さかのぼること何十年…
私は遊び好きな海上自衛隊の父と世間を全く知らない箱入り娘の母との間に産まれた。お産は決してスムーズではなく
誕生と同時に元気な産声はなかったと聞いた。へそのおが首を1周半まき窒息した状態でへそのおが外れたあともしば
らく泣かなかったという。チアノーゼが出てたようだ
そんな小さい(低体重児)私もうまれた時は親戚一同で喜ばれ可愛がられてたそうな。
精神科での初受診時に家族構成を聞かれたが何か意味あんのかな。のちに因果関係を説明されたことがあったので参考
までに書いておこう
父と母はお見合いでいとこ同士(3親等外だけどかなり直系に近いらしい)と聞いている。そしてこの「いとこ同士の
結婚」については幼いころから「絶対に人に話してはいけない」と、きつく言われていた…(じゃ、子供に話すなよっ
て今は思う)ものごころついた私は父が大好きだったという。父は私を異常に可愛がったらしい。
そんな父(父方)について少し…今の私が父をみて感じることは、遊び人でとにかくモテる。自分勝手(とにかく一方的)
暴力マシンの変態+薬中毒…ざっとこんな感じである。大人になった私がみたら…の印象だ。しかし、大好きだった。
父の父は(祖父)52歳まで●●県警の警部を経てから県会議員になる。父の母(祖母)は整形外科医で鍼灸もしてた
●●県の田舎の方で開業医だった。おじいちゃんもおばあちゃんも優しいけど厳しかった。お仕置きはもぐさたっぷりの
「やいと」を頭のてっぺんにされた。夏休みは長期で遊びに行くので頭のてっぺんは円形のハゲが毎年できた。
でもその熱かった「やいと」は他のいとこ達(4人)も居るのに私だけがその刑を受けた。
幼い頃は「みんなやってたのに何でわたしなん~?」と泣いていたのを覚えてる。いとこ達は「かわいそう」な目で
診察室の扉を少しあけて見ていた。おじいちゃんは優しかった。父の弟(次男/叔父)は父と全く正反対の真面目でふ
ざけ合って遊んでくれた父とは違い色んな知識を教わった。温厚だが時に「霊が見える」「精霊に会いに行こう」など
と言ってた。子供の私は叔父が何か怖くていとこ宅に泊まれず、毎回決まって夜中に泣いて家に送ってもらった。
母(母方)はホントに箱入りで何も知らない女の子で育った。母は5人兄妹でそれぞれが複雑な環境にいた(いてる)
母の兄(長男/伯父)は13歳時登校中に踏切に置かれた岩(誰かのいたずら)が電車がはねて伯父の頭に直撃したと
聞いた。その日伯父を見送った祖母に寒気が走り同時に「悪い予感」を感じ伯父を追いかけた。伯父は踏切待ちで
友達とふざけ合ってた、その姿を見てホッとした瞬間に事故は起こり祖母は混乱したのかバラバラになった伯父の頭部
を拾い集めながら伯父を抱き泣き崩れたと言う。そして(長女/伯母)は重度の統合失調症に対人恐怖症を患い常に幻
覚と妄想(被害妄想)の世界で生き、死ぬまで兄妹たち(母も含め)から「キチ●イ」扱い、加えてC型肝炎を発症し
てからは更に伯母に近づく親戚は居なかった。私は大好きだった。(次男/伯父)これがまた大変な変わり者で潔癖症
だった。口癖は「汚い汚い」で常に何か洗ってる。青年時に蒸発し30年後にふと私たちの前に現れるが数年後突如
蒸発したが母と母の2番目の姉が懸命に捜査したことで見つかったが重度の統合失調症を発症し伯父もまた幻覚の世界
で生きていた。(次女/2人目の伯母)は幼児の頃に祖母の姉へ養子に出されている。成人し伯母が結婚する理由で
戸籍謄本を見た際に事実を知り祖母に攻撃をはじめる(昔は疎遠だったが現在は関係修復)そして(三女/私の母)
祖母にはたくさんの思い出があるし4歳からは祖母に育てられた一緒に住んでた訳ではないが事業を立ち上げた父、母
はその手伝いでいっぱいだったので毎日電車に乗って私たち姉妹の世話をしてくれた。祖母が夕方帰る時はいつも泊ま
ってくれとだだをこねた。年老いた祖母が電車で帰って行く姿は幼心にとても可哀想に見えたので父に「車で送って行
ってあげて」と言ったが無視。大人になってから母が「父が祖母に冷たく、うちでは寝るな必ず帰れ」と言ってたそう
だ…っか、事業資金は祖母の財産から借りてた上我が子達の世話まで押し付けたくせに外道の何でもない。
上記のメンバーは何かしらで私の人生に関わってる。今後話に出てくることもあるだろう
私は遊び好きな海上自衛隊の父と世間を全く知らない箱入り娘の母との間に産まれた。お産は決してスムーズではなく
誕生と同時に元気な産声はなかったと聞いた。へそのおが首を1周半まき窒息した状態でへそのおが外れたあともしば
らく泣かなかったという。チアノーゼが出てたようだ
そんな小さい(低体重児)私もうまれた時は親戚一同で喜ばれ可愛がられてたそうな。
精神科での初受診時に家族構成を聞かれたが何か意味あんのかな。のちに因果関係を説明されたことがあったので参考
までに書いておこう
父と母はお見合いでいとこ同士(3親等外だけどかなり直系に近いらしい)と聞いている。そしてこの「いとこ同士の
結婚」については幼いころから「絶対に人に話してはいけない」と、きつく言われていた…(じゃ、子供に話すなよっ
て今は思う)ものごころついた私は父が大好きだったという。父は私を異常に可愛がったらしい。
そんな父(父方)について少し…今の私が父をみて感じることは、遊び人でとにかくモテる。自分勝手(とにかく一方的)
暴力マシンの変態+薬中毒…ざっとこんな感じである。大人になった私がみたら…の印象だ。しかし、大好きだった。
父の父は(祖父)52歳まで●●県警の警部を経てから県会議員になる。父の母(祖母)は整形外科医で鍼灸もしてた
●●県の田舎の方で開業医だった。おじいちゃんもおばあちゃんも優しいけど厳しかった。お仕置きはもぐさたっぷりの
「やいと」を頭のてっぺんにされた。夏休みは長期で遊びに行くので頭のてっぺんは円形のハゲが毎年できた。
でもその熱かった「やいと」は他のいとこ達(4人)も居るのに私だけがその刑を受けた。
幼い頃は「みんなやってたのに何でわたしなん~?」と泣いていたのを覚えてる。いとこ達は「かわいそう」な目で
診察室の扉を少しあけて見ていた。おじいちゃんは優しかった。父の弟(次男/叔父)は父と全く正反対の真面目でふ
ざけ合って遊んでくれた父とは違い色んな知識を教わった。温厚だが時に「霊が見える」「精霊に会いに行こう」など
と言ってた。子供の私は叔父が何か怖くていとこ宅に泊まれず、毎回決まって夜中に泣いて家に送ってもらった。
母(母方)はホントに箱入りで何も知らない女の子で育った。母は5人兄妹でそれぞれが複雑な環境にいた(いてる)
母の兄(長男/伯父)は13歳時登校中に踏切に置かれた岩(誰かのいたずら)が電車がはねて伯父の頭に直撃したと
聞いた。その日伯父を見送った祖母に寒気が走り同時に「悪い予感」を感じ伯父を追いかけた。伯父は踏切待ちで
友達とふざけ合ってた、その姿を見てホッとした瞬間に事故は起こり祖母は混乱したのかバラバラになった伯父の頭部
を拾い集めながら伯父を抱き泣き崩れたと言う。そして(長女/伯母)は重度の統合失調症に対人恐怖症を患い常に幻
覚と妄想(被害妄想)の世界で生き、死ぬまで兄妹たち(母も含め)から「キチ●イ」扱い、加えてC型肝炎を発症し
てからは更に伯母に近づく親戚は居なかった。私は大好きだった。(次男/伯父)これがまた大変な変わり者で潔癖症
だった。口癖は「汚い汚い」で常に何か洗ってる。青年時に蒸発し30年後にふと私たちの前に現れるが数年後突如
蒸発したが母と母の2番目の姉が懸命に捜査したことで見つかったが重度の統合失調症を発症し伯父もまた幻覚の世界
で生きていた。(次女/2人目の伯母)は幼児の頃に祖母の姉へ養子に出されている。成人し伯母が結婚する理由で
戸籍謄本を見た際に事実を知り祖母に攻撃をはじめる(昔は疎遠だったが現在は関係修復)そして(三女/私の母)
祖母にはたくさんの思い出があるし4歳からは祖母に育てられた一緒に住んでた訳ではないが事業を立ち上げた父、母
はその手伝いでいっぱいだったので毎日電車に乗って私たち姉妹の世話をしてくれた。祖母が夕方帰る時はいつも泊ま
ってくれとだだをこねた。年老いた祖母が電車で帰って行く姿は幼心にとても可哀想に見えたので父に「車で送って行
ってあげて」と言ったが無視。大人になってから母が「父が祖母に冷たく、うちでは寝るな必ず帰れ」と言ってたそう
だ…っか、事業資金は祖母の財産から借りてた上我が子達の世話まで押し付けたくせに外道の何でもない。
上記のメンバーは何かしらで私の人生に関わってる。今後話に出てくることもあるだろう