自由競争の果ては…

2004-09-12 04:35:56 | 航空旅行お役立ちメモ
とある所へ提出するレポートを書いているとこんな時間になってしまった(ただいま午前3時58分)。レポートというのは「交通輸送における自由競争」というテーマなのだが、大学の学部が経営学で、専攻が交通経営学だったので、この手のレポートは比較的すらすら書ける。なにしろ履修科目に交通論や運賃額や鉄道経営学まであったのだから。枚数が多いと大変だが、4000字程度なのでちょうど良い。少ないと論旨の展開が不十分になるし、長いと詳しく正しく書くのに非常な時間が取られる。
前置きが長くなってきたが、そのまま話を進める。「交通輸送」という名の通り航空輸送だけを取り上げているわけではない。いやむしろ、ほとんど取り上げていない。航空輸送において自由競争なんてほとんど無く、唯一参考になりそうなのは、創世記の直後のアメリカ国内線か、1980年代後半の規制緩和後に起きた航空会社が淘汰されていく過程ぐらいで、それでも自由競争とは言い難い。
上記のレポートで取り上げたのは、日本における小口貨物輸送と鉄道輸送である。前者は荷物のネットワーク構築がメインなので詳しい説明は略して、後者に着いて考えてみたい。経済学の授業でも取り上げることがあるそうだが、アメリカに今世紀前半、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道という2つの会社がニューヨークとシカゴを結んでいた。両社はそれぞれ、セントラルの「二十世紀特急」とペンシーの「ブロードウェイ特急」という看板列車を持っていた。この2つの列車の競争は古典的な自由競争の過程を辿る(だから教材になる)。まずスピードの競争が始り、限界まで高速化すると(休戦協定が結ばれた)、次は運賃の競争になり、そして最後は付加価値(サービス)の競争となった。
日本でも同様の競争が起きた。名古屋と大阪を結ぶ官鉄(国家直営)と関西鉄道(民間)の競争だ。これもアメリカと同じようにスピードの次に運賃、最後にサービス(きっぷを買えば弁当が付いた)の競争となった。この2つの競争は限りあるパイ(輸送量)を奪い合うという典型的な自由経済の下での競争である。ちなみに日米の2つのケースの果ては、どうなったかというと、アメリカの方は第二次大戦後に鉄道から航空へ人の流れが移り、元々収益が大きかったわけではない旅客輸送は衰退してしまって自然消滅。日本の方は鉄道国有化の政策により、国が関西鉄道を買収して終焉を迎えた。

で、何が言いたいかというと、ここ2~3年のマイレージ戦争である。もともとアメリカで誕生したマイレージサービスは日本にはなかなか入ってこなかった。米系航空会社が日本で多数の会員を確保していても日系航空会社の腰は重かった。それは一つには当時の景品表示法の兼ね合いで公取委(つまり国)が否定的であったことに起因する。従ってポイント制で景品には交換できても、無料航空券に交換は出来なかった。ところが増えつづける米系会社の会員数に対して、日系の2社がこのままでは著しく不利な状況になってしまう、という考え方を表明し、公取委の黙認というカタチで米型マイレージサービスに移行した。そしてもうマイレージサービスは定着し、導入時にちゃんとしたガイドラインを作成しなかったため、ボーナマイル花盛りになっている。今の状態は明らかに高い景品で購買欲を煽っている状態である。いずれどこかで国の介入があるか、あるいは共倒れ(ボーナスマイルが付かなくなる)するかのどちらかになるだろう。いずれにしてもボーナスがつくうちに乗っておいたほうが間違いない。

【答申】羽田発着枠を大手2社から後発会社へ

2004-09-07 11:51:36 | 航空旅行お役立ちメモ
羽田空港の望ましい利用について検討してきた国土交通省懇談会が、大手2社(JAL/ANA)が使用している20便分を後発の航空会社に移すことを求めた報告書をまとめる。
懇談会や委員会や検討会などこの国の行政にはどこか曖昧な部分があって、はっきりしない。お役所なり大臣が参考意見を求めて設置する機関は、国会なり国民なりの選任を受けた委員(あるいは理事)がなるわけではない。したがって権力があるわけではなく、ただの参考意見扱いである。出てくる答申・報告に国が従う義務はない(高速道路の件を見れば良く判る)。単に参考意見を聞く為に役所(つまり自分達)で、委員を決めて、出てくる回答が意に添わなければ無視する。こんな事に国費を浪費していったいどういうつもりかと言いたくなるが、それを言い出すと長くなるので、発着枠の配分の内容について検討したい。

20便分が移行するということは、JALやANAから見れば便数が減るわけだが、おそらく不採算路線が減便されるのだろう。資産的にも両社は機材の更新時期にあたっており、古い機材を退役させ、新規に導入する機材を減らせば(実は簡単ではないが)、余剰資産になることも無い。一方、後発会社(現状では、スカイマーク、AirDo、スカイネット・アジアの3社に加えて、北九州にも誕生しそう)側は大変である。いずれの3社も少ない発着枠を効率的に利用すべく、最少機材で運航している。発着枠が増えるということは新たに機材を導入しなければならない。辞退する手もあるが、羽田の発着枠は貴重で、次回がいつになるのかは誰にも判らない。したがって何とか手に入れるには、機材を増やすしかない。新規購入はもちろん、リース導入すら財務的にも小さいので厳しい。現実にスカイマークとAirDoは海外からのリースを諦めて、前回はANAの中古機材をリースで導入した。しかもこれらの後発会社は大手より安い運賃で、高い需要の路線に参入して旅客を集めるのがもっとも手早い方法なので、新しい20便分も高い需要の路線に使われるだろう。

結局、無理をして機材を導入しなければならない事態に追い込まれる航空会社は辛い立場である。さらに辛いのは、JALとANAから便数を減らされる採算が良くない地方路線を使っている人たちになる。

あきらめちゃダメ!座席指定

2004-09-01 23:19:29 | 搭乗記
関西空港発羽田空港行き全日空150便は国際線機材で運航される便で常連客も多い。アジアから国際線で飛んできたボーイング767型機が、夜間早朝のアルバイトとばかりに150便で羽田へ飛び、朝の141便で関西空港に戻って来る(羽田で整備終了した機材と交換されるケースも多いが)。このフライトに常連客が多いのは、前方席がCLUB ANAというビジネスクラスのシートを普通席として使っているからだ。

8月22日日曜日、天下茶屋(西成区)に居たボクは南海電車の急行で21時に空港に着いた。特割で買ったチケットの座席指定は19列目。CLUB ANAシートは機材によっても席数が変わるのだが、この日は11列目までで、それ以降は普通席になる。前方席にも空港用の調整席があり、早く来て変更を、とも考えたのであるが、空港に着いたのはギリギリに近い。
自動チェックイン機には列ができているのに、有人カウンターには誰も並んでいない。なにも並ばずに有人の方へ行けばいいのに、と思うのだが、こちらはそのおかげてメリットを享受しているのだから、大きな声では言えない。
カウンターでダメ元で席の変更をお願いすると、この日は座席が足らなくなるかも知れない、とのことで最終便への変更の協力を募っていた。どうせ普通席で帰るなら、同じ事なので協力可能の登録をしてもらった。

手荷物検査を経てゲートへ行くと出発の25分くらい前なのに搭乗が始まっている。取りあえず座席確定するまでゲート付近にいることになるので、座って待っていたら、出発15分前のチェックイン締切時刻となり、しばらくして「本日の150便はお座席の調整が出来ました。みなさんご搭乗下さい」というアナウンスが流れ、10人近くが一斉にゲートに近づき、しかも顔が少し残念そうに見える(なんだよ、みんな同じかよ/笑)。

ここでこのまま乗ってしまっては面白くない。チェックインを締め切ったと言う事は、座席が確定したと言う事で、中には座席指定していて現れなかった乗客がいるかもしれない。ゲートの係員にもう一度、座席の変更を希望すると、11列目の通路側でよろしければ・・・という返事。あらうれしや、とめでたく11列目通路側の搭乗券を手にした。
最後まで希望座席はあきらめちゃダメなのである。
おかげでぐっすり眠れて、気付いたら羽田で乗客が降り始めるところだった。離陸/着陸時刻などは羽田空港手荷物受取カウンターで教えてもらうことになり、多謝。

NH150/KIXHND
B767-381ER/JA8362
BOT/2124 TOF/2131
LDG/2223 BIN/2230