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つらつら考えさせられる

こないだNHKの情報番組で、「片づけられない親」という特集をやっていました。──実家の片づけで娘と母親が対立することはよくあることらしく、それはコミュニケーションの問題で、思いが伝わらないことが一番の原因であると。(ましてや嫁は言わずもがな)
番組では「うちだけかと思ってたけど、結構どこもそうなんだー」というご意見がたくさん寄せられたみたいです。
……「捨てろ」は禁句だそうですね。「分けましょう」という言い方がよいみたいで。そして「~してあげている」と思うのはよくないと。

また、新聞の人生相談か何かで、「見下された体験を持つ者は、(そのことに対して)敏感」という文字を目にしました。さらに、「(この世代は)食べ物のことであれこれ言われると反発します」とも。
過剰な量の食べ物を買ったりふるまったり贈ったりすることは、この世代の性分として本当に仕方のないことなのかも──


ある人が言いました。「年をとる」ということだけでもうかわいそうなのだと。──年々、動かなくなっていく体がもどかしく、哀しく、腹立たしい。以前やれていたことがやれなくなっていく…惨めな思い。それはもう自分らの世代からでも感じ始めていることで、年を重ねていくということは、一つにはその腹立たしさ、惨めさが際立っていくということなんじゃないか。
自分自身それをどう受け入れるか…で人の生き方、物の考え方って変わってくるんだと思います。その実、受け入れられないでいることがかわいそうなのかも──

そんなことを思っていたら、くしくも恩師・平山一夫先生の命日7/14の夕刊で、「老いるとは、自分の年齢と折合いをつけることではないか、と考えるようになった」という一文で始まるある人の寄稿に目がとまりました。
「自分の年齢と気分との間には常になにがしかの食い違いがあり、それを埋めることが生きるという仕事であるのだ、ともいえるのかもしれない」と言い、「年齢と折合いをつけるとは、この両者間の距離をなるべく近づけようとする努力のことなのである」と。

年齢と気分の乖離──

頭が命令することに体がついてこれなかったり……
頭では理解しているのに、心がそのとおりに動かなかったり……


今朝のTV「○○イチ」では、『置かれた場所で咲きなさい』で有名なシスター渡辺和子さんが「今日より若い日はない。ふがいない自分を見捨てないで。自分が捨てたら誰も拾ってくれないんだから」ということをおっしゃっていました。
ほかにも──
人生に穴があくと、穴があくまで見えなかったことが見える。
私に返ってこなかったときは「神様のポケットに入る」と思うことにしている。(もっと苦しい人に回る)神様が一番いい使い方をしてくれると思うと、自分が救われる。
などなど……


日々の営みの慌ただしさの中で、ちょこちょこ考えさせられることが続いています。
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