NPO法人 窓の安全と快適性を保つ会(略称、「窓のNPO」)

建築の開口部(主にアルミサッシ製品)をより安全、快適に永く使用するための知恵や工夫を提供します。

豆知識 Ⅱ(7月28日)

2018年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム
薀蓄(豆知識)6
紫陽花
紫陽花は咲き始めてから花の終わりまで色が変化し「七変化」と言われます。青、白、ピンク、紫、赤、緑などありますが本来の日本のアジサイは、青だったそうです。もともとの日本の土壌は酸性であるため、日本古来のアジサイは青だったと言うわけです。幕末から明治にかけて来日した西洋の人々が持ち帰り、青以外の色を作り出したそうです。元々ヨーロッパの土壌はアルカリ性のため、自然と赤っぽくなり、色とりどりに変化を遂げたそうです。アジサイを西洋に紹介した人は、有名なシーボルトです。彼はアジサイの学名を「ハイドランジア オタクサン」(Hydrangea otaksa)となずけました。この「Otaksa」は、シーボルトが日本の愛人「お滝さん(楠本滝さん)」を思い、彼女の呼び名を名付けたそうです。

薀蓄(豆知識)3
窓の結露防止
1、朝は3分でも5分でも窓を開けて換気する  
 と結露が少なくなる
2、寝る前に新聞紙をガラス面に張り付けておくと水分を吸収し、翌朝その新聞紙でガラスを拭けば掃除にもなる
3、洗濯物を部屋の中に干さない
4、押し入れのふすまは少し開けておく
5、市販の結露防止スプレーをかけると2週間ぐらいの効果がある
6、中性洗剤を溶かしたものを雑巾につけて窓ガラスを拭くと少なくなる
結露の多い時期に効果があります
(投稿:副代表)

豆知識 Ⅰ(7月28日)

2018年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりの投稿です。酷暑から一転、台風12号が直撃しそうです。副代表からの薀蓄です。ご覧あれ。(代表記)

薀蓄(豆知識)1
『日の丸』の由来
「日の丸」の旗には基準があります。旗そのものの大きさに関係なく旗のタテはヨコの3分の2、赤い丸の直径はタテの長さの5分の3と決められています。日の丸は、武田信玄や上杉謙信などの戦国時代の武将も旗じるしとして使っており、豊臣秀吉も日の丸の旗を船に掲げさせていました。日本の国旗として今の寸法に決まったのは、明治3(1870)年のことです。『日本』という国名は607年に中国を統一して国力を伸ばしていた隋(ずい)という国に、聖徳太子が遣隋使を派遣しその時の使いだった小野妹子が持参した国書(国が正式に出した手紙)に自分たちの国を『日が昇るもとの国』(日のもと=日本)としたことが、国名としての『日本』が使われた最初ということです。
国歌「君が代」の2番の歌詞を紹介します。
「君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるるまで」です

薀蓄(豆知識)2
干支について
干支の子丑寅卯辰巳午・・・・・と続く十二支は、古代中国において天空を十二の方角に分け、それぞれに記号として動物の名前を当てたことが起源とされていますが有名なのは以下の民話です
ある年の暮、神様は動物たちに言いました「元旦に新年のあいさつに来なさい。早いものから順に十二番まで一年間づつその年の大将にしてあげよう」
足の遅い牛は大晦日のまだ暗いうちから出発。それを見ていたネズミは牛の背中に飛び乗ります。そうとは知らない牛はゆっくりながらも御殿を目指し歩きました。牛は神様の御殿の前に最も早く到着しましたが、門が開くと同時に牛の背中に乗っていたネズミがピヨンと飛び降りて門をくぐり、一番乗りで神様に挨拶をしました。だからネズミ(子)が十二支の最初になったそうです。ちなみに、鶏が犬と猿の間にいるのは、仲の悪い両者の仲裁をしていたから。また、猫が入らなかったのはネズミが猫に「挨拶は二日の朝」と嘘を伝えた

薀蓄(豆知識)4
鳥居種類と概略
大きく二つに分けると「神明」(シンメイ)系と「明神」(ミヨウジン)系に分かれます
神明系鳥居は笠木と二本の縦柱の内に貫が納まった形でシンプルです、横木には島木がなく、素材も丸太などをそのまま使用しているのもあり最も古い鳥居です。伊勢神宮、熱田神宮、鹿島神宮などです。
明神系鳥居は仏教建築の影響を受け、やや曲線的、横木は笠木の下に島木が添えられ、両端が反っているものもあります
これを「反増し」といいます、柱も地面に垂直でなくやや斜めに立ち、根元に行くほど太くなっているものもあります
これを「ころび」といいます。奈良の春日大社、大阪の住吉神社、京都の石清水八幡宮、安芸の厳島神社(リヨウブ鳥居で柱に足付き)などです。鳥居は神域を示すもの・・つまり「そこから中は神様の領域です」と言う意味です。起源は朝鮮半島から伝わった節[朝鮮の廟や、村の入り口に建てられた赤い門・紅箭門(こうせんもん)]が日本に伝わった説が有力です、また、タイから伝わった説(タイの高門)、古代の防御策説、於不葺御門説(うえふかざるもん)屋根のない門だと思われることから の説があります。是非
初詣、散策、散歩、神社巡り探索など確かめてください。(投稿:副代表)



沖縄2泊3日(11月28日)について②

2017年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
サトウキビの収穫は1月から3月です。花がこれから咲いて収穫になります。その花の写真は撮れませんでした。ススキとよく似ていて、今、車窓からはススキがたくさん見られました。写真の残りを貼ります。(投稿:代表)
     


沖縄2泊3日(11月28日)について①

2017年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム
最終日です。7時に多めに朝食を摂りました。今日は暑くなりそうな天気予報でした。沖縄ホテルから徒歩で10分、ゆいレールの安里駅に行き昨日と同じ旭橋駅で下車しました。今日はスムーズに観光バスに乗り込みました。今日の観光バスは「首里城・戦跡・おきなわワールドコース」で、旧海軍司令部濠、ひめゆりの塔、平和記念公園/平和の礎、おきなわワールド(玉仙洞、いわゆる鍾乳洞)を巡り、帰路私たちは那覇空港で降ろしてもらい、夜、東京に戻りました。観光バスの客は全員で21名と聞きました。首里城は標高120m余りで那覇を一望に見渡すことができました。ここまでは眺望もよく爽快でした。那覇の南西に位置する豊見城(とみぐすく)市の高台にその濠はあった。全員で慰霊之塔の前で手を合わせ、資料館から濠内(復元)に入りました。濠内は迷路になっており当時450mあり、4000人余りが収容されていました。70年前の沖縄戦がそこにありました。沖縄では既に5月31日には首里が米軍に占領されていました。これ以上は説明は不要かと思います。写真を見て今の南部戦跡を感じてください。平地にはサトウキビ畑が一面に広がり、「ざわわーざわわーざわわーー」とガイドさんが謳っていました。(投稿:代表)
    

沖縄2泊3日(11月27日)について②

2017年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム
写真の残りを添付します。画像に筋が入っているのはカメラの破損によるものです。悪しからず。(投稿:代表)