三連休のうちいつかは雲海を見に行こうかと気合い入れていましたけど二日連続二度寝で頓挫。三日目は徹夜で映画見鑑賞、五時半までは記憶がある。三度目の正直を期待したが二度あることは三度あるのほうが実現した。
14時半、善防公民館。英国なら五時半、英国に瞬間移動出来るなら今日をやり直して雲海見に行ける。しかし英国に紅山はない。人生は上手くいかないもんだ。腰巻きに水1Lと余り物の仙豆と行動食を詰めて善防山を目指す。
いつかは烏帽子岩登山口から歩き始めたいものですが、舗装道路は苦手。そもそも歩くの嫌い。ではなぜ山歩きをするのかと自分に問いかける。知らんがな。
腰巻きの位置を腰にするか肩から斜めに下げるか試行錯誤しながら善防山に到着。腰だな。しかし違和感がある。この重量ならザック背負う、いや、禰豆子背負うほうが楽ではないか。今日の失敗は明日の成功の糧となる。明日仕事やん。よだきいですこと。
畝る稜線、善防山から笠松山へ向かう下り坂で、ここがお気に入り。ヘラクレイトスの川だな。説明は割愛する。察せよ。
たまには馬の背から時計回りに歩くのもいい。時間にも余裕があるし、迷子にはなるまい。
意外と遠く感じた。いつもとは違う風景、いつも駆け下りてた場所が岩場であることに気付いた。
少し早いけどおやつ休憩。キリン堂で購入した半額商品。これで何が補給出来るか分からないが、そんなもんだろ僕は栄養士ではないんだから。飯盛山もこの腰巻きを使用。ペットボトル二本とおやつ、財布と鍵と単眼鏡入れても余裕がある。紅山用にはこれより小さい腰巻きがある。名前はまだない。
緩やかな階段から始まり次第に広く高い階段になる。蹴上50cm踏面70cm程度か。ここを軽やかに上るには股下2mは必要だろう。消滅する。
笠松山手前の東屋で隠し財宝を発見。ポテチは空箱、飲料水は半分残してある。捨てたのか忘れ物なのか定かではないが、ひとまず僕が預かることにする。心当たりある人は取りに来なさい。いや、ゴミなのか。
笠松山で日が暮れ始めた。少し焦る、あの信号が赤になれば仕事に遅刻する程度の焦り。そう考えれば大したことないな。日の入りまでまだ時間はある。善防山まで行く余裕はある。計画通りに歩けば日の入りと共に下山済となる筈。僕のくせに『計画』なんて言葉が出るのも烏滸がましいが。
ここは初めて通る。なにか焼けたような岩と地と木。帰宅して調べてみると二年前に火事が起きたそうだ。出火原因は分からないけど、煙草の不始末か焚火だとか人為的なものなのかな。ペットボトルで収れん火災なんてのも滅多に起こらないだろうけども可能性はなきにしもあらず。兎に角、ペットボトルを山に捨てるなと言いたい。
逆回りだと違う山だと錯覚する。太陽のほうへ進むのと太陽を背にして歩くのと、いつもは右へ登るのに今日は左へ下る。まるで道を間違えてるような新鮮味と言うか、
道を間違えてたようだ。強制下山状態。善防山から見たことあるんですけどね、あんなところにも道あるんだ。あれどこに続いてるんだろう、と。それがここ。解決した。七福神なのか。因みに日本出身の神様は恵比寿さんだけ。
紅葉か楓か区別出来ないが、紅生姜みたいな紅葉。この風景を上手く表現出来ない、伝えられないのは僕の語彙の乏しさのせいか、紅葉に興味がないせいか、どちらにせよ紅生姜みたいな紅葉としか説明出来ない、小学生の運動会でよく見る。赤帽とか玉入れの赤玉とか紅生姜とか。僕にはこれが限界。
舗装道路嫌いなので再び山へ還る。諦めない限り敗北はないと信じて登る。
吊橋まで這い上がりました。日没までに善防山経由で下山するか、ここで下山して舗装道路歩いて蛙化。蛙化現象なんて単語が流行語大賞の候補に挙げられてるそうだ。意味は知らないが、おたまじゃくしから蛙になるのか。尻尾取れるのか。手足生えて何処でも行けるようになるのか。ヤゴに捕食対象とされていたおたまじゃくしが蛙になればヤゴから成長したトンボを食べる。そういう下剋上みたいな意味なのか。
こんなのも落ちてました。山で花束贈る劇的物語を想像し、それが捨てられた衝撃の終幕を連想。しかし値札に仏花と書いてありました。袋とゴムは回収し、花は土に還れば良いと判断して放置した。
善防山から降りる途中。太陽が沈み辺りが暗くなる。日没は17時03分、考えてみれば日没は消灯ではなく徐々に暗くなるもんだ。この時点で日没まで五分あるが、山ん中は暗闇だ。人は失敗を繰り返して成長する。
今日の戦利品。
途中で軌跡が消えましたが、これ吊橋のとこかな。