西尾政孝の読書日記

ニーチェ、バタイユ、三島由紀夫、井筒俊彦、ウィルバーを中心に、その周辺を読み散らかしています。

人間が存在することは間違いなのか?

2022-02-18 | Twitter
人間が存在すること自体が間違いだという考え方がある。
確かに自然破壊の問題だけを見ても、人間が存在していなければ地球環境は理想的な状態に保たれていただろうから、私もその考え方に賛同してしまうところがある。
しかし賛同しつつもどこかでかすかな抵抗を感じてしまう。それは「そういうお前だって存在してるくせに、それが間違いだと言うなら、さっさと存在しなくなれよ(死ねよ)」ということになってしまうからだが、それだけではない。
そもそも人間が存在していることに間違いも正しいもないだろう。それを間違いだとして、間違っているから存在しない方がいいと言うのは、あまりにも乱暴で粗雑な思考だと思うからだ。
丁寧に考えれば、人間が存在していることが間違っているのではなく、正しくも間違ってもいない形で存在している人間が間違ったことをしてきたので、本当はその責任を取るべきなのに、責任逃れをする言い訳として「存在していることが間違っている」と言っているようなものである。
これは喩えて言うなら、宿題を忘れた生徒が自分の非を認めずに宿題を出した先生が悪いと言っているようなものである。もし宿題を出した先生が悪いと思うなら、その理由から説明しなければならないだろう。
人間が存在すること自体が間違いだと思うなら、なぜ存在が間違いなのか、その理由を説明できなければならない。もし説明できないなら、存在すること自体は間違いでも正しいことでもなく、そのまま肯定するしかないだろう。だって、すでに私たちは存在してしまっているのだから。存在を肯定した上で、よりよい存在の仕方について考えるべきである。その努力をしていない人が存在そのものを否定することは単なる甘ったれ以外の何者でもない。
もちろんこれは自戒を籠めて言っているのであり、私自身も甘ったれた思考に傾きがちであることは認めなければならない。