今日は2回目のブログです。
外はすごい日照りで、ハウスのトマトが心配です。
遮光ネットを買うか考えています。
前回紹介した本に神経症のことが載っていました。
いわゆるノイローゼです。
私は、幼稚園のときから小学4年生まで、家族のいないところでの飲食ができないノイローゼでした。
きっかけは、幼稚園のおじちゃん先生が、お弁当を残しちゃいけないと子供らに何度もきつく、(そう聞こえた)言って、残していないかチェックしていたのが恐ろしかったのです。
私は、家では好き嫌いなく何でも食べていましたが、その時からお弁当、給食が食べられない子になってしまいました。
全く食べられないわけでもなく、少しずつゆっくりなら、半分くらいは食べられたのですが、担任の先生が威圧的だとよけいにだめで、吐き気を催すのです。
例えば、給食の時間の最中に担任の先生が、一人の男の子が悪さをして怒り出したら、私は顔面蒼白になっているのでした。
だから、ずっと学校には朝食抜きで通っていたのです。
母はいちよう心配はしてくれましたが、担任に相談したような気配はありませんでした。
なにせ、自分の子らは何も問題ないと思っていたくらいですから。
友達の誕生日会に行っても、ケーキが食べられなくて、吐きそうになって、外に飛び出して友達とそのお母さんに白い目で見られたことを覚えています。
でも家族との外食は喜んで食べていました。
それが、4年生の時の担任の先生は、そんなに食べられないならパンは自分でビニール袋を持ってきて持ち帰って良いと言ってくれました。
そのことばで私のノイローゼは終わったのです。
倍賞千恵子さん似の優しい先生でした。
パンを何回か持ち帰って、母が喜んで食べました。
でも、私は間もなくパンも他のものも、時間内に食べられるようになっていったのです。
私が屋久島で幼稚園の担任を持ったとき、お弁当のいちごが食べられないと泣いている子がいました。
私は、「食べなくてもいいよ」と言うと、「お母さんに怒られる」と言って何とか食べました。
私は、その子の連絡帳に、嫌いなものは持たせない方がいいと書きましたら、お母さんも反省してくれました。
食べ物は大事なものですが、人間は食べ物のために生きているのではありません。
外はすごい日照りで、ハウスのトマトが心配です。
遮光ネットを買うか考えています。
前回紹介した本に神経症のことが載っていました。
いわゆるノイローゼです。
私は、幼稚園のときから小学4年生まで、家族のいないところでの飲食ができないノイローゼでした。
きっかけは、幼稚園のおじちゃん先生が、お弁当を残しちゃいけないと子供らに何度もきつく、(そう聞こえた)言って、残していないかチェックしていたのが恐ろしかったのです。
私は、家では好き嫌いなく何でも食べていましたが、その時からお弁当、給食が食べられない子になってしまいました。
全く食べられないわけでもなく、少しずつゆっくりなら、半分くらいは食べられたのですが、担任の先生が威圧的だとよけいにだめで、吐き気を催すのです。
例えば、給食の時間の最中に担任の先生が、一人の男の子が悪さをして怒り出したら、私は顔面蒼白になっているのでした。
だから、ずっと学校には朝食抜きで通っていたのです。
母はいちよう心配はしてくれましたが、担任に相談したような気配はありませんでした。
なにせ、自分の子らは何も問題ないと思っていたくらいですから。
友達の誕生日会に行っても、ケーキが食べられなくて、吐きそうになって、外に飛び出して友達とそのお母さんに白い目で見られたことを覚えています。
でも家族との外食は喜んで食べていました。
それが、4年生の時の担任の先生は、そんなに食べられないならパンは自分でビニール袋を持ってきて持ち帰って良いと言ってくれました。
そのことばで私のノイローゼは終わったのです。
倍賞千恵子さん似の優しい先生でした。
パンを何回か持ち帰って、母が喜んで食べました。
でも、私は間もなくパンも他のものも、時間内に食べられるようになっていったのです。
私が屋久島で幼稚園の担任を持ったとき、お弁当のいちごが食べられないと泣いている子がいました。
私は、「食べなくてもいいよ」と言うと、「お母さんに怒られる」と言って何とか食べました。
私は、その子の連絡帳に、嫌いなものは持たせない方がいいと書きましたら、お母さんも反省してくれました。
食べ物は大事なものですが、人間は食べ物のために生きているのではありません。