東京の 歩いて行ける ディストピア
『東京棄景』廃屋満タンで第一回です。
今回は百人町・北新宿界隈をお送りします。
■データ
歴史:戦前から、清国の留学生が滞留するところだったようで、孫文さ
んもこちらのお住まいだったとか。(ちなみに実家の近くにも孫
文の石碑が。ご縁があるのか)
戦後は新宿闇市のバックヤードとして栄えたようです。戦後間も
なくからお住まいの方が多い様子。
衰退:住民の高齢化→地上げ→不景気です。新宿副都心の再開発がタイ
ミング悪かった所為で、中途半端に放り出されたようですね。
戦犯:上記の理由から、東京都ではないかと。何故か都は新宿が大好き。
昔から衛生研究所も同じ場所に建ってるし、都営の施設も多いよ。
■インプレッション
・百人町
サラ金時代によく大久保の法務局にお世話になっておりました。当時
から印象は大して変わらず、『ぶっちゃけ、新宿っつーか中野?』
という感じ。雰囲気が近いのね。
メインストリートである大久保通りはエスニック(特に韓国)料理屋
さんが並び、道行く人の日本語率は比較的低めですがスーパーもドラッ
グストアもある、普通の住宅街です。都心なのに。
そう、都心なのに、普通すぎる生活臭が。
理由は、一歩道を入ると分かります。家、しかないの。
その家も住んでいるのはお年寄り、もしくは家族。おそらく名義人の
お年寄りが亡くなれば、相続税のために手放せねばならないのでしょう、
主がいない家は、即廃屋になります(写真1-a)。そしてそこはジキに
更地へ。そんなあなぽこが、所々にあいた住宅地です。変な喩えですが、
老人病棟のような。伏目がちに空いたベッドを見るような。
奥へ奥へと進んで行くと、昔有名だった巨大廃墟、「国立地震研究所」
および建て直された「都立衛生研究所」のある一角へ。
ここはちょっとした丘になっております。そして、公共の施設だけがピカ
ピカにきれい。地震研究所の跡地は公園になっており、今では鬱蒼と樹木
が生い茂るところとなっておりますが、不気味な給水塔が黒々と、あたり
を睥睨しております(写真1-b)。
忍び込もうと思ったけど、隣が都営団地なんだよ・・・。
・北新宿
百人町から、小滝橋通りをひょいとまたぐと北新宿です。
災害対策職員寮と、教職員研修所の裏手に怪しい建物がありましたの
でこれは!と聞き込みしたところ、誰も人が入ってないというじゃあり
ませんか。
チャーンス!と思って侵入経路を探って門前まで来たら、なんと防災
物資の保管所になっておりました。がくり。というわけで掲載不可です
が、近隣お立ち寄りの際はぜひご覧下さい。けっこう異様ですよ。
そのまま南へ。中央線沿いだというのに、新宿なのにどっぷりと不景
気な界隈を抜け、西新宿の高層ビルを目指して進みますと、どうも登り
高配。低い丘とくぼ地の連続です。戦後の区画整理の不備と、この高低
差が、界隈を不便にしているのかもしれません。
そうこうしているうちに、ぽつりぽつりと廃屋が(写真1-c)。自動
車道路沿いだというのに、廃屋は増え続け・・・・。
ついには一区画まるっとゴーストエリア(写真1-d)のところも。
凄いです。ちょっと歩くともう西新宿の摩天楼ですよ。それなのに、
手水の水盆があるような家が、煤けて荒れるに任されてるなんて。
でも、実は、間近に迫った摩天楼もつい数年前はこのあたりとまった
く同じ感じだったのです。私がタネにしている「東京真空地帯」の西新宿
の写真だけが、往時の雰囲気を伝えています。
高層ビル群に吸い寄せられるように、廃市に背中を押されるように青
梅街道に出ると、そこはもう西新宿。通り沿いにはキレイなレストラン、
おしゃれな雑貨屋さん。いつもの風景です。
今まで見たものはなんだったんだろう、と曲がり角から路地を透かす
と、ベールの下には肉の削げた顔が覗くミイラの花嫁のような様相で。
狸にでも化かされたかしらんとでも思いたいのですが、これが現実です。
最近、湾岸や六本木・赤坂界隈に圧されがちの新宿ですが、いつまで
もこのままでは、ゴーストタウン化がより一層進行するでしょう。
開発オールOK派でも、けしからん派でもないんですが、一度手をつけた
ところは最後まで面倒見たほうがいいんじゃないかと思います。
てなわけで、今回はこの辺で。
※都内お勧めエリアをご存知の方は、コメントやTBでご連絡ください。
激しく募集中。よろしくお願いします。
『東京棄景』廃屋満タンで第一回です。
今回は百人町・北新宿界隈をお送りします。
■データ
歴史:戦前から、清国の留学生が滞留するところだったようで、孫文さ
んもこちらのお住まいだったとか。(ちなみに実家の近くにも孫
文の石碑が。ご縁があるのか)
戦後は新宿闇市のバックヤードとして栄えたようです。戦後間も
なくからお住まいの方が多い様子。
衰退:住民の高齢化→地上げ→不景気です。新宿副都心の再開発がタイ
ミング悪かった所為で、中途半端に放り出されたようですね。
戦犯:上記の理由から、東京都ではないかと。何故か都は新宿が大好き。
昔から衛生研究所も同じ場所に建ってるし、都営の施設も多いよ。
■インプレッション
・百人町
サラ金時代によく大久保の法務局にお世話になっておりました。当時
から印象は大して変わらず、『ぶっちゃけ、新宿っつーか中野?』
という感じ。雰囲気が近いのね。
メインストリートである大久保通りはエスニック(特に韓国)料理屋
さんが並び、道行く人の日本語率は比較的低めですがスーパーもドラッ
グストアもある、普通の住宅街です。都心なのに。
そう、都心なのに、普通すぎる生活臭が。
理由は、一歩道を入ると分かります。家、しかないの。
その家も住んでいるのはお年寄り、もしくは家族。おそらく名義人の
お年寄りが亡くなれば、相続税のために手放せねばならないのでしょう、
主がいない家は、即廃屋になります(写真1-a)。そしてそこはジキに
更地へ。そんなあなぽこが、所々にあいた住宅地です。変な喩えですが、
老人病棟のような。伏目がちに空いたベッドを見るような。
奥へ奥へと進んで行くと、昔有名だった巨大廃墟、「国立地震研究所」
および建て直された「都立衛生研究所」のある一角へ。
ここはちょっとした丘になっております。そして、公共の施設だけがピカ
ピカにきれい。地震研究所の跡地は公園になっており、今では鬱蒼と樹木
が生い茂るところとなっておりますが、不気味な給水塔が黒々と、あたり
を睥睨しております(写真1-b)。
忍び込もうと思ったけど、隣が都営団地なんだよ・・・。
・北新宿
百人町から、小滝橋通りをひょいとまたぐと北新宿です。
災害対策職員寮と、教職員研修所の裏手に怪しい建物がありましたの
でこれは!と聞き込みしたところ、誰も人が入ってないというじゃあり
ませんか。
チャーンス!と思って侵入経路を探って門前まで来たら、なんと防災
物資の保管所になっておりました。がくり。というわけで掲載不可です
が、近隣お立ち寄りの際はぜひご覧下さい。けっこう異様ですよ。
そのまま南へ。中央線沿いだというのに、新宿なのにどっぷりと不景
気な界隈を抜け、西新宿の高層ビルを目指して進みますと、どうも登り
高配。低い丘とくぼ地の連続です。戦後の区画整理の不備と、この高低
差が、界隈を不便にしているのかもしれません。
そうこうしているうちに、ぽつりぽつりと廃屋が(写真1-c)。自動
車道路沿いだというのに、廃屋は増え続け・・・・。
ついには一区画まるっとゴーストエリア(写真1-d)のところも。
凄いです。ちょっと歩くともう西新宿の摩天楼ですよ。それなのに、
手水の水盆があるような家が、煤けて荒れるに任されてるなんて。
でも、実は、間近に迫った摩天楼もつい数年前はこのあたりとまった
く同じ感じだったのです。私がタネにしている「東京真空地帯」の西新宿
の写真だけが、往時の雰囲気を伝えています。
高層ビル群に吸い寄せられるように、廃市に背中を押されるように青
梅街道に出ると、そこはもう西新宿。通り沿いにはキレイなレストラン、
おしゃれな雑貨屋さん。いつもの風景です。
今まで見たものはなんだったんだろう、と曲がり角から路地を透かす
と、ベールの下には肉の削げた顔が覗くミイラの花嫁のような様相で。
狸にでも化かされたかしらんとでも思いたいのですが、これが現実です。
最近、湾岸や六本木・赤坂界隈に圧されがちの新宿ですが、いつまで
もこのままでは、ゴーストタウン化がより一層進行するでしょう。
開発オールOK派でも、けしからん派でもないんですが、一度手をつけた
ところは最後まで面倒見たほうがいいんじゃないかと思います。
てなわけで、今回はこの辺で。
※都内お勧めエリアをご存知の方は、コメントやTBでご連絡ください。
激しく募集中。よろしくお願いします。