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島津氏の豊後侵略の乱妨取りで島津氏に拉致された豊後国領民の一部が肥後国に売られていた

天正14年(1586年)の『フロイス日本史』は島津氏の豊後侵略の乱妨取りで島津氏に拉致された豊後国領民の一部が肥後国に売られていた惨状を記録している[57]。『上井覚兼日記』天正14年7月12日条によると
路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。— 『上井覚兼日記』天正14年7月12日条
と同様の記録を残している。天正16年(1588年)8月、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状で
豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること— 『下川文書』天正十六年(1588年)8月
と、天正16年(1588年)閏5月15日に肥後に配置されたばかりの加藤清正と小西行長に、奴隷を買ったものに補償をせず「買い損」とするよう通知している。同天正16年(1588年)に同様の記録が島津家文書に残されている。
1596年(慶長元年)、長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンス(Don Pedro Martins)はキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達している。[58]
文禄・慶長の役では、秀吉は朝鮮半島の民衆を慰撫するため、乱取りなどの拉致行為を禁じる朱印状を発布した[59][60]が、朝鮮半島に従軍した僧慶念が『朝鮮日々記』に「日本よりもよろずの商人も来たりしたなかに人商いせる者来たり、奥陣より(日本軍の)後につき歩き、男女・老若買い取りて」と記したように、人身売買を目的とした商人が渡航していた。これらの奴隷商人は下級の兵士と通じて朝鮮人を調達していたため、加藤清正などは「乱暴狼藉に身分の低い者をこき使う者があったならば、その主人の責任として成敗を加える。」と禁令を発している[61]。
『多聞院日記』によれば、朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた[62]。人身売買は長崎などで行われ、イタリアの商人カルレッティは、朝鮮人は1人あたり銀24匁(米1斗=銀1匁)ほどで売られていたと記録している[63]。






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