+*Adoramus te, Christe!*+

キリストよ、我らはあなたを崇め、賛美します。
なぜならあなたは尊い十字架によって、世を救われたからです。

B年 待降節第3主日(Lectio Divinaで味わう主日の福音)

2011年12月10日 | Lectio Divina☆主日の福音
12月11日 待降節第3主日(Lectio Divina B年)
世の光


福音朗読 ヨハネによる福音書 1章6~8、19~28節

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。
光について証しをするため、
また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

さて、ヨハネの証しはこうである。
エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、
「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。

彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、
ヨハネは、「違う」と言った。
更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。

そこで、彼らは言った。
「それではいったい、だれなのです。
わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。
あなたは自分を何だと言うのですか。」

ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」

遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
彼らがヨハネに尋ねて、
「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、
なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。
「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、
あなたがたの知らない方がおられる。
その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」

これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、
ベタニアでの出来事であった。 」


他の朗読:
第1朗読 イザヤ書 61章1~2a、10~11節
第2朗読 テサロニケの信徒への手紙一 5章16~24節


Lectio …読む

今週私たちはヨハネによる福音書の最初の部分を深めたいと思います。洗礼者ヨハネを紹介する6~8節は、序文とも言える1~18節に挿入された短い注です。これは「言(ロゴス)」であるイエスへの賛歌です。

  洗礼者ヨハネは「全ての人が彼によって信じるようになるため」、「光について証しするため」に遣わされた神からの使者として描かれています。福音記者はヨハネは「光ではない」ことを明確にしています。イエスこそが「光」なのです。

  19~28章において、私たちはヨハネとユダヤ教の権威であったファリサイ派から送られてきた人々との出会いについて聞きます。ヨハネは預言者か、エリヤ、またはメシアその人ではないのか、という噂が流れていたようです。そのためファリサイ派の人々は、ヨハネが何者か、何故人々に洗礼を授けるのか、を知ろうとして何人かの祭司とレビ人を送ったのです。

  ヨハネはその内のどれでもないと明言しました。彼はイザヤ書の40章3節の予言を引用して、自分の役割は主の道を整えることだ、と説明したのです。ヨハネは実際に荒れ野で説教をしていました。だから、彼はイザヤが描いた「荒れ野で叫ぶ声」そのものであったのです。

  ヨハネは自分が救世主ではないことを明確にする一方で、26、27節でとても興味深い言葉を述べています。「あなたがたの中には、あなたがたの知らないお方がおられる。その人は私のあとから来られるお方で、私はその履物のひもを解く資格もない」と。この時点においてはそれ以上何も描かれず、記者は物語を進めます。ファリサイ派から送られた人々が戻って何を報告したのか、私たちには明らかにされません。


Meditatio …黙想する

イエスは「光」であると記されています。私たちの忙し過ぎる世界において、どのようにイエスは今日の人々の「光」になり得るのか、考えてみましょう。

洗礼者ヨハネはイエスについて「語る」ために神から遣わされました。ギリシア語で「語る」という言葉には「見たことを証言する」という意味があります。つまりヨハネは証言者だったのです。私たちの現代社会において、「証し」はどれだけ必要でしょうか。あなたはイエスを証しするために、何を話し、また行うことができるのでしょうか。 


Oratio …祈る

マリアの賛歌はこの朗読箇所(ルカ1章46~55節)の中心に響き渡ります。マリアの賛歌をあなた自身の喜びの祈りとして、各節の言葉に留まり、感謝を捧げてみましょう。


Contemplatio …観想する

「あなたがたの中には、あなたがたの知らないお方がおられる。」数分の間、この言葉に留まって思い巡らせてみましょう。このことについて明かしてくれるよう、神に祈ってみましょう。あなたが特定の人やあなた自身のために祈るように、そしてイエスをより深く知るように促されているのを感じないでしょうか。

  イザヤ61章1、2節からとられた今日の朗読で、私たちは「メシアは神の霊に満たされて、良い知らせと解放をもたらす」という素晴らしい宣言を聞きます。あなたにとってメシアはどのような人ですか。

Ⅰテサロニケ5章16~24節で、パウロは私たちに良い弟子であるにはどうすればよいかを教えています。彼の勧めに従うことは、イエスのよりよい証し人になることを助けるでしょう。

(日本聖書協会のホームページを参考にさせていただきました。)


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