不思議な縁でこの世に生まれてきたものの、何のために生きているのかわからず、考えても仕方がないから、がむしゃらに仕事をしたり、趣味に没頭したり、自暴自棄になったりと…自己中心的な生き方を肯定してしまう。
でも、人生の第一優先は何だろうか?
朝、目が覚めた直後や就寝時に何を考えているだろうか?
この質問への回答内容こそが、回答者のアイデンティティだと思う。
この質問への回答内容こそが、回答者のアイデンティティだと思う。
仕事、お金、富、地位…は、死んで持っていけないし、事前に天に積んでおけないので人生の第一優先事項に挙げるのは、ちょっと違う気がする。
また、祝福されない人生は何をやっても空回り、これもまた虚しい。
祝福された人生こそ喜びです。
世界のベストセラーである聖書は、人間は天地万物をお造りになった主なる神によって創造された…と伝えていますが、それと対局にあるのが、生物は偶然に生まれて進化し続けて今日があるという説です。つまり神はいないという説です。
ことの始まりを誰一人目撃していないので、いずれにしましても信仰が働く分野になります。
私は祝福された人生を歩みたい。
創造主なる神が求めておられる礼拝者として、「生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」という思いを持って
生涯を全うしたい。
"はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"
創世記 1章 1〜5節
"イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」"
ヨハネの福音書 4章 21〜24節
"だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。"
マタイの福音書 6章 24〜34節
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