想うことも 願うことも
喜ぶことも 悲しむことも
全て 手放したまま 月日が過ぎ行く
ただ いたずらに時だけが流れ
風を感じ
空に共鳴し
湧き出す言の葉の泉など
遠い日々に 枯れ果てたまま
カサカサな心の中に
想う言葉など ひとつもなくて
ましてや 言葉に表そうだなんて
思うことすら出来なくて
心の中から 何かを吐き出すことさえも
ただただ 苦痛になるばかりの日々
この試練はいつまで続くのだろうか
私は 乗り越えられるのだろうか
人は 乗り越えられる試練だけを 与えられるというけれど
チカラ尽きて 倒れ 去り逝くものも あるのかもしれない
時が薬というけれど
感じるままに 言の葉を綴り
心 赴くままに
見えない何かが 心に響き
感受性の塊のような私は
もう 見る影も無い
どうやって 言の葉を紡ぎ
どうやって 空を仰ぎ
どうやって カメラに収めていたのだろう
何一つ
響かない
届かない
感じない
そんな暗闇の中で
私には まだ 一筋の光も見えてはこない
生きている実感がない
ただ ひたすらに 時に流され
過去からの繰り返しによって
笑い 喜び 安堵する演技をして
嘘でもいいから 以前の私のようにと 振舞い続ける
いつか 嘘でも それが 真実になる日が来ると
そう 思うことにしている
ただ
怒りだけは 今のチカラで
それだけが 私を生かしているのかもしれない
己を 攻め続け
怒り続ける 己を卑下し
それでも 収まらない怒りを
壊れた心の奥底に
押し込み 己を殺していく
それが 正解なのかは 解らないけれど
今は そうやって 心の均整を取っている
許せる日がくるのか
忘れる日がくるのか
否
永遠にこないだろうけれど
今 血飛沫をあげている 傷口を
いつか 痛かったと
疼きを感じながら
見ることが出来る日がくるかもしれない
全てを 忘れてしまえば ラクになるかもしれない
それでも 私はこの記憶を手放さない
痛みも 辛さも 狂気すらも
今 自分が自分であるために
手放せないでいる
風を読み
空を感じ
草花に共鳴し
湧き出す言の葉に
いつの日か
また
溺れてみたい
※ 今年もまた 桜も見ず ハナミズキも見ず アジサイが咲いていることすら
気が付かずに 生きています(苦笑
以前は 季節の移り変わりに かなり敏感だったほうなのですが・・・・
空を見ても 花を見ても 美しいとか 綺麗だとか 想えない自分が まだここにいます。
ご来訪 ありがとうございます。
ここに綴る言の葉は 私の中の ほんの一部分です。
とはいえ 心が壊れているのは 大部分のことですが(苦笑
生きていることが 苦痛になることも
足を止めたくなることもあります
それでも 生きていくのは 自分のためでもあり
守るべき存在があるからかもしれません
そして 本当に 命尽きた時に
こんな人生だったと 誇れる生き方を 報告したい人がいるからかもしれません
辛さを 痛さを知っている人は 強く優しくなれるのだと 思っています。
でも そこへ 辿り着くまでが 試練の道なのでしょうね。
誰にでも 明日は平等にやってきません。
明日の命は 誰もが保障されているとは 限らないからだと思っています。
だからこそ もがきながらも 今を 自分なりに 生きていきたいと思っています。
白蓮 真琴