1992年に“レッドファイブ”ナイジェル・マンセルがドライブしたウイリアムズ・ルノーFW14Bをこう評する人がいる。ポール・ポジション14回、優勝9回、ファステスト・ラップ8回。そしてマンセルは108ポイントを獲得して最初で最後のF1ワールドチャンピオンに輝いた。
古舘伊知郎は実況で「まさにアナザー・プラネット状態!」と絶叫していた。実際速かったなあ。1992年の第15戦日本グランプリは雨で土がぬかるむバックストレートで観ていたけれど、1周ごとに後続をみるみるうちに離していくのがわかった。アイルトン・セナのマクラーレン・ホンダMP4/7Aは全くその速さについていけない。数周のうちに「こりゃダメだ」と打ちのめされた。
息子が毎月楽しみにしているベネッセのこどもチャレンジ10月号付録でFW14Bを作った。息子に「FW14Bだ! ナイジェル・マンセルっていうヒゲを生やしたおっちゃんが運転するんだけどな、とおってもはやいんだぞう。前をのろのろ走っていたら怒られちゃうんだ」といってももちろん何のことかわからずニコニコするだけ。まあ、似ても似つかぬシロモノだが。
初めてF1日本グランプリを観たのが1991年。知人にチケットが余っているから観に行かないかと誘われて、何の気なしに鈴鹿まで出かけた。後でチケット代が25,000円もしたと言われてびっくりしたのを覚えている。一緒に行くつもりだった人間が行けなかったか、行かなかったかで、チケットがこちらに回ってきた。タダでくれるつもりだったらしいが、ちゃんと払った。観た後では高いとは全然思わなかった。
今から考えてみると当時のF1人気は高かったから、S字の手前の指定席はプラチナチケットとまではいかないが、それに近いものだったと思う。マンセルがセナをtail to noseで追っかけていて10周目の2コーナーでコースアウトしてセナがワールドチャンピオンを決めた瞬間も観たし、中嶋悟がタイアバリアにつっこんでレースキャリアにピリオドを打ったのも観た。
何よりF1をナマで体験できたのは衝撃的で感動だった。近鉄白子駅に着いたら鈴鹿サーキットまで距離があるのにもう爆音が聞こえてくる。最初は中継でもしてるのかと思ったぐらいだ。
鈴鹿サーキットでF1マシンが疾走するのを観たらもう鳥肌が立ちそうだった。テレビで観るのとは全く違う世界。S字の上から観ていたら、素人の自分でもドライバーの個性がわかった。アラン・プロストはとても滑らかに回っていたし、ゲルハルト・ベルガーのドライブは鋭角的だった。ベルガーのタイヤはもたないという解説がよくわかった。
ネルソン・ピケ、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルという4人の天才ドライバーがワールドチャンピオンを代わる代わる獲りあったF1の黄金時代が燃え尽きようとして炎が最後に輝きを増したような、そんなときにF1を観ることができた。幸せだったと思う。
話は脱線するが、同じような時代にプロボクシングでは中量級~軽重量級で“石の拳”ロベルト・デュラン、トーマス“ヒットマン”ハーンズ、“マーベラス”マービン・ハグラー、そして“シュガー”レイ・レナードという4人のボクサー"Fabulous Four"が死闘を繰り広げた。
自分は文藝春秋社の『チャンピオン伝説2:世界を熱狂させた4人のスーパースター』というビデオで知ったが、F1と同じ時代に似たような幸福が別のスポーツ界でもファンに与えられたのに不思議さを感じてしまう。
この不思議を他人に説明してわかってもらえたことはほとんどない。
写真は九州最古の鳥居。福岡県太宰府天満宮にある。説明によれば約700年前の南北朝期のものと推定されていて、筑後国有坂城主新田大炊介の寄進と記されている。太宰府天満宮に九州最古の鳥居があるとは知らなかった。
箱木千年家で感じた同じ思いを抱く。何と歴史の長い国なのだろう。ちなみに日本最古の鳥居は四天王寺西門の石鳥居ともいうし、山形県の石造明神鳥居ともいう。石造明神鳥居は平安後期とされている。
太宰府天満宮に石鳥居が建立されてから700年間。この鳥居は下をくぐるさまざまな人々を見たことだろう。
重税やハイパーインフレで心も荒みきった日本人を迎える日も遠くはあるまい。毎日新聞社発行の週刊エコノミスト臨時増刊号(10月3日発売)の特集は国家破産だそうだ。雑誌『諸君』11月号の西尾幹ニ「郵貯解体は財政破綻・ハイパーインフレへの道だ」も興味深かった。
国と地方公共団体の累積債務残高は1000兆円オーバー。リアルタイム財政赤字カウンターはここ。