実は、エイサーのルーツはいわき市の念仏踊り【じゃんがら】にあります。
いわき市で育った浄土宗の僧袋中上人が、明に渡ろうとして沖縄に流れ着き、滞在中に伝えた【念仏踊り】が変化を遂げて、現在のエイサーとなったということです。
・・・と偉そうに書いてみたものの、数年エイサーをやっていたこともあったのに、実は、つい最近知ったことです(^^;
エイサーのルーツをたどり、現地のじゃんがらを踊る団体(大人の団体だけで100以上あるそうです)と交流を深め、袋中上人にエイサー奉納を行いたい、と企画していたのは、今年の2月不慮の事故で亡くなったKさん。
彼が亡くなった後、今度は震災・・・と次々に不幸に襲われましたが、Kさんの思いを実現させたい、というたくさんの方の気持ちが集まり、今回のイベント開催となったのでした。
今回は、1日目は、袋中上人ゆかりの2つのお寺で奉納エイサーを行い、2日目は復興支援イベントに参加、というものです。
今回のエイサーは、このイベントのために集まったメンバーのため、色々な団体でエイサーをやっていた(やっている)人たちが集まっています。
そのため、イッセー君も毎週日曜日は練習に通っていました。
最初に奉納エイサーを行ったのは、袋中上人が得度したお寺の能満寺です。


袋中上人は1552年に生まれ、7歳で寺に預けられたということで、このお寺は500年以上の歴史を誇る古刹です。
マイクロバス2台と乗用車数台、総勢60名という大人数での参加。
でも、実際の出演者は30名弱でしたが(笑)
我が家同様、付き添い多数でしたが、この中には、Kさんの奥さんやこどもたち(といってもぼっちゃんより年上)も参加していました。
到着してすぐに、昼食ということでお弁当を食べ、そして、準備や打ち合わせをしている間に、片づけを付き添いの人間数名でやっていたのですが・・・気づいたら、ぼっちゃんと私が仕切り倒していました(爆)
私とイッセー君は筋金入りの仕切り屋ですが、そういうの嫌がってたぼっちゃんなのに、吹奏楽始めてから、血が騒ぎ出したらしい(*≧m≦*)
元々、イベントの運営側に回って、あちこちつれまわされているから場慣れしてるというのもあるみたいです(笑)
片付けも準備も打ち合わせも終わって、一緒に奉納演舞をする子どもじゃんがらの準備待ちをしている時に、イッセー君が「Kさんの奥さんに挨拶したら」と引き合わせてくれました。
どう、ご挨拶したら・・・と戸惑いもしたのですが、なんと、一緒にお片づけをしていた方(笑)
あら、と笑顔でご挨拶できたのは、ホッとしました。
笑ったのは、イッセー君がぼっちゃんを「うちの子です」と紹介したとき「えええっ!?」と驚いていたこと。
実年齢17歳ですが見た目23歳のぼっちゃんと、実年齢47歳ですが40台そこそこに見えるイッセー君、見た目年齢が歩み寄ってしまい、紹介する度に驚かれます(笑)
演舞の時間が近づき、エイサーが見える場所に遺影が置かれました。

いくつもあるのは、ここしばらくの間、何名か沖縄に関わる方たちが急逝する、ということが続いていたからです・・・切ないです・・・
でも、Kさん以外にも、亡くなった方の子どもさんが参加していて、父の遺志を継ごうとしていたことには感動しました。
2つのお寺での演舞を見ながら、奥様が時折涙をぬぐっていたのですが、最後には号泣されていたのには、私も涙を誘われました・・・
何重もの思いがこもったエイサー、Kさんや震災で亡くなられた方たちのいる天に届いた、と思いたいです。
最後に、音声が悪いのですが、演舞の動画を2つUPしたのをご紹介します。
長いので、お時間があるときにでもご覧ください。
最後、番外編・・・