台風が接近中です。
徳島も風雨が強くなってきました。
災害が少ないと良いのですが・・・。
八ヶ岳行きが決まってから、
本を読んだり、DVD観たり、ネットしたり、
のんびりと過ごしています。
準備は、全くできてません。σ(^-^;)
老後の心配だったり、就職の悩みだったり、自分のしたいことだったり、
色んな悩みも尽きませんが、それより今はこの状況をしっかり捉えて学ぶことが大切だと思えるようになりました。
これから行こうとしている八ヶ岳倶楽部は、雑木林の中にあります。
雑木林とは、二次林のことで、一般には、里山と言われたりします。
他には、人工林や自然林(原生林)などがあります。
現在の日本の山の多くは、人工林と二次林。自然林はごくわずか。
家を建てる材料や燃料として木をメインに使っていた頃、生産のため人工的に多くの木が植えられた。
加工に適した種類の木を、狭い間隔で植えていく。そうすると、木は横に枝を張ることができず、結果として細いけれどまっすぐな木がたくさんできる。
でも、燃料が石油に代わり、木の需要が減ってしまう。木を育てて生産するのは、大変で手がかかる。そうまでして木を生産するより、外国から安い木材を輸入した方がコストがかからない。ほったらかしにされていく。
人工的に植えられた木は、種類も少なく、環境のサイクルも元あったものとは変わっていく。
木は、枝と同じだけ地中に根を張る。枝の広がらない木が多いということは、根も張っていないということ。そうなると、地面を掴む力が弱く、地すべりを起こしやすい林になってしまう。
結果、私たちの生活にも危険が及ぶ。
本来、木は自分の子孫を残すため、同じ場所に密集して生えることはないそうです。そして、色んな木があることで、色んな昆虫も集まり、豊かな土地になる。
(浅い知識で書いたので、語弊や間違いがあったらごめんなさい。)
自然というのは、
大きなサイクルの中で、自然と生き物が助け合い共存して、生きてる場所だと思う。環境の変化に合わせ、生き延びられるよう生態系を変えたりしながら。
でも、人間は考える能力を持ち、科学を発達させるようになった。
もともと自然界になかったものを生み出し、便利さを追求するようになった。
今はそれが進みすぎて、人間が自然をも支配できるという錯覚を起こしてしまっている人もいる。
クローンを作ったり、化学兵器を作ったり。
私も科学の恩恵を受けて育っているし、便利なことをありがたく思い、たくさん使っている。
でも最近は、いき過ぎじゃない?、そこまでする必要があるの?って思えるのが、どんどん増えている。
時間にゆとりが持てるようにと、早く移動できる乗り物、手をかけないで機械がやってくれるもの、どんどん出てくる。
それでも、時間が足りない、忙しいと言う人が多い。
心のゆとりは、モノでは埋められない。
目に見えるものと、見えないものに対する価値が、おかしくなっている。
他にも、きちんと設計された公園や花壇を見た時、わぁ~綺麗なぁ!すごいなぁ!って思うけど、どこか窮屈だったりのんびりできない気分にもなる。親近感が湧かないというか・・・。
それって、生きてる気配が少ないからなんじゃないかなって思う。
それが、良い悪いっていうんじゃない。
原生林には、人は入れない。そこで生きられる程、人は強くない。
でも、そこに思いを馳せるのは楽しい。
人も自然の一部。仲良く生きられるのが、一番良い。
何かを得ようとすると、何かを失う。
便利さの代償は、心の豊かさだと思う。
それって、すごく大切なもの。
選ぶ自由は私たちにあるのだから、良いと思えるものを選んでいきたい。
理想と現実にギャップはあるけど、少しずつでもそうしたい、そういう意識を持ち続けたい。
徳島も風雨が強くなってきました。
災害が少ないと良いのですが・・・。
八ヶ岳行きが決まってから、
本を読んだり、DVD観たり、ネットしたり、
のんびりと過ごしています。
準備は、全くできてません。σ(^-^;)
老後の心配だったり、就職の悩みだったり、自分のしたいことだったり、
色んな悩みも尽きませんが、それより今はこの状況をしっかり捉えて学ぶことが大切だと思えるようになりました。
これから行こうとしている八ヶ岳倶楽部は、雑木林の中にあります。
雑木林とは、二次林のことで、一般には、里山と言われたりします。
他には、人工林や自然林(原生林)などがあります。
現在の日本の山の多くは、人工林と二次林。自然林はごくわずか。
家を建てる材料や燃料として木をメインに使っていた頃、生産のため人工的に多くの木が植えられた。
加工に適した種類の木を、狭い間隔で植えていく。そうすると、木は横に枝を張ることができず、結果として細いけれどまっすぐな木がたくさんできる。
でも、燃料が石油に代わり、木の需要が減ってしまう。木を育てて生産するのは、大変で手がかかる。そうまでして木を生産するより、外国から安い木材を輸入した方がコストがかからない。ほったらかしにされていく。
人工的に植えられた木は、種類も少なく、環境のサイクルも元あったものとは変わっていく。
木は、枝と同じだけ地中に根を張る。枝の広がらない木が多いということは、根も張っていないということ。そうなると、地面を掴む力が弱く、地すべりを起こしやすい林になってしまう。
結果、私たちの生活にも危険が及ぶ。
本来、木は自分の子孫を残すため、同じ場所に密集して生えることはないそうです。そして、色んな木があることで、色んな昆虫も集まり、豊かな土地になる。
(浅い知識で書いたので、語弊や間違いがあったらごめんなさい。)
自然というのは、
大きなサイクルの中で、自然と生き物が助け合い共存して、生きてる場所だと思う。環境の変化に合わせ、生き延びられるよう生態系を変えたりしながら。
でも、人間は考える能力を持ち、科学を発達させるようになった。
もともと自然界になかったものを生み出し、便利さを追求するようになった。
今はそれが進みすぎて、人間が自然をも支配できるという錯覚を起こしてしまっている人もいる。
クローンを作ったり、化学兵器を作ったり。
私も科学の恩恵を受けて育っているし、便利なことをありがたく思い、たくさん使っている。
でも最近は、いき過ぎじゃない?、そこまでする必要があるの?って思えるのが、どんどん増えている。
時間にゆとりが持てるようにと、早く移動できる乗り物、手をかけないで機械がやってくれるもの、どんどん出てくる。
それでも、時間が足りない、忙しいと言う人が多い。
心のゆとりは、モノでは埋められない。
目に見えるものと、見えないものに対する価値が、おかしくなっている。
他にも、きちんと設計された公園や花壇を見た時、わぁ~綺麗なぁ!すごいなぁ!って思うけど、どこか窮屈だったりのんびりできない気分にもなる。親近感が湧かないというか・・・。
それって、生きてる気配が少ないからなんじゃないかなって思う。
それが、良い悪いっていうんじゃない。
原生林には、人は入れない。そこで生きられる程、人は強くない。
でも、そこに思いを馳せるのは楽しい。
人も自然の一部。仲良く生きられるのが、一番良い。
何かを得ようとすると、何かを失う。
便利さの代償は、心の豊かさだと思う。
それって、すごく大切なもの。
選ぶ自由は私たちにあるのだから、良いと思えるものを選んでいきたい。
理想と現実にギャップはあるけど、少しずつでもそうしたい、そういう意識を持ち続けたい。