昭和史に刻むわれらが道統

2010年09月11日 11時42分40秒 | 政治と宗教
昭和史に刻むわれらが道統

                   

加納有輝彦氏のブログから転載しました

http://ameblo.jp/papadad/entry-10643271325.html

 2010-09-09   さきの参院選を通じて、地域の中小企業経営者に経営指導しておられるN先生の知遇を得た。大変有り難いご縁を頂きました。
N先生は、地域に対する愛情並々ならぬものがあり、ただのお人でないことは一目瞭然、尊敬の念を抱いておりました。
 つい最近のこと、先生から、ご自身の経歴のさわりを伺うことができました。かつて「日本を守る会」で黛敏郎先生とであい、小田村寅二郎先生の勉強会を実施していたという事です。

 黛敏郎先生は、TV番組「題名のない音楽会」の司会で私たちの世代もよく存知あげている方です。しかし、恥ずかしながら小田村寅ニ郎先生の名は私は知りませんでした。

 そこで、小田村氏の代表的著作「昭和史に刻むわれらが道統」を古本屋から入手し、読んでみました。300Pを超えるもので、ところどころ活字が小さく、難儀しましたが読破しました。

 小田村氏は、日本の「良き伝統文化や尊い歴史伝統」を次代を担う大学生や若者に伝えていくことを目的とし戦後設立された国民文化研究会の初代理事長。この国民文化研究会(以下国文研)の源は、大正15年、一高の学内文化団体までその歴史を遡る。

 本書「昭和史に刻むわれらが道統」は、国文研の前身、日本学生協会と精神科学研究所の成立過程、そして運動の歴史を、克明に記録したものである。大正末期から昭和初期、そして東条内閣により解散される昭和18年までの主に学生運動(現在の左翼的学生運動とは反対の日本精神復古運動)の歴史である。

 
 現在、戦後民主主義の集大成ともいえる「国家社会主義政権」と言える民主党政権により、戦後最大の危機を日本は迎えている。この国難を打破すべく幸福実現党が立党された。通常、戦後の思想的頽廃は、マッカーサー・ドクトリンにより日本弱体化(日本否定)が図られたと言われている。しかし、本書を読むと、すでに戦前・戦中より時に高等教育機関において、左翼思想、国家社会主義を標榜する思想学風が蔓延していた事がわかる。
 著者は、戦前・戦中の東大の学生の身分で、それらの社会主義的学風(日本否定)の萌芽を認識し、大学の教育姿勢に対し、公然と批判を行った。その挙句、退学処分となり、これは当時の帝国議会でも取り上げられ「小田村事件」として人口に膾炙した。

 さらに著者は、退学処分の後も、運動に身を捧げ、東条内閣をも批判するに至った。大政翼賛会的体制の中に、統制経済から計画経済への移行の意図を見、これに危機感を募らせたのだ。戦争中であるので一時的な統制経済はやむを得ないと考えたが、計画経済とは、ずばり国家社会主義、共産主義のそれである。つまり、戦争のどさくさの中で、計画経済に移行しようとする意図に著者は批判を強めた。これらの批判を問題とし、東条内閣は日本学生協会と精神科学研究所を強制的に解散させたのである。

 その後、東条内閣は意趣返しとも見える暴挙に出たという。つまり学徒出陣以降、日本学生協会に関係した学徒を特に戦況の激烈な南方等に送ったという。

 
 戦前、戦中より日本学生協会の活動を通じ、「国家主義イデオロギー」によって、日本人の素直なる心情が歪曲されることに強く警鐘をならし、戦後の国民文化研究会も、戦後の「反戦平和イデオロギー」によって、同様の過ちが犯されることに再び警鐘を鳴らした・・・これらの活動の中心を担われた小田村氏。氏に師事したN先生とご縁を持てたこと、偶然とは思えず、国難と戦う決意を新たにいたしました。

 ちなみに、日本学生協会、精神科学研究所は、聖徳太子と明治天皇の御思想を学ぶ事を基本としていました。
 
以上、転載です
 
 
 
 
 
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