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沖縄、離島の高校野球.1

2004-10-23 23:58:50 | 離島の高校野球
今年の沖縄高校野球界に、石垣島の八重山商工高校が旋風を巻き起こしました。夏の高校野球沖縄大会ではベスト16、直後の新人大会では優勝(私の記憶するところ離島勢の県制覇はこれが初めてです)、そして去った秋の県大会ではベスト4と、九州大会まであと一歩というところまで迫りました。
この八重山商工、着任2年目の伊志嶺監督のもと、1年生主体のチームでの快挙です。

もともと離島県である沖縄県は多くの島々からなっており、沖縄本島以外の島々の事を県内では「離島」と呼んでいます。
離島の高校は全部で9校あります。宮古地方では宮古島の4校(宮古高校・宮古農林高校・翔南高校・宮古工業高校)と伊良部島の1校(伊良部高校)、八重山地方では石垣島の3校(八重山高校・八重山農林高校・八重山商工)、そして久米島に1校(久米島高校)あります。そのいずれにも野球部がありますが、中でも宮古島・石垣島は非常に野球熱の盛んな地域です。宮古島では、プロ野球のオリックス・ブルーウェーブのキャンプも行われます。


◇宮古高校.1

離島勢は過去に、「あと一歩で甲子園」というところまで何度か行きました。
特に、浦添商業の監督として甲子園ベスト4の経験もある名将・盛根一美監督(現・南部商業監督)が1970年代に率いた宮古高校は、沖縄でも屈指の強豪でした。当時の沖縄は裁監督率いる豊見城高校の全盛時代でしたが、宮古高校もあと1勝で甲子園という事が3度ありました。

1976年秋の九州大会に出場した宮古高校は、その大会での優勝候補であった大分県の佐伯鶴城高校に快勝してベスト8まで進みます。準々決勝では、後に阪神タイガースでも活躍した平田選手がいた長崎の海星高校と対戦しましたが、惜敗しました。この試合に勝てば九州ベスト4、本当にセンバツは目の前でした。この大会では海星の他に豊見城高校もベスト4に残り、センバツに出場しています。

このときのチームは翌年夏の沖縄県大会でも決勝戦まで進みます。決勝戦の相手はセンバツにも出場した豊見城高校。その豊見城は、全盛期時代の豊見城の中でも最強の破壊力を誇った猛打のチーム。2年生で4番を打つ石嶺和彦捕手(元・阪急~オリックス→阪神、現・中日ドラゴンズ1軍打撃コーチ)に、好投手の下地勝冶(元・広島)がいました。宮古高校もアンダースローの好投手・国原が奮闘、白熱した投手戦を展開しましたが惜しくも敗れます。甲子園まであと一歩の立場まで2度も上り詰めた当時の宮古高校は、強打の捕手・佐和田主将(のち九州共立大)を中心に投攻守にまとまった素晴らしいチームでした。多分、歴代の離島勢で最強のチームでしょう。

ちなみにその時の豊見城のエース・下地投手は宮古島の出身で、宮古の佐和田選手や国原投手とは中学時代に沖縄県を制覇したチームメイトでした。そのチーム(宮古・平良中)のエースだった下地投手が、佐和田選手らの高校最後の大会決勝戦で大きく立ちはだかり、完封で終わらせたのは皮肉な結果でした。

(続く)


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