ば、ばれた・・・
京都から戻り初めの半年くらいで目も眩むような狂った家族のキチガイっぷりを見せつけられまさきの母親と結婚してしばらくしてから頭に浮かんでいたことを予定よりも早く実行に移すことにしました。私の両親との同居です。2009年12月より開始しました。私の父親が建てた狭いけど軽量鉄骨の積水ハウスをぶっ壊してこれまた狭いのですがミサワホームで木造三階建に建替えました。
建替え前には、もちろん建売住宅なども再検討しましたが、実家より便利なところは躊躇してしまうような金額でした。まさきが中学受験をすることとなった場合や就職してもしばらくは家に居るであろうことなどを考えると私の実家よりもさらに田舎に行く事は出来ないと思いました。低所得なので老後のことを考えるとあまり大きな借金は抱えたくなかったのである。もちろん狂った家族を近づけないようにするとの意味も小さくはない。てか、大きな理由の一つであることは間違いない。余談ではあるが数年後に近所に売り出された建売住宅は実家の土地よりも広いのだが、うちの建物だけよりも安いのであった・・・・。まっ、地元の工務店で建てたのは皆そうなんだけど・・・。
実際、一緒に生活を始めてみると目立つのです。まさきの母親の間抜け具合が・・・。
それは嫁姑とはいえ結局のところ違う家庭で育った他人なのです。私の母親のきつい面もありました。何でもチャキチャキとこなす母親と要領を得ないながらも頑張っているまさきの母親・・・。性格的に合わないのです・・・・。私はたとえ夕飯の支度を15時過ぎから始めていたとしても作ってはくれるので文句はないのですが、母親はイライラしていたのでしょう。今更ですが、母親には要領が悪いのくらい我慢して欲しかったな・・・。
おまけに、私の両親はまさきの母親の両親に対し非常識な人間たちだとの思いがあるのにもかかわらず、知ってか知らずか、まさきの母親は実家の間抜け具合を自ら私の両親に話してしまうのだ。親戚のこともそれなりに聞かせてしまうのです。それらについて否定と言うか、やんわりと意見や助言らしきものをすると、
私も私のお母さんも馬鹿じゃないですからぁ~!
何度か言ったセリフらしく私の両親もあきれ果てていました。親がダメなら子もダメだということがキッチリばれました・・・。親のことを悪く言われれば面白くないでしょうが、あのキチ親では言いたくもなります。このあとも笑えることが続くのですから・・・。
私もはっきり言わせていただきます。かなりの馬鹿家族です。今更ながらですが、泣きだしたくなるくらいの大馬鹿家族です。
まっ、色々あってどんどん溝が深まっていくのでありました。
京都から戻っての一年半のアパート生活の時は馬鹿が治らない狂った家族の言動に私の心は打ち砕かれ、同居によりまさきの母親のストレスがたまり、私の母親はあきれ果て崩壊へのカウントダウンが始まりました。
穏やかに過ごせたのは家を新築する準備を始めたの2009年春から新居に引っ越す冬までの10カ月程度だったかな・・・。
同居開始した2009年12月からのこと
京都から戻り初めの半年くらいで目も眩むような狂った家族のキチガイっぷりを見せつけられまさきの母親と結婚してしばらくしてから頭に浮かんでいたことを予定よりも早く実行に移すことにしました。私の両親との同居です。2009年12月より開始しました。私の父親が建てた狭いけど軽量鉄骨の積水ハウスをぶっ壊してこれまた狭いのですがミサワホームで木造三階建に建替えました。
建替え前には、もちろん建売住宅なども再検討しましたが、実家より便利なところは躊躇してしまうような金額でした。まさきが中学受験をすることとなった場合や就職してもしばらくは家に居るであろうことなどを考えると私の実家よりもさらに田舎に行く事は出来ないと思いました。低所得なので老後のことを考えるとあまり大きな借金は抱えたくなかったのである。もちろん狂った家族を近づけないようにするとの意味も小さくはない。てか、大きな理由の一つであることは間違いない。余談ではあるが数年後に近所に売り出された建売住宅は実家の土地よりも広いのだが、うちの建物だけよりも安いのであった・・・・。まっ、地元の工務店で建てたのは皆そうなんだけど・・・。
実際、一緒に生活を始めてみると目立つのです。まさきの母親の間抜け具合が・・・。
それは嫁姑とはいえ結局のところ違う家庭で育った他人なのです。私の母親のきつい面もありました。何でもチャキチャキとこなす母親と要領を得ないながらも頑張っているまさきの母親・・・。性格的に合わないのです・・・・。私はたとえ夕飯の支度を15時過ぎから始めていたとしても作ってはくれるので文句はないのですが、母親はイライラしていたのでしょう。今更ですが、母親には要領が悪いのくらい我慢して欲しかったな・・・。
おまけに、私の両親はまさきの母親の両親に対し非常識な人間たちだとの思いがあるのにもかかわらず、知ってか知らずか、まさきの母親は実家の間抜け具合を自ら私の両親に話してしまうのだ。親戚のこともそれなりに聞かせてしまうのです。それらについて否定と言うか、やんわりと意見や助言らしきものをすると、
私も私のお母さんも馬鹿じゃないですからぁ~!
何度か言ったセリフらしく私の両親もあきれ果てていました。親がダメなら子もダメだということがキッチリばれました・・・。親のことを悪く言われれば面白くないでしょうが、あのキチ親では言いたくもなります。このあとも笑えることが続くのですから・・・。
私もはっきり言わせていただきます。かなりの馬鹿家族です。今更ながらですが、泣きだしたくなるくらいの大馬鹿家族です。
まっ、色々あってどんどん溝が深まっていくのでありました。
京都から戻っての一年半のアパート生活の時は馬鹿が治らない狂った家族の言動に私の心は打ち砕かれ、同居によりまさきの母親のストレスがたまり、私の母親はあきれ果て崩壊へのカウントダウンが始まりました。
穏やかに過ごせたのは家を新築する準備を始めたの2009年春から新居に引っ越す冬までの10カ月程度だったかな・・・。
同居開始した2009年12月からのこと