2/15 一日仕事。夜テレビ。それだけが楽しみ。
といっても特定の番組しか見ない私。
その特定がコレ。
今回はこんなシーンがあった。
魯山人の器を欠いてしまったお運びさんを
若女将が叱りつけた後、大女将が慰める。
「器は使ってこそ意味がある。
形あるものはかならず壊れるのよ」的なことを言って。
その瞬間、胸がきゅっとした。
もうだいぶ昔。私が子供の頃のこと。
ものすごく慌てん坊で(今はだいぶなおった、つもり)、
母のお手伝いをするとしょちゅう食器を割ったりしてた私。
それを見てものすごーく怒ってた母
(今は優しくて、怒った顔なんて想像つかない)。
そしてそんな様子を見て、一緒に暮らしていた曾祖母はいつも
ドラマの大女将と同じような優しい口調で
「形ある物はかならず壊れるんだから、仕方ないんだよ」
と慰めてくれていたんだった……。
おばあちゃんの優しさに感謝すると共に
今なら当たり前と思えるその言葉だけど
子供心にはまるで「物事の真理」を見せられたようで
「ううむ。なるほど」みたいな感動を覚えた記憶あり。
ついでに言うと小学校低学年の春。
大好きな担任が転任することになり
あまりの悲しさに終業式が終わってから
家で泣いてた時も(←なんて純粋な!)
曾祖母はこういった。
「会うは別れの始まりっていうんだよ。
お別れは悲しいけどその後またいい出会いがあるよ。」
この時も、同じように「物事の真理」を見た気がしてはっとした。
どちらの言葉も「今が永遠じゃない」ってことを教えてくれたような、
それを子供ながら感じたような、そんな気がします。
さらにちなみに、我が父がいつも言ってたのは
「人は生まれた瞬間から死に向かって歩いている」
これは……いや、まさに真実だけど
子供心にものすごく怖かった(笑)
と、つらつら考えながら、
そうだ、もうすぐ3月、おばあちゃんの命日が来るんだな、
と思い出した、暖かい東京での一日。
hip jointメモ/
セラバンド以外ひととおりの筋トレ。
左がつってから、どうも違和感があるんですが……。
といっても特定の番組しか見ない私。
その特定がコレ。
今回はこんなシーンがあった。
魯山人の器を欠いてしまったお運びさんを
若女将が叱りつけた後、大女将が慰める。
「器は使ってこそ意味がある。
形あるものはかならず壊れるのよ」的なことを言って。
その瞬間、胸がきゅっとした。
もうだいぶ昔。私が子供の頃のこと。
ものすごく慌てん坊で(今はだいぶなおった、つもり)、
母のお手伝いをするとしょちゅう食器を割ったりしてた私。
それを見てものすごーく怒ってた母
(今は優しくて、怒った顔なんて想像つかない)。
そしてそんな様子を見て、一緒に暮らしていた曾祖母はいつも
ドラマの大女将と同じような優しい口調で
「形ある物はかならず壊れるんだから、仕方ないんだよ」
と慰めてくれていたんだった……。
おばあちゃんの優しさに感謝すると共に
今なら当たり前と思えるその言葉だけど
子供心にはまるで「物事の真理」を見せられたようで
「ううむ。なるほど」みたいな感動を覚えた記憶あり。
ついでに言うと小学校低学年の春。
大好きな担任が転任することになり
あまりの悲しさに終業式が終わってから
家で泣いてた時も(←なんて純粋な!)
曾祖母はこういった。
「会うは別れの始まりっていうんだよ。
お別れは悲しいけどその後またいい出会いがあるよ。」
この時も、同じように「物事の真理」を見た気がしてはっとした。
どちらの言葉も「今が永遠じゃない」ってことを教えてくれたような、
それを子供ながら感じたような、そんな気がします。
さらにちなみに、我が父がいつも言ってたのは
「人は生まれた瞬間から死に向かって歩いている」
これは……いや、まさに真実だけど
子供心にものすごく怖かった(笑)
と、つらつら考えながら、
そうだ、もうすぐ3月、おばあちゃんの命日が来るんだな、
と思い出した、暖かい東京での一日。
hip jointメモ/
セラバンド以外ひととおりの筋トレ。
左がつってから、どうも違和感があるんですが……。
きんつぎ って言ってましたね。
私も子供の頃はお皿落として割ったりしてましたが
matildaさんの曾祖母様みたいな
優しい言葉は一切無し・・・(T-T)
ただ、母方のおじいちゃんが
遊びに行ってるときに兄と遊んでて
ガラスを割ってしまったときに
やはり、形あるものは壊れるんだから
気にしなくていいんだよ的なことを言ってくれて
子供心に救われた気がしました。
来週も見るぞ~~~!!
フフフっとなってしまうこのドラマですが
昨日の放送も良かったですよね。
「物事の真理」
何事も永遠なんてないのですよね…
そう思うと寂しくもありますが
だからこそ
人でもモノでも出会いは大切にしたいものです。
そして…
二宮くんの演技はやっぱりイイですねー!
そんな含蓄のある言葉をいいたいなー。
人間30近くにもなれば、
そこそこ含蓄あることいえるもんだと思っていた
二十歳のころ。
いざ三十路近くになったとき、
自分はなんてがきなんだと思うわけで。
あと30年くらいかけて、
かっちょええ言葉いえるようになりまする。
拝啓仲間ですね。完全に!笑。
Miyauさんも同じような経験あるんですね。
親は子育てに夢中で余裕がないけど
おじいちゃんおばあちゃんは
余裕があるから、そういう言葉もかけられるんですね。
としみじみ。。。
あいちゃんへ
そうそう、
そういうことが言いたかったの!
つまりは「物でも人でも出会いを大切に!」という。
旨く表現してくれてありがとう!
ちなみに子供の頃って「今」がすべてだから、
そういう長いスパンで物事を見たことがなくて
なんだか「はっ」としたのよね。
あともさんへ
私もいつもそう思います。
親が私の頃の年代を思い出すと、
もっと大人だったような……。
私なんて自分のことばかりの生活ですから……。反省。
でもあともさんはこれからきっと
パパになって、大人への階段を登っていくことでしょう。
おめでとうございます!
あ、そうそう。
ちなみに曾祖母はこの時すでに
90歳間近だったと思うので、
ここまでなるにはまだまだ時間がかかりますよ。
あともさんの場合(笑)