身体の調子が良くない、
リンパ腫れてるし、小鼻の横が疲れで腫れて痛ぇ。
中学の頃から、疲れが溜まると出る症状は変わらないものだな。
運動らしい運動も、水泳以外は全く出来てないし
血液の循環不良が手に取るように分かる。
頭もガンガンする。
だから今日は誘いに乗って、強引に練習に行ってみた。
ギシギシ言う身体を無理矢理動かすと、停滞していた血流が動き出す。
よしよし、あとは徐々に回転数を上げて行こう。
それでピークにまでは戻せる筈だ。
怪我をしてから、みるみる内に飛距離が伸びた。
笑えてくる、不完全を補う事で、現状における完全に近づく。
怪我の功名って奴なのか。分からんけど。
アイアンは完璧すぎて周囲が驚いてる。
僕はそれが全然嬉しくない。
元々アイアンは得意なんだから。
どうもパワー馬鹿の飛ばし自慢だと勘違いされてたみたいで。
まぁ分かってくれたらそれで良いんだけど。
親友たちはみんな、上手く生きてるみたい。
心底、それが嬉しい。
僕はこういう生き方しか出来ないみたいだから、やれる所まで全力疾走してみようと思う。
勿論僕なりに上手くやるよ、君らみたいに優しくもないし器用でもないけれど…
良いお手本がいてくれるから、僕みたいな不器用者でも
何とか生きていられるんだ。本当にありがとう。
「ごめんね」と
そう言ってくれた人には、返す言葉も見当たらない。
人は、自分の物語を生きる為に生まれたんだと僕は思っている。
例えば誰かの言いなりや、強制や、命令で過酷な運命を辿ったり、
或いは人的なアクシデントに巻き込まれて不幸に見舞われる人々もたくさん居て。
だけど、そういうのだけは「ごめん」じゃ済まない訳で。
逆に、それ以外の事なら「ごめん」なんて要らない訳で。
人には人の物語があるんだから、その物語を進んだ経緯に過ぎないんだから。
自分の物語を、悔いの残らないように紡いで、生きて。
幸せってものが何なのかは僕にはまだ分からないけれど、幸せを追って。
ごめん、なんて言ってくれなくて良いから、何処かで笑顔で居てくれたら良い。
ごめん、って言うべきなのは、僕の方なのかも知れないし、わかんないけど。
楽しいな、僕の物語。
ボロボロになってもまだ夢を追える。
ズタズタになってもまだこうして見守ってくれている人がいる。
昔はね、成功する人が羨ましくって妬ましくって仕方なかったりした。
でも今はそういうのがウソみたいになくなって、ろ過水みたいだ(笑)
精一杯、自分が何をするべきなのか考えて、そして見つけて打ち込んで。
失ったものはいっぱいあるし、一つ一つがすごく大きく、重かったけれど、
今手にしている二つの夢が、失ったものの何よりも大きく重く光り輝いてるから、
僕はやっとマシな人間になれたのかも知れない。
これも物語の起承転結に含まれる一節に過ぎず、
その中で出会った人に対して、一切の悔いも曇りもない。
「本当に良かった」
そう思える。
これがもしかしたら一つの「幸せ」って奴なのかも知れないな。
どういう結末を迎えるか、予想なんて出来もしないけれど
自分の可能性を自分から潰す事ほどバカな事はないと思うから
精一杯、でも若くはないから身体には気を付けながら、
僕の物語をこれからも紡いで行こうと思う。