黄色いアイシャドー。
全然使いこなせない^^;
休みの日の朝は、いつも、スピッツの2nd『名前をつけてやる』を聴きたくなる。
その中で、7曲目に「胸に咲いた黄色い花」という曲がある。
歌詞に
“砂漠のひとり遊び”
“このまま僕のそばにいてずっともう消えないでね
乾いて枯れかかった僕の胸に”
という表現があって、なんとなくいろいろ考えた。
最近、ある文章から「水を注ぐ」という考え方を知った。
“惜しみなく他人に水を注ぐ者は、自分もまた注がれる”
あいさつでも、親切でも、人のためになることはなんでもまず自分からしましょう、
そうしたら、自分にもちゃんと帰ってきますよ、ということ。
しかし、他人に水を注ぐためには、自分のコップに水が沢山入っていないといけない。
水を補給せずに、からっぽなのに注ごうとするのは良くない。
優しすぎる人は、自分の供給能力を超えて他人に水を注ごうするので
注意が必要なのだそうだ。
砂漠や、乾いて枯れかかった僕の胸に水を注いでくれる誰かがいて、
その結果が「胸に咲いた黄色い花」なのかなぁ
最近、黄色が好きで、身の回りのモノに黄色が増えつつある。
明るくてまっすぐなイメージの黄色を見ると、元気が出る気がする。
だから、今日も随分前に買った黄色いアイシャドーを引っ張り出してきたけども、
ビビットカラーの単色使いは難しい。
私にはまだ早かったみたいです(笑)
全然使いこなせない^^;
休みの日の朝は、いつも、スピッツの2nd『名前をつけてやる』を聴きたくなる。
その中で、7曲目に「胸に咲いた黄色い花」という曲がある。
歌詞に
“砂漠のひとり遊び”
“このまま僕のそばにいてずっともう消えないでね
乾いて枯れかかった僕の胸に”
という表現があって、なんとなくいろいろ考えた。
最近、ある文章から「水を注ぐ」という考え方を知った。
“惜しみなく他人に水を注ぐ者は、自分もまた注がれる”
あいさつでも、親切でも、人のためになることはなんでもまず自分からしましょう、
そうしたら、自分にもちゃんと帰ってきますよ、ということ。
しかし、他人に水を注ぐためには、自分のコップに水が沢山入っていないといけない。
水を補給せずに、からっぽなのに注ごうとするのは良くない。
優しすぎる人は、自分の供給能力を超えて他人に水を注ごうするので
注意が必要なのだそうだ。
砂漠や、乾いて枯れかかった僕の胸に水を注いでくれる誰かがいて、
その結果が「胸に咲いた黄色い花」なのかなぁ
最近、黄色が好きで、身の回りのモノに黄色が増えつつある。
明るくてまっすぐなイメージの黄色を見ると、元気が出る気がする。
だから、今日も随分前に買った黄色いアイシャドーを引っ張り出してきたけども、
ビビットカラーの単色使いは難しい。
私にはまだ早かったみたいです(笑)