ステレオ写真生活

ステレオ写真(平行法)をメインにしたブログです。最近はデジカメばかり。

箱木千年家(はこぎせんねんや)

2005年09月19日 | 雑記帖

たまたまネットサーフィンをしていたら、神戸市北区に日本最古級の民家が残っていることを知った。国の指定重要文化財となっている箱木家住宅=別称「箱木千年家」だ。箱木家住宅は平安初期の大同元年(806年)に建てられたという伝承があるものの、建築考古学的には14世紀室町時代に遡るという説が有力らしい。

「千年家」というのは中世に建てられた古い民家を、江戸時代中期にこう呼んだことに由来する。ちなみにネットで検索してみると「千年家」と呼ばれる住居建築は全国に5つしかないようだ。横大路家住宅、進藤家住宅、古井家住宅、内田家住宅、そして箱木家住宅。このうち横大路家住宅は福岡県新宮市にあるが、あとの4つはすべて兵庫県内にある。

神戸めるまが倶楽部によると、神戸は茅葺民家がたくさん残っている土地なんだという。意外や意外。「10年ほど前でしたら、江戸時代~昭和時代初期に建築されたとみられる茅葺民家は、なんと1000棟以上もありました」なんて信じられない。

そこで、三連休の最終日を利用して箱木千年家に行ってみた。日本/世界最古の木造建築物である法隆寺はちょっと遠くて行きづらいが、地元に民家としては日本最古があるのを見逃すわけにはいかない。

箱木千年家は衝原(つくはら)ダムによって水没する予定であったのを1977年から2年かけて元の場所から南東70メートルの位置に移築されたものだから、神戸市北区とはいっても山間の不便な場所にある。我々一家は地下鉄/北神急行で谷上まで行き、駅前からタクシーで直接行った。片道2,400円ぐらいだった(神戸市文書館のWebには神戸電鉄箕谷駅から神戸市バスで約15分で行けると書いてある)。

うーむ。室町時代の地侍はこんな家に住んでいたのか。移築をきっかけに江戸時代に建て込まれて一棟になっていたのを分離して、離れとは別棟にした母屋を室町時代の姿に復原してある。表題の写真では手前が復原された土壁の母屋だ。内部は板敷でカンナではなくチョウナで板が削ってある。電気の行灯で室内は照らされているものの、かなり暗い。日没とともに寝て、日の出とともに起きるという生活をしていたんだろうなと理解させてくれる暗さだ。内部を見ていて黒澤明の映画『七人の侍』を思い出してしまった。

 

写真2枚目は母屋東端。農具が置いてある先に出入り口があって、その横に小窓と飛び出した樋がある。中はどうなっているかと思い、入ってみると石で作られた流し台につながっていた。

つまり、流し台で洗いものをすると排水はこの樋から外に出て、地面をうがって埋め込んだ桶に溜まるという仕組みになっている。溜まった水は肥料として再利用されたらしい。

驚いたのは、受け付けのおじさんからもらったパンフに移築後の復原平面図と移築前の平面図が載せてあって、移築前も「はしり」と呼ばれる台所が同様の構造で同じ位置にあるということだ。すなわち箱木家は1977年まで下水を利用せずに、室町時代?からそのままのスタイルで食器洗いをしてきたということになる。もちろん中性洗剤などは使わなかっただろう。排水を桶に溜める仕組みであれば中性洗剤を使ってしまうと再処理・再利用は容易でない。米のとぎ汁か何かで洗っていたのだろうか。これはある意味すごいといわねばならない。1977年といえば日本の高度経済成長もとっくに終わった後なのである。

パンフに書いてある「お問い合わせ先」が(おそらく)御当主の御名前と電話番号であるのにも驚かされる。この電話番号に電話をかけたら「はい、箱木です」と出られるに違いない。文化庁の国指定文化財等検索システムを使って箱木家住宅を検索してみると、箱木さんのお宅は1967年(昭和42年)に国の有形文化財に指定されていて、所有者情報は「個人」となっている。駐車場の看板の文章の下には「神戸市」ではなく「箱木」と書いてあったので、そうではないかと思ったが、今でも所有者であり管理者は箱木さんなのだ。

つまらんことだが、箱木さんに電話して「この家に住んでいたとき、油物を食べた後は食器は何で洗ってたんですか?」と聞いてみたい衝動に激しくかられてしまう。受付のおじさんに聞いてくればよかった。

★ひょっとしたら受付のおじさんが御当主?→と思って、この文章を書きながら箱木家住宅のことを再検索していたら、どうもあのおじさんが第52代の御当主らしいことがわかった。ちゃんとネットで調べていけばよかった。しかし“第52代”当主というのもすごい。しかも単なる家系図ではなく室町時代からの“家”という実体が伴っているのがもっとすごい。“万世一系”ならぬ“万世一家”だ。そして受付に座っておられるというのもこれまた不思議な感じがしてしかたがない。あー、なんで予習を怠ってしまったんだろ。知ってりゃいろいろ質問したのに。箱木千年家に着いたとき、お弁当をもっていっていたけど食べる場所がなく、受付のおじさんに妻が「どこかお弁当食べる場所ないですか?」と聞いたら、おじさんが「敷地内の観音堂で食べるといいよ」と言ってくれたんだが、国の重要文化財の敷地内にある観音堂で弁当食べてもいいなんて親切な人だなあと思ったが、その権限をもつ御当主その人なのであった。道理で。

今日は日本という古い歴史をもつ国に住んでいることを実感させられた一日だった。


衝突防止装置

2005年09月19日 | 雑記帖

阪神三宮駅のいちばん南の線路は盲端線になっている。つまり三宮駅で行き止まり。そこに、見てのとおり衝突防止装置がある。かなり立派なシロモノだ。これを作ったときはちゃんと実車を使って実験したのだろうか? 時速何キロまでだったら止められたのか。気になるところだ。たぶん、ブレーキ操作に失敗して少しだけオーバーランしたときに止めるくらいの力しかあるまいが、実物をみていると、けっこうスピードの出た列車でも衝突したらグーっと縮まって、ボヨヨーンと跳ね返す漫画みたいなシーンを想像してしまう。

息子は阪神三宮駅から電車に乗るたびにここを見る。以前、線路脇にドブネズミがいたのを忘れられないのだ。親子して覗き込み、息子はドブネズミを探し、私は衝突防止装置を見る。それが私たち親子の習慣になっている。