劇場でひとりごちてみる。

職業、ライター。趣味、観劇。というわけで、芝居の感想なぞをつれづれなるままに綴ってみました。

tpt『ナイン』

2005-05-30 | ミュージカル・音楽劇
昨年の『ナイン』は衝撃的だった。壁画を伝って流れ、舞台上に溢れる水。天上に繋がっているかのような螺旋階段。神殿を思わせるような荘厳な柱。このセットを観ているだけでもまるで夢のようで、女性たちは美しく魅力に溢れていた。ただただ残念だったのが、福井貴一に色気が足りなかったこと。歌も芝居も上手なのに、どうしても希代の天才映画監督で、女性たちの憧れの的、グイード・コンティーニにはみえなかった。そんなときに、この再演。しかもグイードは別所哲也である。背が高くて二枚目でインテリ。これでは期待せずにはいられない。
……が、その期待が裏目に出た。芝居が始まってすぐ。高橋桂さんと別所さんの絡みのシーン。第一声から驚いた。その芝居がかった口調、わざとらしいまでの外人風な身振り手振り。普通にしていて恰好良いんだから、そこまで作らなくてもいいと思う。高橋桂も、オペラ歌手でありながら、歌は心に響かせるものが感じられず、期待を裏切られた感じ。再演ということもあって、気負いすぎたのか、前回のようなキレがない。本当に残念。
でも、大浦みずき&池田有希子は素晴らしかった! 本当にブラヴォーでした。大浦さんは、グイードの映画のスポンサー。客イジリする場面があるんだけれど、そのいなしかたといったら、手慣れたものでした。私もあそこで弄られたい! わはは。そのシーンのあとのソロシーンでは、ほかの女性キャストたちがバックダンサーのように羽根を持って大浦さんの後ろに整列。それがね、まるで宝塚のレビューのようでした。ああ、彼女の宝塚時代を観てみたかったと後悔した瞬間でした、池田さんも全身から妖艶さや色気が発せられていて、女の私でもウットリ。後半、グイードにルイーザとの離婚話を無邪気にする場面、その後に彼から罵倒に近い拒絶をされた瞬間の、何をいわれているのか一瞬わからないような表情、そして破り捨てられた離婚届を手に泣き続ける場面。ここにカルラがいかにグイードを本気で愛しているか、表現されていた。彼の才能でも名声でもなく、彼自身を愛していた、ということが。グイードから去っていくシーンの、吹っ切れたというよりも、傷つきすぎて心の痛みがマヒしているような表情にグッときました。“シンプルに~お別れ”と歌う歌は、これまでの妖艶なイメージとは違い、まるで少女のよう。シンプルな愛だったんだろうなぁ。かわいそうに。この2人には、前回も今回もやられました。次の作品は、ぜひぜひチェックしたいものです。
最後のクライマックスは、やっぱりよかったな。インスピレーションの源の女性たちが次々と彼の元を去り、アイデアが枯渇してしまったクリエイターの悲劇。自殺を選ぼうとするグイードの前に現われたのは、9歳のグイード。別所さんのトゥーマッチ芝居もさほど気にならず、彼の苦悩と孤独、未来への絶望感に、ストレートに感情移入できた。でもね、このあとの桂さんが……。なんでだろうな、前回はほんとよかったのに。調子悪いだけなのかもしれないけど。
でもやっぱり、作品自体は素敵だと思う。女性たちが本当に美しく描かれているし、女優さんたちが、それを本当に楽しそうに演じている姿はやはり観ていて気持ちのいいもの。それになによりも舞台の美しさは、比類をみないほど。美術だけじゃない。衣装、メイク、女優たちのルックスまでを含めての美しさ。そこに別所さんが加わって、ビジュアル面ではさらにランクアップしていた。それは間違いなく。そしてもちろん、ストーリーの厚みもあると思う。今回は、それをより強く感じた。再演のいいところは、前回はストーリーを追うばかりだったのが、もうすこし深い視点でられること。前回はただただ、美しいとか奇抜だとかってことにばかり囚われていた、スパの水が溢れてくるシーン。今回は、グイードのインスピレーションが湧き上がれば水が満ち、枯渇したときに水はすっかり引いている、そんなふうに感じました。一幕目の終わりの赤い砂は、どんな意味だったんだろう? あれは、創造の源なのだろうか。サラギーナがテーブルからコップを取り上げて、サラサラと床に落とすんだから、なにか性的なものに関連するのかな。ルヴォー氏の考えを聞いてみたいものだ。

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル2000回スペシャルバージョン」

2005-05-26 | ミュージカル・音楽劇
初めて『レ・ミゼラブル』というミュージカルに出会ったのは、18年前のこと。当時まだ田舎の中学生だった私にとって、迫力のある舞台セット、時代を忠実に再現した(といっても、自分のイメージの中でだけだけど)扮装、叙情的な演出、そのすべてが衝撃的だった。そして、目の前で繰り広げられる壮大な人間たちのドラマ、胸を突くような音楽と歌。“心が震えた”と言ってもけっして言い過ぎではないほどの大きな感動を受けた。それから何度となくこの作品を観続けてきている。もちろん、その度に新しい感動もあったし、素晴らしいキャストにも出合っている。でも、あのときのキャストが、と、どこかで比べてしまう自分がいたことも確か。舞台のよさは、もう2度と同じものが観られないという生のエネルギーではあるけれど、見逃してしまった話題のキャストも多い。そこに、今回のスペシャルバージョンの上演である。もう、観ずにはいられない、と強く強く思う。
とはいえ、当然のことながらチケットはすごい競争倍率。発売日当日に帝劇にン時間も並んだにも関わらず、購入することができなかった。でも、願い続けていれば神は現われるものである。ふと通りかかったチケットショップの前で、何気なく価格をチェックしようとしたときに目に入ったのが、たった1枚だけ定価よりも100円安く売りに出されていた1枚。何度も何度も金額を確認し、何度も何度も日付を確認し、信じられない想いのまま購入した。こんなこともあるんだなぁ。
念願のスペシャルキャストによるレミゼは、ただただ素晴らしかった、の言葉に尽きる。何よりも、やはり鹿賀丈史のジャベールがよかった。舞台に登場する度に、空気がピリリとするのを感じた。ミュージカルにありがちな、朗々と歌い上げることをせず、感情を抑え、一定のトーンを保って歌う。その裏には、ジャベールの厳格さ、冷酷さ、自信と自負、権力を持つ者の威圧感がある。その分、後半のバルジャンに命を救われてからの混乱、迷いが一層際立ってきたように思う。そして、島田歌穂のエポニーヌ。少年のように振る舞いながら、その合間に見せる少女らしいマリウスへの想いが、演技や歌から滲み出ていた。深い深い役への理解があればこその豊かな表現力。もちろん歌唱力もあるけれど、同じくらい歌える女優はほかにもいると思う。でも、音譜に描かれている以上のものを、あれだけ表現できる歌手は少ないんじゃないだろうか。『オン・マイ・オウン』で、初演以来の胸を突かれるような思いを味わった。あらためて、エポニーヌという役の大きさを味わう。
岩崎宏美のファンテーヌもよかった。気丈な女性というよりも、守らなければいけないものがあるという母性から湧き出るような強さを感じさせる。この人は、最初から強かった訳じゃなく、辛い境遇やコゼットの存在、暗い世相のなか、強くならなくてはいけなかったんだろうなと思わせる。そのバックグラウンドを想像させるに足る素晴らしい歌声は涙を誘った。
出色だったのは、岡幸二郎のアンジョルラスと、石川禅のマリウス。個人的には、サカケンアンジョ、山本マリウスが好みなんだけど、この2人は妙な説得力があったと思う。岡さんのアンジョは、彼のカリスマ性を感じさせるし、禅さんのマリウスは、スマートで信念に溢れていた。なんといっても、2人とも声の質が役にぴったり。これまで拝見していなかったのが、惜しいと感じさせる2人。じつは、石川禅さん、ルックス的にこれまでのマリウスと比べてどうなの、と思うところもあった。だって、石井一孝さん、山本耕史くん、泉洋平くん、とかがやる役なのよ。でもでも、そんな思いを払拭させてくれるくらい、歌も芝居も誠実さと包容力に溢れていた。
ほんとうに、素晴らしかったというひと言に尽きる。レミゼという作品の魅力、パワーを再認識させられる。観られて本当によかった。こういう舞台に出合うから、芝居フリークをやめられないのだ。

歌舞伎座「中村勘三郎襲名披露興行」昼の部

2005-05-26 | 歌舞伎・伝統芸能
夜に急な通夜が入り、その準備に追われて、一幕目の「車引」を見逃す。ここ最近、というかNODA MAP出演以降、勘太郎のめざましい成長に感心しきりなだけに、ちょっと残念。
で、「芋掘り長者」の頭に到着。これ、先代の三津五郎が演じた上演テープを元に、当代の三津五郎が復活させたものなんだとか。なによりも、踊りの達者な三津五郎が踊れない、という設定がおもしろい。最初は、面をつけて踊るということで、踊りの名手である橋之助に代わってもらったが、「今度は面をとって、もうひとさし」とのリクエストに、ええいままよ、とめちゃくちゃな踊りを披露する。そのユーモラスなことといったら。こういうのって、きっと踊りの名手・三津五郎だからこそ魅せられるものなんだろうな。踊りに関しては、あまり気の利いたコメントができない自分がもどかしいけれど。最後の芋掘り音頭もよかった。亀治郎扮する姫までが踊っちゃうところに、愛嬌を感じて。こういう楽しい舞踊なら、眠気も襲ってこないのになぁ(苦笑)。
『芝居前』はとにかく豪華。口上の代わりにっていう趣向なんだけれど、3か月も続くと口上もちょっと飽きてくるんだよね、実際。なので、こういう形で華やかに襲名を祝うっていうのが新鮮だったし、なによりも新勘三郎の襲名らしい気がした。両花道が設置され、どう使うのかと思っていたら、中村家一家と、雀右衛門、富十郎、芝翫だけの簡単な口上のあと、本花道からは菊五郎ら立役の役者が、仮花道からは玉三郎ら女役の役者がすら~り。白波五人男、を彷彿とさせるような、傘を差し、それぞれが芝居口調で祝いを述べるところは、歌舞伎の華やかさ、セリフ回しのおもしろさ、役者の華を思う存分見せつけた。
『髪結新三』はねぇ、う~ん、記憶に薄い芝居でした。最初はいい人のように振る舞っていた新三が、だんだんその性根を見せていくところが、この芝居のキモだと思うんだけれど、なんかその気迫というか、新三の悪が露呈していく部分の冷ややかさに欠けるというか。なんか、もうちょっと悪の色気みたいなものを感じさせて欲しかったなと。三津五郎の大家はよかったけど。うま~く新三を手玉に取ってる感じが、軽妙で。この人は、こういう軽妙な役をやると好きなんだな、と実感した次第。

3~5月の3ヶ月間、勘三郎襲名を見続けてきたわけだけど、そこですごく思ったのは、多くの役者たちが、本当に心から勘三郎の襲名を盛り上げようとしているっていうこと。観客はもちろんだけれど、同業者たちにあんだけ愛される役者ってすごいよね。それだけでも、勘三郎という人の人となりを想像できる。ほんとうに芝居が好きで、本当にいい人なんだろうな。男としての色気もあるし。そんなわけで、これまでより勘三郎が好きになった3か月でした。

「火焔太鼓」

2005-05-22 | ストレートプレイ
前回の風間杜夫&平田満@明治座「次郎長恋の鞘当て」に大ハマリした私。当然のごとく、「火焔太鼓」も、かなりな盛り上がりとともに行って参りました。この作品自体が、志ん朝の落語を下敷きにしていることもあり、幕開きの初め(落語的には枕というんだっけ)は風間杜夫の落語。話の切り出しかたといい、口調といい、これがすごく上手で驚いた。パンフを読んで後で知ったことだけど、なんと志ん朝のファンで落語を憶え、落語会に出演したこともあるらしい。なるほど、合点。合点。合点……といきたくなるくらい、堂に入っていた。落語って、ひとりで何役も演じ分ける(語り分けるというのだろうか?)んだけど、その話しかただけでなく、仕草や表情にまでそれぞれの登場人物のキャラクターが生きていた。柳家喬太郎という人の落語を観て、彼の落語が生き生きと見えるのは、それぞれの登場人物が作り込まれて表現されているからなのかな、と思ったこともあり、こういう実力派がやると、やっぱしうまいんだと半ば強引に納得したりして。
で、芝居はといえば、最初の感想は「平田満の出番が少ない!」でした、正直。前回、彼が演じる次郎長にズギュンとやられちゃっただけに、活躍を期待していたのですが、残念。しかも、あの殿様役、見せ場なしだった。平田さんの、情けない中にもどこか芯を感じさせる、っていう演技が小出しにされてはいたものの、それをはっきり見せる場がないから、しっかりしているような感じもするけれど、やっぱり頼りない殿、ってことになっちゃってて。でもね、余貴美子と風間杜夫のやり取りに、お互いに言い合いはしょっちゅうなんだけど信頼し合ってる、っていう感じがみてとれたり、やっぱり安定している役者の演技ってすごいな~と感心するところしきりでした。さすがですわ、うん。
物語は、『火焔太鼓』をベースにしながら、ほかの落語のネタも絡めているんだけれど、そのおかげで火焔太鼓自身のおもしろさが半減している気はしました。だって、二束三文で買った太鼓を300両で買う、って殿様がいう根拠がわからない。殿様の恋愛話を絡めてしまったことで、まるで女(加藤貴子)にいいところを見せるために300両で買ったようにも思えるし、名器だってかこつけて、女に一目会いたかっただけのようにも見える、っていうか書かれている。本来は、目利きの殿様が音を聴いて名器だとわかって買うわけで、女がどうこうっていうものじゃないのに。これじゃ平田殿様、あんまりバカ過ぎやしないかってね、涙。しかも、萩原聖人も、博打で50両借金して首が回らなくなっていたところを風間杜夫に助けられて、すごく感謝してたくせに、その借金返そうとして、また250両の借金を作るわけ。そんな男と結婚しても、加藤貴子は絶対に幸せになれないよね。それなのに、ハッピーエンドもないもんだ、と。
……なんて、毒舌を吐きながらも、なぜか明治座という場所は、明るいハッピーエンドが似合う場所でして、結局はいい気持ちで劇場をあとにした私。わたしがいちばん現金だね。

「キャッツ」劇団四季

2005-05-21 | ミュージカル・音楽劇
久々に観てきました。五反田にできたキャッツシアターは、ステージの前方の席が開演と同時にくるりと回転する仕掛け。ちなみに私は、ジェリクルシートと呼ばれるステージそでの2階席。ここはキャッツたちが目の前を出入りするという、なかなか趣向に溢れた場所でした。ここ数年、劇団四季を観ても、昔のような高揚感を味わえずに消化不良のまま過ごしていた私。そろそろ見切りをつけようかなどとも思ったこともあるんだけど、この、毎回少しずつ変化してゆくキャッツシアターをどうしても体験しておきたい! とまあこんな思いもあって訪れた訳だけど、やっぱりすごい。このシアターを見ると、純粋に観客たちを楽しませようというスタッフの思いを感じる。キャッツっていう作品自体、劇場に特大サイズのゴミたちを配置したり、観客のなかに彼らが紛れ込んだりと、その身近さや臨場感が魅力なんだけど、四季のキャッツシアターは、さらにそれを進化させている。しかも、日本独自。この姿勢には、素直に敬意を表します。
しかし、舞台は満足度65%といったところ。前回キャッツを観たのが、品川のキャッツシアターのときだから、かれこれ●年前のこと。でも、始まった瞬間にセリフとか唄とか覚えている。そんな自分にびっくりしたけど、それと同時に違和感も覚えた。冒頭のマンカストラップの「ナイフで切ったような夜……」のセリフ。すごく芝居がかって発せられていて、キレを感じなかった。あれじゃ、劇場の空気は、“ナイフで切ったよう”には感じられないなぁ。それと、ミストフェリーズの、しなやかな身のこなし、どこかに漂う“妖し”の雰囲気が……足りない。小さなキャッツのはずなのに、さほど小さくもないし。マジシャン猫って気にさせてほしい。だって、実際のマジックはすべてセットの仕掛けなんだからさ。それと、シラバブのピュアゆえの美しさ、神聖さみたいなものも。残念。全体的に、キャッツたちに緊迫感を感じず、物足りない印象でした。
とはいえ、そうはいいながらも楽しめましたよ。もちろん。本当にミュージカルとしてよくできている作品だなと、改めて実感しました。歌にも仕掛けにも、楽しませる要素がいっぱいだからね。何度もリピートはしないけど、たまに観ると、ミュージカルの力や可能性を感じてしまいます。NYやロンドンでも、再演してくれることを望みます。

一瞬の気のまよい

2005-05-19 | お芝居以外
ときどき自分のブログを覗いてみる。ついついテンプレートを変更してみたりするが、結局またもとに戻した。シンプルが一番。っていいながら、また変えたくなったりするんだろうな~。

宝塚歌劇 月組公演「エリザベート ー愛と死の輪舞ー」

2005-05-17 | 宝塚
宝塚版のエリザベート初見。以前に東宝版を観ていたんだけど、山口さんや内野さん、トートダンサーたちのあのコスプレの意味がよくわからなかったんだよね。じつは。だって、物語の流れとして、トートは眉目秀麗で妖艶な男性である必要はあると思うけれど、なにもあんなふうに少女マンガチックじゃなくてもいいと思う訳です。2人があの扮装しているっていうだけで、なんか笑ってしまって、どうしても世界に入っていけなかったし。でもね、宝塚版を観てようやくわかった。トート閣下は、男性とか女性とかといった俗世の存在とは違う、なにかもっと崇高な所にいるんだな。妖しく美しい魅力で死への憧れを抱かせる存在であり、一度その魅力に取り憑かれると、なかなか抜け出すことができない。自殺っていうものに、一種の美学を持つ人がいるけれど、あれはまさにトート閣下に魅入られた、といったことなんだと思う。彩輝直のトートは、それくらい妖艶な魅力に溢れていた。でも、東宝版とは違い、トートが主役なんだったら、もっともっと彼のエリザベートへの強い想いを描いて欲しかったとも思うけど。個人的には、この話、ルキーニが気になる。この人に説得力があるかどうかで、この物語に入れるかどうかが決まるような気がして。東宝版の高嶋政宏もよかったし。霧矢大夢もよかった。こういう役って、女性が演じるといまいちさん臭さやアクの強さが出にくいような気がするけれど、うまくハマっていたと思います。宝塚版がよかったといえば、あとはルドルフ。トート閣下に魅入られていくところなんかビジュアル的にも美しくて、それがこの後の悲劇的な顛末を予感させるようで。エリザベートは、宝塚の演目の中でも人気なのだそうだけど、その理由もよくわかった。こういうファンタジー色の強い作品は、ストレートに演じるよりも宝塚で演じられるほうがいいんだね。これまで宝塚を敬遠していたのは、その大仰な芝居がどうしても入り込めなかったからだけど、この作品って、そういう芝居じゃないとちょっと“痛い”感じになりかねないんだな、と。そういう意味でも、宝塚のすごさを実感できる演目で、これをきっかけに宝塚にハマってしまいそうな予感。それくらい、宝塚の魅力全開な作品でした。

「プリンセス天功グレートイリュージョン ジャパンツアー2005」

2005-05-15 | ショー・ダンス
プリンセステンコー初体験でした。すごかったっす。とにかくレーザーの応酬。ご本人が、以前の取材で「いまアメリカではレーザーを全面的に禁止していて使えないため、日本公演ではレーザーを思う存分使いたい」といった意味の発言をされていましたけれど、ほんとうにおっしゃる通りの派手な演出でした。
今回は『ジャパン』がテーマだそうで、オープニングからのショーは、着物をアレンジした衣装で登場。腕を振るたびに、長い袖とその下の襦袢(?)がひらりひらりと舞い上がり、それはもう華やかでキレイでした。イリュージョンのほうも、期待通り、箱の中に入れた男が消えたり、空中浮遊するわと盛り上げていました。とはいいつつも根が素直でない私は、ときに『たぶんこんな感じの仕掛けだな』とか考えてしまったりして、純粋にイリュージョンを楽しむ姿勢が貫けてないところがダメなんだろうなぁ。でも、いくら考えてもわからないものも多かった。手錠でつながれ、箱の中に閉じこめられた2人と、その上に乗っていた2人が入れ替わっているマジックは、とくに驚きでした。ほんと。
でも、正直な話、ショーの半ばのテンコーが出てこない部分はちょっと興醒め。マジックはすごいのだけど、やはりショーって、華のある人がいないと盛り上がりに欠けるのよね。どうしても。それって、演じ手にすごく失礼な話だとは思うけれど、お芝居でもいくら演技がうまくても、なぜか盛り上がりに欠けるのって、役者の華のなさだから、ね。そういう意味でも、プリンセステンコーはやっぱり華がありますね。最初に登場したときなんか、つい「かわいい」ってつぶやいてしまったし。これって、ディズニーランドに行ったときに似てる、とも。普段、ミッキーのこと別に好きでも無いのに、ショーにミッキーが登場するとなんだか妙に興奮してしまう、そのときの気持ち。カリスマ性っていうのがそれなんでしょうね。
そんな訳で、後半に入ってテンコーが現れたときには、拍手喝采してしまいました。でも、登場前に流れた、昔のテレビ番組のハイライトみたいな映像には笑ってしまったが。車に乗って火焔地獄のなかから脱出するとか、爆発する遊覧船のなかから脱出するとか。なんの意味があって流すんだか、その効果については定かではありません。ご本人に伺ってみたいものです。でも、兜がマントをつけると動き出したりするのは、なかなか見ごたえありました。派手なのが好きなんですね、私。なんたって、スーパー歌舞伎好きですから。でも、ラストはぜひ、舞台の上で鮮やかに消えて欲しかった。全身を覆っていた毛皮だけが舞台に残されて、幕が閉まる。そのほうがドラマティックだったなぁ。でも、これで4500円(B席)。コストパフォーマンス的には満足です。とはいえ、私はご招待で行ったのですが。隣に座っていた友人は値段のわりにショーが短い(1時間30分)と愚痴ってましたが。
見終わっての感想は、市川猿之助は偉大だなということ。衣装の派手さやサプライズ部分はほぼ互角だと思うんですよ。ま、イリュージョンの代わりに、早替えや宙乗りなんですけれど。でも、彼を盛り上げるブレーンは、中国から呼び寄せた京劇役者たちだったりするわけです。だから、合間、合間の群舞も飽きさせない演出がされてるんですよね。で、彼らのアクロバティックな演技は、本当に肉体を鍛え上げることによって魅せているから、観ていて感じるエネルギーがすごいわけです。そういう意味で、猿之助氏は演出家として素晴らしい。復帰は難しいのでしょうか。快復を祈っております。

パルコ劇場「最悪な人生のためのガイドブック」

2005-05-14 | ストレートプレイ
将来の夢がまだ決められずにいるフリーター。ピザとピザアミーゴをこよなく愛する42歳。これがドイッチ。自分にはなにかでかいことがやれるはずと、大望を抱きながらも実がない21歳フリーター。これがオノッチ。して、仕事は周りにも認められ、収入も安定し、生活にも不自由はないが、どこか人寂しい独身女。これがアベコ。
なんだか、身につまされるような物語でした、正直。もちろん、私にとってはアベコが、なんだけど。仕事していれば満足だなんて、一生懸命に思い込もうとしているけれど、やっぱりそこには無理がある。人生これから、ひとりで歩いていくって覚悟するのって、思っている以上に簡単なことじゃないんだよね。とはいえ、アベコのようにデリバリーピザの配達人でもいいやってことにはならないけれど。ああ、いけない。なんだか内なる世界に入り込んじゃった。鈴木さんの作品って、特別な人じゃない、等身大のリアルな人々が登場するだけに、つい自分と置き換えて考えちゃうんだよね。
鈴木聡流ミュージカルは、なんだか非常に『らしい』、心温まる善良な作品でした。そこが好きな部分でもあるけれど、今回、作品のテーマが自分に近いゆえか、そのキレイにまとまった加減が、ちょっときれい事でまとめられていたのが、残念といえば残念。何よりも、不倫相手の草刈正雄がちっともヤな奴じゃない。不倫しているからって、=悪い男とは限らないんだけど、会社を買収してはビジネスを広げている男が、あのツメの甘さじゃ、この厳しいなかで生き残ってはいけないなと。しかもあんなに物分かりがいいんだったら、最初ッからあんな意地悪しないだろって、腑に落ちないわけです。ラストは、かわいく2人のハッピーエンド。これも観ていて気持ちはいいんだけど、ふと自分に身を置き換えると、アベコ、本当にいいのか、って思うよね。友だちが一番大切。フリーターという選択肢も、生きかたのひとつ。そんな答えを出した鈴木聡さんが意外でした。もちろん、会社員がすべていいとは思わないし、生涯安泰なんて仕事はないとも思う。でも、自分でなにも切り開いていかない人っていうのは、どうなんだろうという疑問もある。間違っているとは思わないけれど、それを肯定してしまうのもちょっと気が引ける。
うまくいえないな、なんだか。自分に境遇があまりに近すぎて。
そうそう、未來くんがすごくうまくなってたのにビックリしました。『BOYS TIME』の頃から観ていたけれど、ダンスはうまくても芝居はまだまだ……なんて思っていたのに。ここ数年の間にドラマや映画に立て続けに出演し、どんどん人気も上がってきて、実力って経験によって培われるものなのね、と実感。

ブログオープンしました!

2005-05-10 | お芝居以外
世の流行に流されてみるのもまた一興と、ブログを立ち上げてみました。
とはいえ、3日坊主の私のことなので、ちゃんと更新できるのか、長く続けられるのか微妙なのですが、とりあえずオープンしたということでメデタイ!
というわけで、つぶやき一号でした。