私の小説に関する春夏秋冬 14
昭和30年前後は私の子供時代
小説「夜を跳べ」の時代の、やくざ者と一般の堅気の人たちの距離がいかに近かったのかという話をもう一つしましょう。それは私の小学校時代の同級生のはなしです。クラスで私の悪口ばかり言ってる女の子がいました。私が商店街の通りを通りかかるといつも、二階の窓から大きな声で悪口を言うのです。私がそのことを母親に言うと、あの人のお父さんはねえ、と言ってその子の父親ともう一人の同級生の父親の名を上げて、戦後のある時期はイイアンチャンー要するにやくざ者の片割れあるいは今の言葉でいえば構成員かもしくは準構成員ーだったのよ、といって同級生二人の父親がかつてはやくざ者とだったと言ったのです。あの特に変わったところのない普通のオジさん二人が若いときはやくざだったとは、でもそう聞かされた私はその事実に特別驚いたわけではありません。なぜなら、私が住んでいたに何人もやくざ者がいたことと、近所の銭湯に行けば必ず入れ墨者が何人も来ており、その彼らが私の父親と友達付き合いをしていたからです。今現在は公共の風呂屋に入れ墨者がいることはほとんどありませんが、この当時は全身クリカラモンモンがいることはごく普通の光景だったわけです。さて、私の母親のことに話を戻しますと、若かった私の母親と若かった彼らアンチャン達は一緒に芋の買い出しなどに行っていたようで母親は、重たい芋の袋を持ってくれたりして助かったわ、などと言ってました。当時は町の人たち全員が貧乏人の時代、今でもそうかもしれませんが、失うものがないとなるとやくざ者と堅気の衆との境目も低くなるようです。
私の小説をお買い求めいただきありがとうございます。
順次作品数を増やしていく所存です。
私が書く小説はエンタテインメントです。面白さが主眼です。しかし書くためには内容が必要ですし、内容には必ずテーマがついて回ります。私の小説の主要なテーマは、敢えて言うなら愛と性、この社会での生きづらさ、でしょうか。愛とは人の生における至福、性とは人が一個の生物であることの証明、生きづらさとは至福と証明の両方を手にしなければならない業のようなもの。私は小説の中で愛と性を表現しますが、それはあくまでも生物における交流と交接の証としてであり、扇情や興奮を意味しません。人間はこの地球上における一生物、その限りにおいて愛と性は避けて通れない関門なのです。けっして道徳性や倫理性あるいは社会的慣習などのフィルターを通して見るものではありません。そんな社会的生物である人間を、私は書いているつもりです。
私の本棚
「夜を跳べ」
ー戦後二十年は街も人もまだまだ戦後を引きずっている時代
過去を捨てなければ前へは進めないのに、どうしても捨てられない過去があったー
https://www.amazon.co.jp/dp/B097R5R5HH/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%A4%9C%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%B9&qid=1624513181&s=digital-text&sr=1-1
「本牧心中」
ー皆さんはご記憶だろうか、かつて「荒れた中学」と言われた時代があったのを、
そしてそこで繰り広げられた悲しくも美しい愛と死の物語をー
http://www.amazon.co.jp/dp/B015VVSN42
「蹲る闇」
ー日常に潜む非日常、
不連続世界をめぐる四つの中編小説ー
http://www.amazon.co.jp/%E8%B9%B2%E3%82%8B%E9%97%87-%E7%9C%9F%E6%99%B
4%E7%8C%B4%E5%BD%A6-ebook/dp/B00HBYEU2C
「月と星」
ー絹の街が紬出す愛と憎しみのサスペンスー
母が着た紅色結城は六道の迷い道
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%88%E3%81%A8%E6%98%9F-%E7%9C%9F%E6%99%B4%E7%8C%B4%E5%BD%A6-ebook/dp/B00J62YTW8/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1395619351&sr=1-1&keywords=%E6%9C%88%E3%81%A8%E6%98%9F
「時は魔術師」
ーあの暗い戦争の直前
僕の暮らした街を爽やかに駆け抜けた
女子大生探偵がいたー
http://www.amazon.co.jp/時は魔術師-真晴猴彦-ebook/dp/B00N8A9WIK/ref=sr_1_12?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1409700806&sr=1-12
昭和30年前後は私の子供時代
小説「夜を跳べ」の時代の、やくざ者と一般の堅気の人たちの距離がいかに近かったのかという話をもう一つしましょう。それは私の小学校時代の同級生のはなしです。クラスで私の悪口ばかり言ってる女の子がいました。私が商店街の通りを通りかかるといつも、二階の窓から大きな声で悪口を言うのです。私がそのことを母親に言うと、あの人のお父さんはねえ、と言ってその子の父親ともう一人の同級生の父親の名を上げて、戦後のある時期はイイアンチャンー要するにやくざ者の片割れあるいは今の言葉でいえば構成員かもしくは準構成員ーだったのよ、といって同級生二人の父親がかつてはやくざ者とだったと言ったのです。あの特に変わったところのない普通のオジさん二人が若いときはやくざだったとは、でもそう聞かされた私はその事実に特別驚いたわけではありません。なぜなら、私が住んでいたに何人もやくざ者がいたことと、近所の銭湯に行けば必ず入れ墨者が何人も来ており、その彼らが私の父親と友達付き合いをしていたからです。今現在は公共の風呂屋に入れ墨者がいることはほとんどありませんが、この当時は全身クリカラモンモンがいることはごく普通の光景だったわけです。さて、私の母親のことに話を戻しますと、若かった私の母親と若かった彼らアンチャン達は一緒に芋の買い出しなどに行っていたようで母親は、重たい芋の袋を持ってくれたりして助かったわ、などと言ってました。当時は町の人たち全員が貧乏人の時代、今でもそうかもしれませんが、失うものがないとなるとやくざ者と堅気の衆との境目も低くなるようです。
私の小説をお買い求めいただきありがとうございます。
順次作品数を増やしていく所存です。
私が書く小説はエンタテインメントです。面白さが主眼です。しかし書くためには内容が必要ですし、内容には必ずテーマがついて回ります。私の小説の主要なテーマは、敢えて言うなら愛と性、この社会での生きづらさ、でしょうか。愛とは人の生における至福、性とは人が一個の生物であることの証明、生きづらさとは至福と証明の両方を手にしなければならない業のようなもの。私は小説の中で愛と性を表現しますが、それはあくまでも生物における交流と交接の証としてであり、扇情や興奮を意味しません。人間はこの地球上における一生物、その限りにおいて愛と性は避けて通れない関門なのです。けっして道徳性や倫理性あるいは社会的慣習などのフィルターを通して見るものではありません。そんな社会的生物である人間を、私は書いているつもりです。
私の本棚
「夜を跳べ」
ー戦後二十年は街も人もまだまだ戦後を引きずっている時代
過去を捨てなければ前へは進めないのに、どうしても捨てられない過去があったー
https://www.amazon.co.jp/dp/B097R5R5HH/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%A4%9C%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%B9&qid=1624513181&s=digital-text&sr=1-1
「本牧心中」
ー皆さんはご記憶だろうか、かつて「荒れた中学」と言われた時代があったのを、
そしてそこで繰り広げられた悲しくも美しい愛と死の物語をー
http://www.amazon.co.jp/dp/B015VVSN42
「蹲る闇」
ー日常に潜む非日常、
不連続世界をめぐる四つの中編小説ー
http://www.amazon.co.jp/%E8%B9%B2%E3%82%8B%E9%97%87-%E7%9C%9F%E6%99%B
4%E7%8C%B4%E5%BD%A6-ebook/dp/B00HBYEU2C
「月と星」
ー絹の街が紬出す愛と憎しみのサスペンスー
母が着た紅色結城は六道の迷い道
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%88%E3%81%A8%E6%98%9F-%E7%9C%9F%E6%99%B4%E7%8C%B4%E5%BD%A6-ebook/dp/B00J62YTW8/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1395619351&sr=1-1&keywords=%E6%9C%88%E3%81%A8%E6%98%9F
「時は魔術師」
ーあの暗い戦争の直前
僕の暮らした街を爽やかに駆け抜けた
女子大生探偵がいたー
http://www.amazon.co.jp/時は魔術師-真晴猴彦-ebook/dp/B00N8A9WIK/ref=sr_1_12?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1409700806&sr=1-12