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毎日のほのぼの「嬉しい」「感謝」探し、してみませんか。

日常に埋もれている嬉しい事や感謝を実際に文字にしてみませんか?四葉のクローバーのように探せばきっとあるはず・・。

表現は止まる、現実感は・・・

2010-05-21 | 日記
やっと、やっと蝶が撮れました。もっと大事な用事も忘れましたが・・・。

そこで養老孟司の本にあった、言葉は表現なので物事を止める。必要な伝達手段だけれど、自分の経験にしないと、変化していく現実に実存感が持てなくなる・・と。
まるでテレビを見たり、見たいものだけみたり、聞きたい事だけ聞いて、凄く頭の良い方が不思議なことを並行して考えられる・・・。

生きているものに感じるには、自分とは違うという感覚にならないために「経験する」「触れる」「共感する」等で豊かな感覚になると思います。といっても、蝶も「触れる」で死んでしまったら絶滅する位な数かもしれませんけど。
それも「感じて」その後「何とかする」にいきたいものです。

賢いけれど、現実がTVゲームみたいな人は怖いです。
蝶だって生きていますし、脳がないものも神経があれば生きています。「手当て」の通り、手も当てるくらいに触れ合うのも安心感。といっても、自分は今は仔犬との話。ちゃんと「ママンにそのペッポ君、にゃん太(おもちゃ)を頂戴」というと持ってきて目の前に置いて、鼻先でよこします。一番大事なのは口にしてはいけないものを持っていった時で、そういう時も「ママンに頂戴」というと寄こすので助かります。ラップのごみとか・・・危ないですから訓練しておいて良かったです。命の価値が同じだからこそ、厳しくせねばいけない事も多々。

こうやって文字にしている間にも、また自分なりに考えて、何かご褒美もらえる技を繰り出すかもしれません?!相手も世界も自分も生きている、「手のひらを太陽に♪」の方の訃報がありましたが真っ赤な血でなくても、皆仲良く。we are the world , we are the chirdren ... make a better day ! とありたいものです。

余談。我が家の仔犬は「ポチタマ」と「大江戸捜査網」は画面にかぶりついています。なぜか・・言葉になればいいのに。里見光太郎か?と助さんみせてもダメでした。