gooブログやってます。

世界へ羽ばたけウオーキング!
まま歩き、とほ歩き。

アメリカの中の日本(ハワイPART3)

2011-04-21 10:46:58 | 旅行

このたびの東北大地震において、被害を受けられた方々に対しまして、心よりお見舞い申しあげます。

前回に引きつずき、ハワイの報告をさせていただきたいと思います。

ハワイのビーチを歩いていた時、偶然ハワイ陸軍博物館を見つけました。

所在地はフォートデルシー沿岸のハレコアホテルに隣接していて、Kunia RoadからFoote Avenueに入った所にあります。

正面入り口の近くに戦車が置いてあったので、あきらかに戦争に関する博物館であると解りました。

この博物館は、もともとハワイの軍事国防に関する貢献等の歴史を展示しているとされています。

この博物館の中に、意外と思われる展示物があったのです。

私のテーマとして、アメリカ人と日本人を考えるという事を長い間持っておりますが、この中にみつけてしまったのは、本当に偶然でした。

 

この中でインパクトがあったのは、日本に関する展示物があった場所で、日本刀を見つけた事でした。

旧陸軍の戦闘帽と一緒に展示されていました。

これを観た時、アメリカ人は、日本人の事を、この展示に集約して大勢を観ているのではないかと考えてしまいました。人にはそれぞれ見方にも違いがあるかもしれませんが。

戦争はお互いに悲劇であって、つくずく心の中に傷を残すものであると思いました。

2度と起こしてはならないものであるにも関わらず、今の時代でも日常的に戦争が行われている現実を視ると

はなはだ悲しいものがあります。

戦争で人間に貢献したものは、ひとつもないはずと思います。

 


ウオーキングカメラ

2011-04-11 15:58:11 | 広告
Nikon デジタルカメラ COOLPIX (クールピクス) L20 シルバー L20SL
クリエーター情報なし
ニコン

戦争の爪痕(ハワイPARTⅡ)

2011-01-27 11:04:40 | ライフスタイル

ハワイでは、真珠湾に行って来ました。

是非行ってみたかった場所です。

日米戦争(太平洋戦争)の開戦と終戦の歴史がここにあります。

開戦に関しては、日本の真珠湾攻撃が有名ですが、その傷あととして

PEARL HARBOR MEMORIAL があります。

メモリアルは、沈んだ戦艦アリゾナの上で、戦死した方達の名前がある場所があり

感慨深いものがありました。

終戦は、戦艦ミズリー上(日本)で当時のマッカーサー元帥と日本の重光外務大臣の間で

降伏文書調印式が行われました。

その戦艦も何故かメモリアルのすぐそばにあるんですね。

ミズリーは太平洋戦争の末期にも参戦していて、日本の特攻隊機の衝突した傷跡も

残っていました。

私は終戦後(昭和)に生まれたのですが、こういう歴史は長い年月がたつと序所に薄れてい

くものだなあとつくずく思いました。

 


アメリカのなかの日本人

2010-11-22 15:18:10 | 旅行

短期勝負でハワイに行って来ました。

海外で日本人がどの様にしているか興味があったからです。

節約旅行で3伯5日の旅です。余談ながらパックの旅行は安いですね。

海岸で泳いでいる人を除いて、どこへ行ってもほとんど日本人ばかりです。

何が良いのか、気候が良いのか?日本語がほとんど通じる所が良いのか?

良く解りませんでした。

てっとり早く言えば、サーフィン(海)、ゴルフ、ぐるめで遊ぶのでしようか?

現地の住民も、観光客(日本人、アメリカ人も含めて)も全体的にのんびりムードですね。

意外とアメリカ人の観光客も多いのは、少し驚きましたけどね。

現地のホテルのフロントの人、観光地の案内係の日系2世と思われる人達は、とても親切

でした。この当たりが海外の観光地として好まれる要因かもしれませんね。

また後日いろいろとご報告しましょう。


我が家のルーツ

2010-08-24 09:00:35 | ライフスタイル





お盆も過ぎ、まだまだ暑いですね。今年の暑さは半端じゃ無い様です。

                                                                
今回は私事で恐縮ですが、我が家の歴史を少しご紹介したいと思います。


現在、私の住んでいる所は横浜市ですが、生まれた故郷は、四国愛媛県宇和島市にあります。

宇和島市は、松山市と違いあまり知られていません。

江戸時代は、伊達10万石で、伊達正宗の長男(側室の子)が赴任した先でもあります。

町の真ん中に城山があって、山の上には小さい天守閣があります。(昔の城下町)


私の父親の祖先は、江戸時代、赤穂藩の下級武士で、江戸時代末期に広島へ移り、

船問屋を始めたそうです。物資を運ぶのは帆船で主として四国各地に運び、商売は繁盛していた

様です。その後、商売を広げる為、四国に移転したと聞きました。

母方の祖先は、仙台の伊達藩士で、かなり地位は高い方であった様です。

伊達家の長男が、仙台から宇和島藩に赴任する際、家来として一緒に四国まで来ました。

明治から現在までは、農家としてミカンなどを栽培しております。

その2人が昭和初期に結婚して、父親(故人)は船員をやっておりました。


その家のルーツを調べるのは大変ですが、長い歴史をたどりますと、中々おもしろい

出会いもあるものだと思いました。


上記に掲載した写真は、昭和初期の家族の写真です。

女性の日本髪は、地毛で賄い。写っている畜音機は家宝であった様です。