茶々

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日本お茶の歴史

2012年12月28日 09時17分42秒 | 日記





















































































平安時代 805年 最澄、近江坂本日吉社に唐より将来した茶実を植えるという。
また茶(団茶)を持ち帰ったという。
(『日吉社神道秘密記(ひえしゃしんとうひみつき)』)
806年 空海、中国より茶種、石碾(いしうす)を招来したという。
(『弘法大師年譜』)
鎌倉時代 1207年 明恵上人(みょうえしょうにん)、栄西(えいさい)より茶種をおくられ、
京都の栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)内に植えるという。
(『栂尾明恵上人伝』)
1214年 三代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の二日酔いに対し、僧栄西が茶盞(ちゃさん)を召し進め、相副えるに「茶の徳を誉める所の書」一巻(すなわり『喫茶養生記(きっさようじょうき)』)をもってしたところ、たちまち実朝の気分爽快になったという。
(『吾妻鏡(あづまかがみ)』
1241年

駿河国の僧弁円(そうべんえん:聖一国師)、宋(中国)から茶種を持ち帰り、同国美和村足久保に栽植したと伝える。
(『東福寺誌』)


 

1267年 大応国師(だいおうこくし)、宋より茶台子(ちゃだいす)とに関する書物七部を持ち帰る。(『本朝高僧伝』)
また、大応国師は茶宴や闘茶の習俗をも日本に持ち帰ったとされる。
南北朝時代
(室町時代)
1336年 足利尊氏(あしかがたかうじ)、幕府を開き『建武式目(けんむしきもく)』を定める。
その中で連歌会(れんかかい)、茶寄合(ちゃよりあい)を群飲佚遊(ぐんいんいつゆう)として禁止する。
安土桃山時代 1578年 豊臣秀吉、織田信長に茶湯を許可される。
(『宋及他会記(そうきゅうたかいき)』
江戸時代 1612年 徳川家康、茶会用茶の品質保全のため、静岡県安倍奥井川大日峠のお壷屋敷に保存させる。
1623年 元和(げんな)年間(1615~1623)駿河に茶問屋おこるという。
(『日本茶業発達史』 )
1654年 隠元禅師、中国より渡来して黄檗宗(おうばくしゅう)を開く。
1685年 駿河国安倍足久保村から、江戸城へ御用茶として献上される。
(『安倍郡茶業組合資料』)
1738年 山城の国湯屋ヶ谷村の永谷宋七郎(宗円)精良の煎茶を創製する。
1835年 宇治の茶師・山本嘉兵衛(徳翁)、玉露の製法を発明。
1859年 神奈川(横浜)開校と同時に製茶が輸出される。
日本茶輸出がここに始まる。(『日本茶輸出百年史』 )
明治時代 1869年 旧徳川藩士、静岡県下牧之原に土地の払い下げを受けて帰農し、茶園を開く。
(『牧之原開拓史考』)
1885年 高林謙三、生葉蒸器など特許を取得。
(『高林謙三翁の生涯とその周辺』)
1898年 高林謙三、製茶機械原理の元となる茶葉荒揉機を完成させる。
(『高林謙三翁の生涯とその周辺』)
1908年 杉山彦三郎、静岡県において品種「やぶきた」を選抜する。