劇場でひとりごちてみる。

職業、ライター。趣味、観劇。というわけで、芝居の感想なぞをつれづれなるままに綴ってみました。

音楽座ミュージカル『21: マドモアゼルモーツァルト』

2005-08-07 | ミュージカル・音楽劇
初舞台で『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ。2作目で『ミス・サイゴン』のキム。と、東宝純粋培養の新妻聖子が、初めて東宝以外のミュージカルに出演。『ミス・サイゴン』以来、かなり好感度アップ、というか期待度格段にアップの彼女だけに、どんな芝居をするのか楽しみ&心配してました。しかも、本番前のインタビューでは、なんだか不安そうなことを口にしていたし……。でも、なんだ、すごくがんばってるじゃない、が最初の感想。心配していた課題、“男にはどうしたって見えない”っていうのも、ちゃんとクリアしていたし。何よりも、音楽の神に遣わされた存在、を観ているほうにも感じさせていた、と思う。
女装で(本当言えば女装ってことにはならないんだけど)サリエリの家を訪れ、彼から曲を贈られる場面。譜面を開き、クラヴィーアを弾き始める。最初は譜面通りに弾いていたのが、いつの間にか音楽の世界に入り込んでしまい、想像を巡らしながら自身のアレンジを加えた新しい曲を生み出してしまう。一端音楽に触れると、周りが見えなくなってしまう天性の無邪気さ、音楽の喜びに満ちあふれた表情、演奏者でいることができずに新しい音を生み出してしまう天才という性、湧き上がるような音楽への情熱、そのすべてを感じることができた。それは、彼女自身が、音楽を学んで身に付けた人ではなく、歌を愛するがゆえにこの世界に入ってしまった人だからなのかも。新妻聖子という人は、いつだって歌っていることが幸せ、と感じられる人なんだろう。
男(まあ、実際には女なんだけど)役も板についていた。エリーザとしてドレス姿で現れた時の方が違和感を感じてしまったくらい。ああやって、何気なく大股を開いたり、胸を反らして立ったり、何気ない仕草だけれど、どうしたって女性っぽさが見えてしまうものだけど、相当稽古段階で直したんだろうなぁ。新妻さんももちろんだけど、そこ、演出側も抜かりなく、ってことなんでしょう。ただ、男に扮しているんであって、少年に扮している訳じゃない、って思うこともあったけど。新妻さんのヴォルフィは、仔犬のように跳んだり跳ねたりする永遠の少年なんだよね。晩年は30代なんだし、さすがにもう少し大人の落ち着きがあったのでは、とか思ったりも。でも、ま、いつまでも少年のような人だったとしても、モーツァルトなら説得力があるから、もしかしたらそういう演出だったのかもしれないけどね。
なんだか新妻さん絶賛になってるけど、作品としては満足かと問われたら、ちょっと考えさせられる。冒頭とエンディング、あの戦闘シーン。あれとモーツァルトとの生涯が、いまいちリンクしておらず、胸に迫ってこなかった。マドモアゼルモーツァルトという人物の生涯を描いた作品に、無理矢理平和へのメッセージをこじつけた、みたいな気がしてならなかった。いつの世も戦争がなくならない世界に、ヴォルフィは、自らの無力さを知る。それはわかる。でも、なぜ急に戦争シーンが挿入されてきたのか、あの撃たれて死ぬ少女は何者なのか、まったく理解できなかった。あれがヴォルフィの生まれ変わりだとか、時空を超えて平和を願う人々の心が彼女に曲を書かせていたとか、“神の子”ヴォルフィは音楽を通じて世界中の人とチャネリングできるとか。何かがないと、いつまでもこの2つの世界は平行線を辿ったまま。モーツァルトの人生がしっかりと描かれていただけに、もったいなかった。彼女の人生をもっとファンタジックに描いていたら、そうでもなかったんだろうけど。偶然にも、この日は広島の原爆記念日。だから急きょ付け加えた、ってことなら納得もできるけど。
まあいい。全体的にはよくできた作品だったと思うから。アンサンブルの人々までまんべんなく上手な人を揃えているし、曲も陳腐じゃないし、セットも美しい。ミュージカルって、そういうところがちゃちだと、ほんとうにがっかりどころか、興醒めさせられるからね。そういう意味では、さすが音楽座といった感じでした。音楽座の復活に関しては思うところはいろいろあるけれど、幸先のいいスタートではあると思う。

『父と暮らせば』を想う

2005-08-06 | お芝居以外
明日(というか日付的には今日だけど)は原爆記念日だ。今年が戦後60年の節目ということもあり、テレビをつけると、戦争を扱ったいろんな番組が放送されている。仕事をしながら何気なくつけていたニュース番組でも、被爆者たちが被爆体験を語る姿が放送されていた。それを観ながら、ふと、このブログでも書いた、井上ひさし作『父と暮らせば』の一場面が思い出された。これまでにもいくつもの戦争番組は観ていた。が、どこか遠い昔の出来事、離れた場所での出来事、と感じていたような気がする。が、今回はどうにもそうは思えなかった。頭によぎるのは、西尾まりさんのセリフ。ピカを浴びた瞬間、真っ黒に焦げたおとったんの姿、見るも無残な周囲の景色、心の痛み。もちろん、原爆を体験したわけじゃないけれど、西尾まりに自分を投影させることで疑似的にではあるけれど、原爆を“知った”。それだけに、今年の原爆記念日は、どうも他人事のように思えなくなっているのかもしれない。そう思ったら、演劇の可能性を感じた。いい芝居は、こうやって人の心を、思いもよらないようなふとした瞬間に、その作品世界の中に引き戻すんだなぁ。何をいまさら、って思うかもしれないけれど、そんなことを実感した出来事だった。こんなことがあると、また芝居を観るのがやめられなくなる。

帝国劇場『モーツァルト!』中川晃教版

2005-08-01 | ミュージカル・音楽劇
井上モーツァルトが予想外によかっただけに、「今回はヨッシーに軍配かな?」と勝手に思っていたが、いやなに、中川アッキー、よかったっす。たぶん彼、今回すごく苦労したんだろうな。初演のときは、モーツァルト役に自分を投影させるだけでよかったんだと思うけれど、3年が経ち、いくつかの舞台を経験して、自分がどう立ち回るべきか、どんな立ち位置をとるべきか、自分が客席からどう見えるのか、そんなことをどうしたって意識せずにはいられなかったはず。考えて演じるようになった時点で、考える前に曲が頭に浮かんでしまうモーツァルトとはかけ離れるからね。幕が開いた前半ごろは、どうもいい噂を聞かなかったから、まだその迷いの森から抜け出せずにいたんだろうと思う。でも、この日は、その迷いをも役に投影させていたように感じた。凡人として生きられない(父の望む息子になれない)自分自身へのジレンマ、もがき苦しみ、その苦しさを爆発させるかのように作曲にのめり込む。中川くんのモーツァルトは、炎のような情熱を感じた。炎の音楽家といえばヴェートーベンなんだけど、モーツァルトだってああやって命を削るようにして曲を書いていたのかもしれない、と思えた。だって、当時の人は生きてはいない訳だし、本当のところは誰にも謎、だから。
おもしろかったのが、井上くんのモーツァルトでは『僕こそミュージック』が最も印象深いのに、中川くん版では『影を逃れて』が一番印象的だったこと。逃れたい思いを強く強く感じちゃったよ、で、ちょっと涙。やっぱし、あのシャウトは、中川君だからよね。井上君には似合わないし、できないと思う。彼は、歌を美しく聴かせる人だから。でも、どっちのモーツァルトも好きだな。それぞれ、まったく違うキャラクター、まったく違う解釈で歌う部分が多くて。それを感じたのは、『僕こそミュージック』。井上君は、音楽が側にある喜びを歌い、中川君は湧き上がる音と共に自然に出た歌、という感じ。同じ演出を受けていても、こういう違いが出てくるから、Wキャストっておもしろいんだなぁ。
ああ、書き忘れていたけれど、香寿たつきさんのヴァルトシュテッテン男爵夫人、素敵でした。久世さんのより、香寿さんのほうがこの役には合うな。気高くて包容力があって、でもどこか一方的な推しの強さがあって。力強く歌い上げる香寿さんの声がハマってました。ああ、もっと出番があればいいのに(笑)。ただ、ただ……、木村佳乃が……。もう、目も当てられない下手さ加減に、ただただあ然。宮本亜門演出『滅びかけた人類、その愛と本質とは』、蜷川幸雄『心もそぞろ狂おしの我ら将門』、そして今回。3作観たけど、どれも満足できる出来じゃない、っていうか、もう少し周りを見ろ、と思ってしまうことばかり。テレビではそんなに芝居が下手だとも思わないのだけど、なんででしょう? せめてミュージカルからは足を洗った方が、自身のためにもいいと思う。これで、女優としての評判下げるんじゃないかって、マジで心配してしまうよ。そういえば『ナイン』のパンフでルヴォー氏と対談していたけれど、まさか、『ナイン』に出演しようとなんかしていないだろうね。そんなことになったら、tptのセンスを疑ってしまうかも。西田ひかるがけっして適役とは思わないけれど、ずっとよかった。歌はうまいからね。前回の松たか子も、キャラが合ってないのと、どう考えても中川君や井上君と恋人同士に見えないのとですごく違和感を感じたけど、もうすでにそういう問題ですらない。とはいえ、コンスタンツェは誰がいいんだろうって考えると、なかなか適任は思い浮かばないけれど。そんなわけで、惜しい。木村佳乃の存在が。客席からは、苦笑すら聞こえて来たからね。ああ。
あとは、それほど気にはならなかったけれど、アマデは物足りなかったな。ペンでモーツァルトの腕を刺す場面とか、明らかにためらいが見える。フリって難しいし、寸止めしないと危ないし、遠慮もあるし、大変だろうけど、あまりにも分かりやすく躊躇するから、アマデの存在が希薄に思えてしまった。市村&山口、の元ファントム2人は、そろそろ飽きてくる頃なんだろうか、なんだかちょっと遊びを入れてきてた。どちらも、ずっと難しい顔をしっぱなしの厳格な人の役だから、つまんないんだろうね。とくに、コロレド大司教のトイレのシーンは、ちょっとやりすぎなくらい(笑)。ま、いいけど。
そうそう、忘れてならないのは、アンサンブルがいい! ってこと。今回、大阪から一緒のカンパニーってこともあるだろうし、エリザの稽古と平行しているのもあるんだろうけれど、アンサンブルのクオリティが高いのに感心しきり。結構ソロで歌う場面もあるんだけれど、みんながみんな、和を崩さずに歌ってました。アンサンブルがいいと、カンパニーが締まるからね。作品世界もぐっとよくなる。結構重要だったりするわけです。全員に拍手を!