なんだか時間だけ過ぎてしまいました。
昨年の12/6の3回(⇒その1、その2)に記事をわけた新川葛西史談会の新川フィールドワーク
最後は法然寺の塩(掛け)地蔵です。先のご住職 大谷寿雄さんに貴重なお話を伺うことができました。
〇法然寺
住所:江戸川区船堀2-10-10
浄土宗で、光照山影尊院と号します。元和2年(1616)一蓮社専誉了雲上人の開山で、本尊は山越の来迎阿弥陀如来像です。
当寺は文久3年(1863)十九世昌誉龍定によって書道家塾が開かれ、明治に入って平船学校を開設し、現在の船堀小学校の
前身となっています。(寺宝として来迎の阿弥陀如来画像、釈迦涅槃画像を所蔵しています。(以下省略)
■笠つき庚申塔(万治二年銘)
■青面金剛像庚申塔(寛文六年銘)
ともに区登録有形民俗文化財
〇新川河岸「塩の道」を行きかう人々を見守った塩(掛け)地蔵
塩(掛け)地蔵・・建立時期不詳。昭和14,5年ごろから法然寺で祀る。
先代ご住職 大谷寿雄さんが案内してくださった。
新川河岸に地蔵様が立っていて、行徳の塩を江戸に運ぶ途中の船が塩を供え安全祈願をした
とのいわれがあるが、建立時期など詳細は不明。塩掛け地蔵と呼ばれ、もとは荒川放水路の
真ん中辺りの位置に立っていたが、放水路開削により宇田川金八さんの家の隣地に移された。
屋根のついたかなり大きな建物の中に安置されてたという。昭和14,5年代に法然寺に祀られるように
なったという。
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お地蔵様、たいそうな福耳!そしてなんとも柔和な顔をしてらっしゃいます。
舟運の賑わいと喧噪のなか、お地蔵様は航行の無事を祈り手を合わせる人々を
あたたかく見守っていたのでしょう。
〇笠付の角柱型庚申塔(万治二年銘) 江戸川区登録有形民俗文化財
区内でも最も古い時代のもののひとつ、 万冶2年(1659年)の傘つき庚申塔(写真・右)
参考資料: ※江戸川区の文化財第五集 江戸川区教育委員会
〇青面金剛像庚申塔(寛文6年銘) 江戸川区登録有形民俗文化財
~写真アルバム~
〇 新川葛西史談会(12/6)新川フィールドワーク
アルバム:20141206_新川葛西史談会第二回新川フィールドワーク
〇個人で、この7月に、お隣の江東区までちょこっとフィールドワーク、宝塔寺の塩舐め地蔵めぐりました。
⇒アルバム:20150729_荒川・小名木川散策・宝塔寺塩舐め地蔵参り
~地図~
〇塩の道地図をつくってみました。
〇このあたりの今昔の地図をwebサービスで見てみる。
※塩(掛け)地蔵のあった場所は、西船堀村 新川河岸
今の地図でみると、荒川の真ん中あたりだったという。
荒川開削で水没、昭和14,5年に法然寺に祀られました。
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「塩の道マップ」というタイトルつけてみたけれど、単に塩だけではありませんね。
ここは、利根川の東遷、江戸川の改修により利根川~江戸川~新川~小名木川のルートが、
北関東や東北から江戸へ物資を運ぶ舟運の重要な川となったわけで、
もっとポイントを増やして充実した地図を作ってみたいな・・なんて。
その前に撮りためた写真に簡単でも文章を添えて、ブログにアップしなきゃだわ。(^^;
〇参考引用資料:江戸川区立図書館 デジタルアーカイブ
〇参考地図 :今昔マップon the web