放送大学大学院では、学ぶことの楽しさを知りました。朝3時に起きて論文を書いて、通勤時間を利用して読み返す・・・この繰り返しを半年以上続けられたのは、中島先生に回り逢えたことが大きかったと思います。
そして、もう少し学んでみたいとの思いから博士課程を目指そうと思ったのが昨年2006年の秋頃です。何名かの先生にコンタクトをとり、結果、母校である九州大学大学院芸術工学府に社会人枠で入学することになりました。
もちろん、仕事は続けながら4月からは、また母校の学生に戻ることになりました。
そして、もう少し学んでみたいとの思いから博士課程を目指そうと思ったのが昨年2006年の秋頃です。何名かの先生にコンタクトをとり、結果、母校である九州大学大学院芸術工学府に社会人枠で入学することになりました。
もちろん、仕事は続けながら4月からは、また母校の学生に戻ることになりました。