夢はるか音楽教室は一政さつきさんが主宰する音楽教室で、主に障害を持っている子供を受け入れて、その子らしさを表現する個人指導の音楽教室を目指している。そしてその子どもたちの発表会を1年に1度開く。今年は10月18日、通算5回目になる発表会を川崎市中原市民館で開いた。
発表会は3部構成で、第1部は子どもたちのソロ演奏で、ピアノ演奏があったり、独唱があったり、ハープを弾いたりと、おもいおもいの発表をする。どの子もこの日のために用意したドレスやスーツを着て一生懸命に舞台に立つ。晴舞台だ。一人一人が精一杯の気持ちで舞台表現をして、家族やお友達に観てもらうのだが、どの子もまぶしいくらいキラキラ輝く。この発表会をみていると、音楽をするということってこういう事なのか、一人一人が輝くと言うこととはこういう事なのかと改めて考えてしまう。
一政さんは舞台が終わった後のカーテンコールで話されていたが、ご自身が歌い手として音楽をすることを楽しんでいた日常に、自分が障害を持った子供を授かったことで、障害者がもっと豊かに生きられるバリヤフリーの日常を取り戻したいと考えられたようだ。障害があろうがなかろうが、誰だってみんな同じように輝きたいのだと思ったし、誰だってみんな輝けるのだとも思ったようだ。そして1年に1度、子どもたちの晴舞台を用意するようになった。
わたしもひょんな事から一政さんと知り合い、時々だがその仕事にちょっとだけ関わらせてもらうようになった。1度目は、平間わんぱく少年団の子どもたちの太鼓の演奏を、その発表会でさせてもらった。2度目は、夢はるか音楽教室の子どもたちに豊年太鼓を教え、お芝居がらみの舞台づくりに関わらせていただいた。その時のお芝居は絵本の「てぶくろ」をもとにしたもので、動物に扮した子どもたちが、村祭りで太鼓を叩いた。そして今回の舞台でもまた、お芝居がらみの演目を入れ、そのなかに太鼓演奏を入れたいと言われた。そのための太鼓のレッスンに数回加わることになった。
第2部はゲストによる合唱の発表で、一政さんが指導する合唱団3団体が出演した。第3部が太鼓演奏入りのオペレッタ「ヘンデルとグレーテル」である。洗足音楽大学の教師をしながら、川崎市民オペラの代表をするなど多面的な活動をする人脈をフルに使って、オペレッタは上演された。子どもたちは魔女の手下になったり、魔女にとらわれた市民になったりしてお芝居に登場したが、こういう作品に和太鼓が登場する自由さは楽しい。子どもたちはそれぞれの役を大いに楽しんでいるようでほほえましかった。
この一政さんの企画がいつまでも心に残るのは、子どもたちの輝く笑顔と、充実感を感じてほしいという願いで一貫していることだ。そしてこういう企画を何のてらいもなくさわやかに推し進めている一政さんの意気込みに圧倒される。こうした企画がなかったら一人一人が舞台に立って演じることも、舞台の主人公になって輝くことも多分ないだろうと思うと、これはすごい企画だとなあ・・と実感する。同時に、音楽って誰のために、何のためにあるのかということを改めて考えさせられる。
最近、作曲家の岡田京子さんが「誰でも音の種を持っている」という本を出して、「生きるために必要な音楽」について発言している。私もこの考えにはとても共感しているのだが、一政さんの指導する音楽教室とこの発表会は、そのまま「生きるために必要な」音楽活動の実践だと思うのだ。上手いとか上手くないとかという価値観はここにはない。一人一人が音楽と関わることでキラキラ輝いている、感動の余り泣き出してしまう子供もいるし、手を振って誇りを表す子もいる。自信を持ってコンサートの主役を演じていることがとても印象的ですべてだ。そして、もしこの子たちにこの音楽がなかったらと思うと、大袈裟に言えば愕然とするくらいだ。夢のある生活と、夢のない生活くらいの違いがあるように思うのだ。
しかし、こういう舞台を発想し、準備し、公演を設定するまでには、恐ろしく大変な作業が必要になる。私もお芝居をしたり太鼓の公演をしてきたから少しは分かるのだが、何となく出来ることでは決してないし、自然に誰かが助けてくれることもない。こういう企画を考えて実践しようとする人は、その全てを自分で受け持ち、解決しなければならない。一政さんは、「私は前を向いてしか生きられないから」と話していたが、そういう姿勢が周りの人に伝搬し、協力者が集まり、成り立つことになる。それでもこんなことは誰にでも出来ることではない。ただひたすら子供を思う気持ちを持ち続け、そこに生きる価値を見出さないと、とても出来ることではないと思う。実際にこの発表会に関わっているボランティアの皆さんは、一政さんの姿勢に共感して集まっているし、その人脈で成り立っている。この人たちも、こういう事業に関わることで、生きるために必要な音楽について自覚していくのだろうか。そうだとしたらすごく嬉しいことだ。
私も、一政さんと、この子どもたちに少しだけだが関わることで、生きるための音楽について学んでいこうと思う。和太鼓の演奏は何人かが一緒に叩く曲が多くて、そのままでは一政教室のみんなが同じように演奏するのはなかなか難しいし、ここでは多分一律に演奏することの意味は殆どないように思える。ようは太鼓を楽しめればいいのだから、強く打ちたい人は強くうち、軽く打ちたい人はかるく打ち、セッションしたい人はセッションすればいい。その人の体力と感性にあった打ち方、リズムを探ればいいのではないか。そんな思いから、全くこれからの課題だが、障害者と共にある和太鼓演奏について少し考えてみたいと思う。今回の発表会の、一政さんの個性を活かした発表会をみながら、そんなことを考えたのです。
発表会は3部構成で、第1部は子どもたちのソロ演奏で、ピアノ演奏があったり、独唱があったり、ハープを弾いたりと、おもいおもいの発表をする。どの子もこの日のために用意したドレスやスーツを着て一生懸命に舞台に立つ。晴舞台だ。一人一人が精一杯の気持ちで舞台表現をして、家族やお友達に観てもらうのだが、どの子もまぶしいくらいキラキラ輝く。この発表会をみていると、音楽をするということってこういう事なのか、一人一人が輝くと言うこととはこういう事なのかと改めて考えてしまう。
一政さんは舞台が終わった後のカーテンコールで話されていたが、ご自身が歌い手として音楽をすることを楽しんでいた日常に、自分が障害を持った子供を授かったことで、障害者がもっと豊かに生きられるバリヤフリーの日常を取り戻したいと考えられたようだ。障害があろうがなかろうが、誰だってみんな同じように輝きたいのだと思ったし、誰だってみんな輝けるのだとも思ったようだ。そして1年に1度、子どもたちの晴舞台を用意するようになった。
わたしもひょんな事から一政さんと知り合い、時々だがその仕事にちょっとだけ関わらせてもらうようになった。1度目は、平間わんぱく少年団の子どもたちの太鼓の演奏を、その発表会でさせてもらった。2度目は、夢はるか音楽教室の子どもたちに豊年太鼓を教え、お芝居がらみの舞台づくりに関わらせていただいた。その時のお芝居は絵本の「てぶくろ」をもとにしたもので、動物に扮した子どもたちが、村祭りで太鼓を叩いた。そして今回の舞台でもまた、お芝居がらみの演目を入れ、そのなかに太鼓演奏を入れたいと言われた。そのための太鼓のレッスンに数回加わることになった。
第2部はゲストによる合唱の発表で、一政さんが指導する合唱団3団体が出演した。第3部が太鼓演奏入りのオペレッタ「ヘンデルとグレーテル」である。洗足音楽大学の教師をしながら、川崎市民オペラの代表をするなど多面的な活動をする人脈をフルに使って、オペレッタは上演された。子どもたちは魔女の手下になったり、魔女にとらわれた市民になったりしてお芝居に登場したが、こういう作品に和太鼓が登場する自由さは楽しい。子どもたちはそれぞれの役を大いに楽しんでいるようでほほえましかった。
この一政さんの企画がいつまでも心に残るのは、子どもたちの輝く笑顔と、充実感を感じてほしいという願いで一貫していることだ。そしてこういう企画を何のてらいもなくさわやかに推し進めている一政さんの意気込みに圧倒される。こうした企画がなかったら一人一人が舞台に立って演じることも、舞台の主人公になって輝くことも多分ないだろうと思うと、これはすごい企画だとなあ・・と実感する。同時に、音楽って誰のために、何のためにあるのかということを改めて考えさせられる。
最近、作曲家の岡田京子さんが「誰でも音の種を持っている」という本を出して、「生きるために必要な音楽」について発言している。私もこの考えにはとても共感しているのだが、一政さんの指導する音楽教室とこの発表会は、そのまま「生きるために必要な」音楽活動の実践だと思うのだ。上手いとか上手くないとかという価値観はここにはない。一人一人が音楽と関わることでキラキラ輝いている、感動の余り泣き出してしまう子供もいるし、手を振って誇りを表す子もいる。自信を持ってコンサートの主役を演じていることがとても印象的ですべてだ。そして、もしこの子たちにこの音楽がなかったらと思うと、大袈裟に言えば愕然とするくらいだ。夢のある生活と、夢のない生活くらいの違いがあるように思うのだ。
しかし、こういう舞台を発想し、準備し、公演を設定するまでには、恐ろしく大変な作業が必要になる。私もお芝居をしたり太鼓の公演をしてきたから少しは分かるのだが、何となく出来ることでは決してないし、自然に誰かが助けてくれることもない。こういう企画を考えて実践しようとする人は、その全てを自分で受け持ち、解決しなければならない。一政さんは、「私は前を向いてしか生きられないから」と話していたが、そういう姿勢が周りの人に伝搬し、協力者が集まり、成り立つことになる。それでもこんなことは誰にでも出来ることではない。ただひたすら子供を思う気持ちを持ち続け、そこに生きる価値を見出さないと、とても出来ることではないと思う。実際にこの発表会に関わっているボランティアの皆さんは、一政さんの姿勢に共感して集まっているし、その人脈で成り立っている。この人たちも、こういう事業に関わることで、生きるために必要な音楽について自覚していくのだろうか。そうだとしたらすごく嬉しいことだ。
私も、一政さんと、この子どもたちに少しだけだが関わることで、生きるための音楽について学んでいこうと思う。和太鼓の演奏は何人かが一緒に叩く曲が多くて、そのままでは一政教室のみんなが同じように演奏するのはなかなか難しいし、ここでは多分一律に演奏することの意味は殆どないように思える。ようは太鼓を楽しめればいいのだから、強く打ちたい人は強くうち、軽く打ちたい人はかるく打ち、セッションしたい人はセッションすればいい。その人の体力と感性にあった打ち方、リズムを探ればいいのではないか。そんな思いから、全くこれからの課題だが、障害者と共にある和太鼓演奏について少し考えてみたいと思う。今回の発表会の、一政さんの個性を活かした発表会をみながら、そんなことを考えたのです。