初舞台で『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ。2作目で『ミス・サイゴン』のキム。と、東宝純粋培養の新妻聖子が、初めて東宝以外のミュージカルに出演。『ミス・サイゴン』以来、かなり好感度アップ、というか期待度格段にアップの彼女だけに、どんな芝居をするのか楽しみ&心配してました。しかも、本番前のインタビューでは、なんだか不安そうなことを口にしていたし……。でも、なんだ、すごくがんばってるじゃない、が最初の感想。心配していた課題、“男にはどうしたって見えない”っていうのも、ちゃんとクリアしていたし。何よりも、音楽の神に遣わされた存在、を観ているほうにも感じさせていた、と思う。
女装で(本当言えば女装ってことにはならないんだけど)サリエリの家を訪れ、彼から曲を贈られる場面。譜面を開き、クラヴィーアを弾き始める。最初は譜面通りに弾いていたのが、いつの間にか音楽の世界に入り込んでしまい、想像を巡らしながら自身のアレンジを加えた新しい曲を生み出してしまう。一端音楽に触れると、周りが見えなくなってしまう天性の無邪気さ、音楽の喜びに満ちあふれた表情、演奏者でいることができずに新しい音を生み出してしまう天才という性、湧き上がるような音楽への情熱、そのすべてを感じることができた。それは、彼女自身が、音楽を学んで身に付けた人ではなく、歌を愛するがゆえにこの世界に入ってしまった人だからなのかも。新妻聖子という人は、いつだって歌っていることが幸せ、と感じられる人なんだろう。
男(まあ、実際には女なんだけど)役も板についていた。エリーザとしてドレス姿で現れた時の方が違和感を感じてしまったくらい。ああやって、何気なく大股を開いたり、胸を反らして立ったり、何気ない仕草だけれど、どうしたって女性っぽさが見えてしまうものだけど、相当稽古段階で直したんだろうなぁ。新妻さんももちろんだけど、そこ、演出側も抜かりなく、ってことなんでしょう。ただ、男に扮しているんであって、少年に扮している訳じゃない、って思うこともあったけど。新妻さんのヴォルフィは、仔犬のように跳んだり跳ねたりする永遠の少年なんだよね。晩年は30代なんだし、さすがにもう少し大人の落ち着きがあったのでは、とか思ったりも。でも、ま、いつまでも少年のような人だったとしても、モーツァルトなら説得力があるから、もしかしたらそういう演出だったのかもしれないけどね。
なんだか新妻さん絶賛になってるけど、作品としては満足かと問われたら、ちょっと考えさせられる。冒頭とエンディング、あの戦闘シーン。あれとモーツァルトとの生涯が、いまいちリンクしておらず、胸に迫ってこなかった。マドモアゼルモーツァルトという人物の生涯を描いた作品に、無理矢理平和へのメッセージをこじつけた、みたいな気がしてならなかった。いつの世も戦争がなくならない世界に、ヴォルフィは、自らの無力さを知る。それはわかる。でも、なぜ急に戦争シーンが挿入されてきたのか、あの撃たれて死ぬ少女は何者なのか、まったく理解できなかった。あれがヴォルフィの生まれ変わりだとか、時空を超えて平和を願う人々の心が彼女に曲を書かせていたとか、“神の子”ヴォルフィは音楽を通じて世界中の人とチャネリングできるとか。何かがないと、いつまでもこの2つの世界は平行線を辿ったまま。モーツァルトの人生がしっかりと描かれていただけに、もったいなかった。彼女の人生をもっとファンタジックに描いていたら、そうでもなかったんだろうけど。偶然にも、この日は広島の原爆記念日。だから急きょ付け加えた、ってことなら納得もできるけど。
まあいい。全体的にはよくできた作品だったと思うから。アンサンブルの人々までまんべんなく上手な人を揃えているし、曲も陳腐じゃないし、セットも美しい。ミュージカルって、そういうところがちゃちだと、ほんとうにがっかりどころか、興醒めさせられるからね。そういう意味では、さすが音楽座といった感じでした。音楽座の復活に関しては思うところはいろいろあるけれど、幸先のいいスタートではあると思う。
女装で(本当言えば女装ってことにはならないんだけど)サリエリの家を訪れ、彼から曲を贈られる場面。譜面を開き、クラヴィーアを弾き始める。最初は譜面通りに弾いていたのが、いつの間にか音楽の世界に入り込んでしまい、想像を巡らしながら自身のアレンジを加えた新しい曲を生み出してしまう。一端音楽に触れると、周りが見えなくなってしまう天性の無邪気さ、音楽の喜びに満ちあふれた表情、演奏者でいることができずに新しい音を生み出してしまう天才という性、湧き上がるような音楽への情熱、そのすべてを感じることができた。それは、彼女自身が、音楽を学んで身に付けた人ではなく、歌を愛するがゆえにこの世界に入ってしまった人だからなのかも。新妻聖子という人は、いつだって歌っていることが幸せ、と感じられる人なんだろう。
男(まあ、実際には女なんだけど)役も板についていた。エリーザとしてドレス姿で現れた時の方が違和感を感じてしまったくらい。ああやって、何気なく大股を開いたり、胸を反らして立ったり、何気ない仕草だけれど、どうしたって女性っぽさが見えてしまうものだけど、相当稽古段階で直したんだろうなぁ。新妻さんももちろんだけど、そこ、演出側も抜かりなく、ってことなんでしょう。ただ、男に扮しているんであって、少年に扮している訳じゃない、って思うこともあったけど。新妻さんのヴォルフィは、仔犬のように跳んだり跳ねたりする永遠の少年なんだよね。晩年は30代なんだし、さすがにもう少し大人の落ち着きがあったのでは、とか思ったりも。でも、ま、いつまでも少年のような人だったとしても、モーツァルトなら説得力があるから、もしかしたらそういう演出だったのかもしれないけどね。
なんだか新妻さん絶賛になってるけど、作品としては満足かと問われたら、ちょっと考えさせられる。冒頭とエンディング、あの戦闘シーン。あれとモーツァルトとの生涯が、いまいちリンクしておらず、胸に迫ってこなかった。マドモアゼルモーツァルトという人物の生涯を描いた作品に、無理矢理平和へのメッセージをこじつけた、みたいな気がしてならなかった。いつの世も戦争がなくならない世界に、ヴォルフィは、自らの無力さを知る。それはわかる。でも、なぜ急に戦争シーンが挿入されてきたのか、あの撃たれて死ぬ少女は何者なのか、まったく理解できなかった。あれがヴォルフィの生まれ変わりだとか、時空を超えて平和を願う人々の心が彼女に曲を書かせていたとか、“神の子”ヴォルフィは音楽を通じて世界中の人とチャネリングできるとか。何かがないと、いつまでもこの2つの世界は平行線を辿ったまま。モーツァルトの人生がしっかりと描かれていただけに、もったいなかった。彼女の人生をもっとファンタジックに描いていたら、そうでもなかったんだろうけど。偶然にも、この日は広島の原爆記念日。だから急きょ付け加えた、ってことなら納得もできるけど。
まあいい。全体的にはよくできた作品だったと思うから。アンサンブルの人々までまんべんなく上手な人を揃えているし、曲も陳腐じゃないし、セットも美しい。ミュージカルって、そういうところがちゃちだと、ほんとうにがっかりどころか、興醒めさせられるからね。そういう意味では、さすが音楽座といった感じでした。音楽座の復活に関しては思うところはいろいろあるけれど、幸先のいいスタートではあると思う。