ルターは、信仰による義認の「発見」によって自分自身でこの問題を解決しました。それは、ルターにとって、たとえ自分が常に致命的な罪を犯していたとしても、何の違いもないということを意味しました。キリストを自分の救世主として受け入れるだけで、キリストの功績が白いマントのように彼の上に投げかけられるのです。
ルターは失われることはなかった。どんなに罪を犯しても(背教しない限り)救われるからである。そこでルターは偉大な仲間であるメランヒトンに「大いに罪を犯しても、さらに大いに信じよ」と書いた(書簡501)。あるいは、もっと良い言い方をすれば(ルターは罪を犯すことを推奨しているとは理解されないので)、 「たとえ大きな罪を犯しても、さらに大いに信じよ」である。
よく見かけるバンパーステッカーにはこう書かれています。「キリスト教徒は完璧ではない、ただ許されているだけだ。」言い換えれば、キリスト教徒は好きなだけ罪を犯しても罰を受けずに済む。他の人々は、同じ罪を犯しても地獄に落ちる。