったが、残業で間に合わず。
間に合わなかったらこのボトルにしようと覚悟を決めていた。

オーラソーマはすべて自分の自由な魂において選ぶものです。
ですが、このボトルはその人に合った、使う時期を選ぶと言われています。
自分の「流されなかった涙の井戸」を解放し、成長していくために。

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B54 セラピスベイ
アファメーション:
泣いていようと笑っていようと、私は涙の中に虹を見ます。

特質:
このボトルを用いると、自分に最も関係のある色を発見することができます。
但し、無理してこのオイルを使用したり、また、使用するように
誰かを説得したりしてはなりません。
このオイルは自分の中の奥底にあるプロセスを解き放つことができますが、
まだ準備ができていない場合があるからです。
例えば、過去の問題をともなう性的な体験が表面化した場合、
この問題を見つめる準備ができている時にのみ、前向きに対処できるのです。

株式会社和尚アートユニティより引用
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あなたの中に菩薩のような優しさを見いだし、愛を分かち合いたい。
明けない夜はないように、どんな辛い時でも虹のような希望を共有したい。


自分を見つめ向き合い、浄化する必要があると感じる。
人はいつでも変容できる。
精神はより高いところへ。
でも同時に地に足をつけて。
もっと人の中へ交わっていこう、恐れずに。

小さきことに愛を見いだす

2008年02月25日 07時55分15秒 | 日記
以前、リーディングのときにこんなことを言われた。

「聞こえないという障害を障害と感じず、聞こえなくてよかったと
感じることを周りに伝え、勇気を与える役目があるようだ。」

そうだろうなと思う。
先日書いたようなことをやっていくのが喜び。


「聞こえないことは不便だが不幸ではない」という言葉があるが
強がりにしか聞こえない人もいる。それはそう自分に思い込ませ、
悲劇の主役を知らず知らずのうちに演じている人なんだと思う。

軽やかに愉しくあるがままに生きる。
そういう人からこの言葉が発せられると、希望が持てるのだろう。


私は聞こえない人生を選ぶことで、周りの人の意外な側面に気づき、
おおきな愛からくるさりげない優しさを感じていると思う。

それは例えば強面の兄さんが、人知れず捨て犬を育てているというような。


人にはいろんな側面があるが、「あの人って嫌な人だ」と噂されるような
人でも優しさは少なからず持ち合わせていると私は信じている。

例えば顔を合わせたら挨拶をしてくれるとか、会釈をするとか、それだけでも
「あなたのことは見えていますよ」というさりげないメッセージとなる。

憎しみや悩みの拡大解釈は自分を苦しめるだけ。
どうせ勘違いするなら愛されていると思うほうにしよう(笑)


会社の近くに朝からあいている喫茶店があって、たまにそこで朝食をとる。
そこのマスターがメニューを持ってくるときに、
さりげなくメモとペンを添えてくれるので、注文を書いてわたす。
サービスにゆで卵かシャーベットがついてくるのだが、
本当に律儀に毎回「これはサービスです」とメモと共に出される。
なのできちんと「美味しかったです、ごちそうさま」ということにしている。
こうして爽やかな気分で仕事に行けるのだ。

今日もささやかな優しさをたくさん見つけよう♪

変われる、変わりゆく

2008年02月23日 23時26分09秒 | 日記
2年前に退職した人から久しぶりにメールがきた。

彼は当時から「網膜色素変性症」という、現在まだ治療法のない
難病を抱えていて、すでに視野狭窄などの症状はあった。
だが、彼自身は障害者として見られたくないという葛藤があり、
「見えにくいだけ」と、その病気のことはひた隠しにしてきた。
悩み、苦しんでいた頃、私は彼と一緒に仕事をすることになった。
もちろん彼は私にも障害のことは一切話さなかったが。

ある日、なぜか障害者手帳の話になった時、さらっと
「僕も障害者手帳持つかもしれません」
いきなりの告白で、それ以上詳しい話は出来ず戸惑ったが、
その後しばらくして日記に詳細な話が載った。

私は安堵した。彼は前に進もうとしていると。
「なんでカミングアウトする気になったの?」と聞くと、
「まっちゃさんを見て、話して、自分を隠さないでいこうと決めた」

そしてその年の4月に退職していった。
退職後、「障害者としての」仕事探しのアドバイスのために、
ほんとうに毎日メールをたくさん読んだし、書いた。
彼が、悩み苦しむあまり切れても、私は諦めなかった。
年の瀬も近づいたころにようやく連絡があった。
「決まりました!」「おーよかったね!」
最初から自分の障害を明かして入っているので、
上司や周りの理解も得られてばりばり仕事をしていると
去年会ったときは楽しそうに話してくれた。

2年前からの彼のこの出来事が、
私にヒーラー、カウンセラーへの道を開いたのです。


ひさしぶりに今日もらったメールには
「去年末から正社員として働いています!」
2年前は「こんな障害があるから正社員にはなれない」と
すっかりあきらめていたのに!
また、障害者就職斡旋会社の取材にも応じたそうで、
来月発行の春号に載るかもしれないそうです。
それに、団体活動もしていると。2年前はいやがっていたのに!
「落ち着いた?」とメールすると
「身障としてみられることへの抵抗がなくなったかも」とのこと。

そして、アッシャー症候群という、網膜色素変性症と難聴を併せ持つ
人のための情報保障について聞きたいと。
http://www.jrps.org/aiyakai/local/back/2001summer/01.html

メールを読んで涙が出ました。
ほぼ1年ごとにフィードバックをくれるのですが、
10年かけて悩み苦しんできた人が、たった2年で、
同じ障害をもつ人の希望になろうとしている。
こんなうれしいことはありません。


彼に限らず、今までの周りとの関わりを振り返ってみました。
それまでは話をあまりしなかったのに、ふとしたきっかけで
のめり込むようにたくさん話をする時があります。
それも1日2日ではなく、一定期間続くのです。
障害についてやスピリチュアルなことから哲学的なことまで、
ほんとうに沢山いろんなことを話します。

そして、いつしかだんだんと、向こうが離れていきます。
離れる時が、その人にとって変容の時期なのです。
離れていくのは寂しいけれど、でもそれは仕方がないのです。
その人にとって大事な時期だから。

変容して、より高いところへ。
よりすばらしい人生を過ごし始めるようになってから、
思い出したように連絡がくるのです。
それも、私が「あの人どうしてるのかな」と思った時に!
そして、脱皮前のつらかったことを笑いあうのです。
こういうフィードバックをもらい、私の中にある、
その人の物語の最後に「おめでとう」と書き加えるのです。
これからも毎日を幸せに過ごせますようにと祈りながら。

私には、その人が飛躍の前の充電完了まで、
一緒にいるという役目があるようなのです。
エネルギーの供給みたいな奉仕をやっているのでしょうか。

前世では占い師とヒーラーのほかにも、修道女だった頃もあり、
アッシジのキアラという人のそばにいたそうです。ずっと奉仕。
いま検索してみてびっくり。
「キアラは視覚障害者、眼疾者の守護聖人になっています。」

・・・もう驚くまい。

ちなみに、霊やマイナスのエネルギーをたくさん吸収すると
耳や口といった、空気の出入り口がやられてしまうそうです。
なので、前世でヒーラーだったときは、人生の後半には
聞こえなくなっていたそうです。
「ヒーリングのときは気をつけてね!」といわれました・・・。

裁くなかれ、裁かれぬがためなり

2008年02月22日 15時16分08秒 | 日記
「区別」と「裁き」は違う。

その人や出来事を見て、違いを認識し、カテゴリーに当てはめるのは区分。

その人や出来事を見て、自分や世間の価値観、善悪に当てはめるのが
ジャッジ、裁くということ。


周りは自分の反映。

自分が他人を裁くことは、結局自分の中にあるものを裁くということ。

この世にあるものはすべてありのままにある。
そのままでは善悪は、ない。

「これはよいこと」
「これはわるいこと」
全部自分が決めつけているのだ。


今日のポマンダー…イエロー
マインドを整理し、あらゆる状況下で明晰な展望と生来の知恵をもたらす。

今日のクイントエッセンス…レディポルシャ
慈悲と愛と真の明晰性を伴う判断を実証する。
「裁くなかれ、裁かれぬがためなり」という言葉がある。
知恵や機知、あるいはすべての要素を等しく見ることが必要な場合は、
このクイントエッセンスは尺度のバランスを取る。
分け隔てや誤った決めつけをせずに他者の中にある違いに気づくためには、
どうしても思いやりが必要。
またこのエッセンスは、自分と他者を客観的に観察する道を開いてくれる。
裁くことなく最善の解決策を「見分ける」知恵と愛を可能にする。

株式会社和尚アートユニティのサイトより引用


裁くと、痛みや罪悪感が出る、劣等感の原因にもなる。

肉体レベルでは「自分は自分、あなたはあなた」と区別をする。
精神レベルでは「大いなる一つの源~oneness」であり
人間も動物も自然もみんな一つで一緒なのだと認識する。

あなたが痛いときは私も痛い。
あなたが楽しいときは私も楽しい。

代弁

2008年02月10日 20時13分57秒 | 日記
去年の夏から直感のままに色んなことをしてきた。
そうして自分の中で見えてきたもの。

相手の魂の底にあるものを掬い上げ、それを言語化して相手に渡す。
「そうそう、そう思っていたの!」
相手の思考と一致したとき靄が晴れて顔が輝き、腑に落ちる瞬間が見たい。
そして、浮かび上がってきた哀しみ、怒り、その他ネガティブな感情を
氷解させ、自分を許し、よくやったと誉め称えられるような手伝いをしたい。

だから、私はメッセンジャーになろうと。

今までの人生や選択は、すべてこのためにあったと思える。
いまお客様サポートをしているのも、相手の言いたいことを読み取り、
色んな角度から見て、言いたいことを相手にいかにうまく伝えるか。
また、読み取り、伝える技術をいかに伝授していくか。

相手の言いたいことを言語化して伝え、
フィードバックをもらうという、修行にはまたとない職業だと思う。


今の職業は4年前に選択し、初めてその職業に就いた。
それまでは印刷と専業主婦で、本当に未知の分野だったし、
聴こえない自分がお客様サポートをするというのは考えられなかった。
当時は自分の日本語能力を生かしたいなとしか考えていなかったが、
今ならわかる、この仕事をしている意味が。

同僚は同業界(コールセンター)で転職した人が多いのだが、
「私はサポートはここが初めて」というと信じられないとよく言われた。
また、先日、今の職場に呼ばれたからそこにいるのだと言われた。

ネガティブなパワーを浄化させて、自分の力をつけるため。
より大きな優しさを具現するため。
周りを癒し笑顔と希望を与える役割を自覚するため。
この水瓶座の時代において、スピリチュアルと現実とをつなげるため。

全部一つにつながっている。
今世で決めてきた自分の役割はこうなのだと思い出すと、
ああ、だからか~と今までの道がすっきりと見えてくる。

皆はお互いにお互いのメッセンジャーであると思う。
ふとしたおしゃべりからヒントがくるときもある。

ただ必要なのは、直感と感性と優しさ。

どんだけ~

2008年02月05日 22時53分24秒 | 日記
画像は今日の夕食。
一つの共通点があります。

私「今日は豪華だね……。かーちゃん、ナニコレ!」
母「明日からまたヘルパーでいないからね。」
私「いやそれは知っていますが。芋だらけ……」
母「そうなの、たまたまそうなっちゃった」


そう、芋だらけの夕食。

長芋と海老の卵とじ風
里芋の煮物
コロッケ(じゃがいも)
豚汁(里芋)

……いくら私が芋好きだからって、やりすぎ。

前世はアステカかインカかペルーにいたんじゃないかと思うほど大好き。


じゃがいもをふかして、たらこをマヨネーズで和えると、
トーストにピッタリですよ。

さて、夕食は当分コレだな……。

モデル

2008年02月02日 17時41分14秒 | 日記
サンバで一緒にスルドを叩いている獣医師さんから、
「地元の応急救護訓練を手伝ってほしい」
と依頼があったので、出掛けてきました。


医師会、看護士会などが集まって、いわゆる「災害弱者」に対して
どのように対応するかの訓練で、聴覚障害者として白羽の矢が立ったと。

最初にトリアージの訓練があり、私も「右太股からの出血が止まらない」
「聴こえなくて介助なし」モデルをやってきました。
ホントは手話通訳が待機していて、聴こえないとわかると
通訳を呼ぶ手筈だったのですが、いつも通訳がいるわけではないし、
聴こえない人が皆手話ができるわけでもない。
誤解されがちですが、失聴時期や教育環境によって、メインの
コミュニケーション手段が異なるわけです。
ですので、敢えて通訳を呼ばず、口話で頑張ってもらいました。

後で、通訳と一緒に、「みんな手話で話すわけではない」
「筆談や口話という方法もある」ということを伝えてきました。

医師や看護士さんも、生の声があると、やはり違うようで、
熱心に質問してくれました。

また、盲導犬やペットと離れたくない老人のモデルもきていて、
なんだか嬉しく心温かくなりました。


もっとどんどんアピールしていかないとね!
でも、アピールしても通じないと挫けそうになるから、アピールをちゃんと
受け止めてくれる人が周りに多いことは嬉しいし、大感謝です。