昨年の『ナイン』は衝撃的だった。壁画を伝って流れ、舞台上に溢れる水。天上に繋がっているかのような螺旋階段。神殿を思わせるような荘厳な柱。このセットを観ているだけでもまるで夢のようで、女性たちは美しく魅力に溢れていた。ただただ残念だったのが、福井貴一に色気が足りなかったこと。歌も芝居も上手なのに、どうしても希代の天才映画監督で、女性たちの憧れの的、グイード・コンティーニにはみえなかった。そんなときに、この再演。しかもグイードは別所哲也である。背が高くて二枚目でインテリ。これでは期待せずにはいられない。
……が、その期待が裏目に出た。芝居が始まってすぐ。高橋桂さんと別所さんの絡みのシーン。第一声から驚いた。その芝居がかった口調、わざとらしいまでの外人風な身振り手振り。普通にしていて恰好良いんだから、そこまで作らなくてもいいと思う。高橋桂も、オペラ歌手でありながら、歌は心に響かせるものが感じられず、期待を裏切られた感じ。再演ということもあって、気負いすぎたのか、前回のようなキレがない。本当に残念。
でも、大浦みずき&池田有希子は素晴らしかった! 本当にブラヴォーでした。大浦さんは、グイードの映画のスポンサー。客イジリする場面があるんだけれど、そのいなしかたといったら、手慣れたものでした。私もあそこで弄られたい! わはは。そのシーンのあとのソロシーンでは、ほかの女性キャストたちがバックダンサーのように羽根を持って大浦さんの後ろに整列。それがね、まるで宝塚のレビューのようでした。ああ、彼女の宝塚時代を観てみたかったと後悔した瞬間でした、池田さんも全身から妖艶さや色気が発せられていて、女の私でもウットリ。後半、グイードにルイーザとの離婚話を無邪気にする場面、その後に彼から罵倒に近い拒絶をされた瞬間の、何をいわれているのか一瞬わからないような表情、そして破り捨てられた離婚届を手に泣き続ける場面。ここにカルラがいかにグイードを本気で愛しているか、表現されていた。彼の才能でも名声でもなく、彼自身を愛していた、ということが。グイードから去っていくシーンの、吹っ切れたというよりも、傷つきすぎて心の痛みがマヒしているような表情にグッときました。“シンプルに~お別れ”と歌う歌は、これまでの妖艶なイメージとは違い、まるで少女のよう。シンプルな愛だったんだろうなぁ。かわいそうに。この2人には、前回も今回もやられました。次の作品は、ぜひぜひチェックしたいものです。
最後のクライマックスは、やっぱりよかったな。インスピレーションの源の女性たちが次々と彼の元を去り、アイデアが枯渇してしまったクリエイターの悲劇。自殺を選ぼうとするグイードの前に現われたのは、9歳のグイード。別所さんのトゥーマッチ芝居もさほど気にならず、彼の苦悩と孤独、未来への絶望感に、ストレートに感情移入できた。でもね、このあとの桂さんが……。なんでだろうな、前回はほんとよかったのに。調子悪いだけなのかもしれないけど。
でもやっぱり、作品自体は素敵だと思う。女性たちが本当に美しく描かれているし、女優さんたちが、それを本当に楽しそうに演じている姿はやはり観ていて気持ちのいいもの。それになによりも舞台の美しさは、比類をみないほど。美術だけじゃない。衣装、メイク、女優たちのルックスまでを含めての美しさ。そこに別所さんが加わって、ビジュアル面ではさらにランクアップしていた。それは間違いなく。そしてもちろん、ストーリーの厚みもあると思う。今回は、それをより強く感じた。再演のいいところは、前回はストーリーを追うばかりだったのが、もうすこし深い視点でられること。前回はただただ、美しいとか奇抜だとかってことにばかり囚われていた、スパの水が溢れてくるシーン。今回は、グイードのインスピレーションが湧き上がれば水が満ち、枯渇したときに水はすっかり引いている、そんなふうに感じました。一幕目の終わりの赤い砂は、どんな意味だったんだろう? あれは、創造の源なのだろうか。サラギーナがテーブルからコップを取り上げて、サラサラと床に落とすんだから、なにか性的なものに関連するのかな。ルヴォー氏の考えを聞いてみたいものだ。
……が、その期待が裏目に出た。芝居が始まってすぐ。高橋桂さんと別所さんの絡みのシーン。第一声から驚いた。その芝居がかった口調、わざとらしいまでの外人風な身振り手振り。普通にしていて恰好良いんだから、そこまで作らなくてもいいと思う。高橋桂も、オペラ歌手でありながら、歌は心に響かせるものが感じられず、期待を裏切られた感じ。再演ということもあって、気負いすぎたのか、前回のようなキレがない。本当に残念。
でも、大浦みずき&池田有希子は素晴らしかった! 本当にブラヴォーでした。大浦さんは、グイードの映画のスポンサー。客イジリする場面があるんだけれど、そのいなしかたといったら、手慣れたものでした。私もあそこで弄られたい! わはは。そのシーンのあとのソロシーンでは、ほかの女性キャストたちがバックダンサーのように羽根を持って大浦さんの後ろに整列。それがね、まるで宝塚のレビューのようでした。ああ、彼女の宝塚時代を観てみたかったと後悔した瞬間でした、池田さんも全身から妖艶さや色気が発せられていて、女の私でもウットリ。後半、グイードにルイーザとの離婚話を無邪気にする場面、その後に彼から罵倒に近い拒絶をされた瞬間の、何をいわれているのか一瞬わからないような表情、そして破り捨てられた離婚届を手に泣き続ける場面。ここにカルラがいかにグイードを本気で愛しているか、表現されていた。彼の才能でも名声でもなく、彼自身を愛していた、ということが。グイードから去っていくシーンの、吹っ切れたというよりも、傷つきすぎて心の痛みがマヒしているような表情にグッときました。“シンプルに~お別れ”と歌う歌は、これまでの妖艶なイメージとは違い、まるで少女のよう。シンプルな愛だったんだろうなぁ。かわいそうに。この2人には、前回も今回もやられました。次の作品は、ぜひぜひチェックしたいものです。
最後のクライマックスは、やっぱりよかったな。インスピレーションの源の女性たちが次々と彼の元を去り、アイデアが枯渇してしまったクリエイターの悲劇。自殺を選ぼうとするグイードの前に現われたのは、9歳のグイード。別所さんのトゥーマッチ芝居もさほど気にならず、彼の苦悩と孤独、未来への絶望感に、ストレートに感情移入できた。でもね、このあとの桂さんが……。なんでだろうな、前回はほんとよかったのに。調子悪いだけなのかもしれないけど。
でもやっぱり、作品自体は素敵だと思う。女性たちが本当に美しく描かれているし、女優さんたちが、それを本当に楽しそうに演じている姿はやはり観ていて気持ちのいいもの。それになによりも舞台の美しさは、比類をみないほど。美術だけじゃない。衣装、メイク、女優たちのルックスまでを含めての美しさ。そこに別所さんが加わって、ビジュアル面ではさらにランクアップしていた。それは間違いなく。そしてもちろん、ストーリーの厚みもあると思う。今回は、それをより強く感じた。再演のいいところは、前回はストーリーを追うばかりだったのが、もうすこし深い視点でられること。前回はただただ、美しいとか奇抜だとかってことにばかり囚われていた、スパの水が溢れてくるシーン。今回は、グイードのインスピレーションが湧き上がれば水が満ち、枯渇したときに水はすっかり引いている、そんなふうに感じました。一幕目の終わりの赤い砂は、どんな意味だったんだろう? あれは、創造の源なのだろうか。サラギーナがテーブルからコップを取り上げて、サラサラと床に落とすんだから、なにか性的なものに関連するのかな。ルヴォー氏の考えを聞いてみたいものだ。