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紅葉深まる紀尾井町 大久保利通公の哀悼碑を訪ねる

2017年12月06日 | 千代田区

◆イグナチオ教会

昭和11年(1936)、麹町聖テレジア教会として麹町区下六番町に開かれた。昭和25年(1950)、現在の地に「カトリック修道会イエズス会」の創立者聖イグナチオ・デ・ロヨラの名を冠したイグナチオ教会が建てられた。平成11年(1999)、現在の聖堂に建て替えられた。イエズス会日本本部がここに置かれている。

 

 

◆尾張徳川家跡

イグナチオ教会や上智大学、その周辺をも占める敷地で、面積は5.9ha。寛永14年(1637)拝領以降、中屋敷として利用され元禄10年(1697)には将軍の御成御殿が作られるなど、江戸時代中期までは主要な屋敷として利用されていた。明和4年(1767)上屋敷が拡張されると、麹町邸は藩士長屋や畑地利用となり幕末を迎えた。

 

◆食違い見附

土塁を喰違わせた構造で、中世城郭以来の古い形態の虎口。慶長年間に造られ、後の時代に仮番所や木戸が作られた。明治になり木戸は撤去されるが土橋や喰違いの形態は残されている。

 

◆紀尾井坂

食違見附から東に下る坂で坂下は清水谷。坂の名は隣接する紀州・尾張・井伊家に由来する。

 

◆清水谷公園

この辺りは谷地で清水が湧き出ていたことから「清水谷」と呼ばれていた。江戸時代は紀州徳川家上屋敷で、明治に国のものとなり北白川宮家の屋敷地になっていた。大久保利通がこの近くで暗殺され、哀悼碑が建てられ周辺が整備された。明治23(1890)東京市の公園として発足した。

◆大久保利通哀悼碑

明治11年(1878)、大久保利通が霞が関の自邸から赤阪御所(現迎賓館)に登庁の折、紀尾井坂下(清水谷)で石川県の士族島田一郎らに襲われ暗殺された。10年後の明治21年(1888)、遭難地に哀悼碑が建てられた。表には龍が刻まれ、中央に「贈右大臣大久保利通公哀悼碑」とあり、文は裏面に標されている。

柵の内側の樹木は、鹿児島県の県木「カイコウズ」 鹿児島市の木「キョウチクトウ」

 

◆上水石桝

 昭和45年(1970)、麹町通(新宿通)拡幅工事の際、麹町三丁目から発見された玉川上水幹線の一部。同時に発見された木樋は日比谷図書文化館に保存されている。

 

◆東京ガーデンテラス紀尾井町

グランドプリンスホテル赤坂の跡地に、平成28年(2016)7月27日オープン(地下商業施設は5月10日先行オープン)した複合施設。2棟の高層建物で、地上36階 地下2階の「オフィス・ホテル棟」、135戸の賃貸住宅の「住宅棟」は、地上21階、地下2階。

 

ビオトープ整備による生物多様性の保全と再生の取り組みにより「都会のオアシス」に認定されたガーデン

ロゴとさくらが標された敷石

  

 

◆クラッシックハウス

旧李王家邸宅は、昭和5年(1930)、宮内省内匠寮によってチューダー・ゴシック様式で建てられた。昭和30年(1955)赤坂プリンスホテルとして開業。平成23年(2011)東京都の有形文化財に指定された。

平成28年(2016)7月、1Fにバンケットを増築し、レストラン・バー・カフェとバンケットルームを備えた「東京ガーデンテラス紀尾井町」のシンボル的な建物として開業した。

◆赤坂御門跡

寛永13年(1636)、黒田忠之が桝形石垣を築き、寛永16年(1639)に門が完成した。大山道の重要な門だった。明治4年(1871)渡櫓門は取り壊され、明治30年(1897)桝形石垣は大部分が撤去された。

弁慶濠に面する石垣には黒田家の裏家紋の「裏銭」などの刻印石がある

 

◆弁慶橋

明治22年(1889)に架橋 神田松枝町と岩本町との間にあった弁慶橋の旧材を利用して架けられ、擬宝珠は浅草橋や筋違橋のものが使われた。橋名は元の弁慶橋に由来する。明治44年(1911)と昭和2年(1927)架け替えられた。現在の橋は昭和60年(1985)に、長さ41m幅22mのコンクリート橋に架け替えられた。



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