昨日は、大好きな星野道夫さんの11回忌でした。
(その事を知ったのは、今日になってからですが・・・。)
写真家であり、エッセイストでもあった、星野道夫さん。
アラスカの自然、野生動物、そこに暮らす人々を撮り続け、語り続けた人。
私が彼のことを知ったのは、彼が亡くなってずいぶんと経ってから、龍村仁監督の『地球交響曲第三番 魂の旅』という本を読んだのが、きっかけでした。
写真ももちろん好きだけど、なにより彼の文章がすごく好き。
自然と人間のつながり、生と死、無窮の時の流れ。
優しくて、暖かくて、それでいて淡々としている。
時々、彼のエッセイを思い出したように読む。
昨日は、前日図書館で借りてきた『終わりのない旅 星野道夫インタビュー』という本を読んだとこだった。
初めて読む本で、星野さんの魅力に改めて触れ、昨日という日にこの本に出逢えたことがすごく嬉しい。
ヒグマに襲われ急逝してしまった、星野さん。
彼の『ノーザンライツ』という作品は、最後の部分、旅は中断されたまま終わっている。
それは、彼が亡くなったからなんだけど、旅はそこで終わるのではなく、別のかたちでずっと続いていくような、さらなる広がりをみせるような、そんな印象を受ける。
『旅をする木』に出てくる、1本のトウヒような・・・。
"きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ。"
と書いていた、星野さんらしい終わり方だと思う。
その旅は、私の中でもどこかで繋がっているのかもしれない、と思わせてくれる。
人工的で消費的な今の暮らしのなかで、星野さんのメッセージには強い力があり、忘れそうになる大切なことを思い出させてくれる気がする。
ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。
きっと、自然とはそれ自身何の意味さえもたないものなのかもしれない。そして、そこに、何か意味を見出そうとするのが私たち人間なのだろうか。
星野さんのエッセイをまだ読んだことがない方は、是非一度読んでみて、感じてみてください!!
(その事を知ったのは、今日になってからですが・・・。)
写真家であり、エッセイストでもあった、星野道夫さん。
アラスカの自然、野生動物、そこに暮らす人々を撮り続け、語り続けた人。
私が彼のことを知ったのは、彼が亡くなってずいぶんと経ってから、龍村仁監督の『地球交響曲第三番 魂の旅』という本を読んだのが、きっかけでした。
写真ももちろん好きだけど、なにより彼の文章がすごく好き。
自然と人間のつながり、生と死、無窮の時の流れ。
優しくて、暖かくて、それでいて淡々としている。
時々、彼のエッセイを思い出したように読む。
昨日は、前日図書館で借りてきた『終わりのない旅 星野道夫インタビュー』という本を読んだとこだった。
初めて読む本で、星野さんの魅力に改めて触れ、昨日という日にこの本に出逢えたことがすごく嬉しい。
ヒグマに襲われ急逝してしまった、星野さん。
彼の『ノーザンライツ』という作品は、最後の部分、旅は中断されたまま終わっている。
それは、彼が亡くなったからなんだけど、旅はそこで終わるのではなく、別のかたちでずっと続いていくような、さらなる広がりをみせるような、そんな印象を受ける。
『旅をする木』に出てくる、1本のトウヒような・・・。
"きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ。"
と書いていた、星野さんらしい終わり方だと思う。
その旅は、私の中でもどこかで繋がっているのかもしれない、と思わせてくれる。
人工的で消費的な今の暮らしのなかで、星野さんのメッセージには強い力があり、忘れそうになる大切なことを思い出させてくれる気がする。
ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。
きっと、自然とはそれ自身何の意味さえもたないものなのかもしれない。そして、そこに、何か意味を見出そうとするのが私たち人間なのだろうか。
星野さんのエッセイをまだ読んだことがない方は、是非一度読んでみて、感じてみてください!!