Journal Journey

~たのしいケンチクをめざして~

ワルシャワの復興

2011-06-18 10:27:52 | 旅行
ワルシャワ歴史地区は、第二次世界大戦でその8割が破壊された。"戦場のピアニスト"という映画を見ただろうか。この映画のラストで出てくる廃墟こそワルシャワの街であった。




戦争で破壊されたワルシャワ



歴史地区はワルシャワの最も古い地域であり、住居や店舗が軒を連ね経済的に重要な地区であった。また、歴史によりその重要性を失った時代もあったが、ポーランドの王宮や市庁舎が存在した政治の中心地でもあった。戦後、ポーランドの建築家ヤン・ザフファトヴィッチの指揮のもと、歴史地区の復興が行われた。その復興とは、元の街を再現することであった。ヤンは"歴史を奪われた国民は、国を奪われたも同じだ"といい、修復事業の陣頭指揮をとった。戦争中に街が破壊されることを想定して建築学部の学生が描いた街のスケッチ、過去にイタリアの画家ベルナルド・ベッロットにより描かれた都市風景画などを元に、壁のヒビ1本までも出来る限り再現したという。

復元された街並みを訪れると、古い建物を新築しているのでテーマパークにいるような気持ちになったが、街の所々に展示してある破壊された建物の一部や戦前の写真を見るとその歴史を痛感し、再現された特別な場所であることに気がつく。

歴史を取り戻すために復元されたのであれば、建築そのものが歴史なのだろうか。例えば、ポーランドに使われていない古い住宅街があったとして、何らかの原因で壊れたとしたならば、莫大なお金と時間を使ってでも元の住宅を復元するだろうか。絶対に復元しないとはいえないが、ポーランド人や地域の人々にとって、その場所や建物に特別な感情があったからこそ復元されたと考えるのが妥当だろう。また住み続けていたいのに、その場所を奪われたという感情からもあるだろう。建築は生活の歴史を刻むことができる容器であり、破壊によりその姿を失ってもなお、復元という姿でその歴史を取り戻すことができる。そう信じたい。




復元されたワルシャワの歴史地区



旧市街を訪れた日は丁度休日で、市民参加のマラソン大会が行われていた。また広場ではたくさんの出店が軒を連ね、多くの人で賑わい、とてものどかな1日であった。




歴史地区のマラソンイベントの様子




日本からも多くの人が参加していた



地形が変化してしまった大災害により失われた歴史は、取り戻すことができるのか。どのように。

東北地方太平洋沖地震によって犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。


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