「自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかがまったく念頭にないことに気づくと、うれしくなる。いつも感じている のだが、自己にとらわれるのは不健全である」7頁。
「彼女はまったく見知らぬ人々の中に入っているのに、あら捜しや批判をせず、機嫌の悪さをうっかり表に出すこともない。アメ リカ人のお世辞のうまさは、品性の高いしるしであり、人間の兄弟愛の真の先触れである」22頁。
◎私の感想◎
この一文を読んで、新しい環境(職場など)に入った時の自分のことが思い出された。と同時に、自分が慣れ親しんでいる環境に新しい人が入って来た時の自分や仲間たちの反応も。
「ものを書くときに経験する苦しみと難しさをとを忘れずに銘記しておくべきである。過去に経験した苦しみの記憶は、信じられ ないほどうすれている。消え失せた記憶がよみがえるのは、再びその経験をくりかえしているその瞬間のみである。二冊の本を出 版して以来、著述家の役割をあたえられ、まったく馬鹿げたことに言葉は指先から流れ出るもの、と考えてしまっている。実際に は、一つ一つの文章に頭をしぼらなければならないし、価値あるものを書こうとするならば一つの観念を長いあいだ一心に考えな ければならないのである」37頁。
「人間は、自分自身の嫌な点を受けいれてなんとか生きていくものである。このような受容の償いは他人に対して寛容になるこ とー独善の罪を浄化することーである」74頁
「他人に対する公明正大な態度の第一要件は、自分の間違いを他人のせいにしないことである。人間は、汚れた指をぼろぎれでふ くように、自分の罪悪感を他人になすりつける傾向がある。これは、搾取行為と同じように邪しまな、他人を虐待する行為であ る」76頁。
「くそまじめには虚栄心が顔をのぞかせる。虚栄心の強い者はささいなことを大げさに考える。虚栄心の強い者にとっては、自分 に起こるすべてが恐ろしく重要なのである。このようにみると、明らかに、虚栄心はトルー・ビリーヴァーの第一の構成要素である。 同じく、自己を重視しないことが極めて大切なのもあきらか」124頁。
※トルー・ビリーヴァーとは、"true believer"。 "true believer syndrome"「信じ込み症候群」を参照のこと。
◎私の感想◎
「自己を重視しない」という言葉はくり返し出てくる。著者は「自己を重視しないためにあらゆることをしてきた」とも言っている。私たちのまわりには、「自己を重視したいがためにあらゆることをしている」人のほうが多いのではないだろうか。
ではなぜ、著者は自己を重視しないように努めていたのだろうか?
一般的には、自己を重視することによって得られるものは、自尊心、だと思いがちだ。例えば、自己を重視したい為に(人から重視されたい為に)、有名校に進学したい、大企業に就職したい、大金持ちになりたい、社会的に高い地位を得たい、等という野心を抱く。中には、努力が嫌だという人は、手っ取り早く、ヴィトンやエスメスのバッグを、たとえそれが質流れでも、手に入れようとするかもしれない。
自尊心と虚栄心の違いを見抜いていた著者は『魂の錬金術』で次のように述べている。
「自尊心に支えられているときだけ個人は精神の均衡を保ちうる。自尊心の保持は、個人のあらゆる力と内面の資源を必要とする普段の作業である」中本義彦訳/作品社/2005年10月第6刷21頁
「彼女はまったく見知らぬ人々の中に入っているのに、あら捜しや批判をせず、機嫌の悪さをうっかり表に出すこともない。アメ リカ人のお世辞のうまさは、品性の高いしるしであり、人間の兄弟愛の真の先触れである」22頁。
◎私の感想◎
この一文を読んで、新しい環境(職場など)に入った時の自分のことが思い出された。と同時に、自分が慣れ親しんでいる環境に新しい人が入って来た時の自分や仲間たちの反応も。
「ものを書くときに経験する苦しみと難しさをとを忘れずに銘記しておくべきである。過去に経験した苦しみの記憶は、信じられ ないほどうすれている。消え失せた記憶がよみがえるのは、再びその経験をくりかえしているその瞬間のみである。二冊の本を出 版して以来、著述家の役割をあたえられ、まったく馬鹿げたことに言葉は指先から流れ出るもの、と考えてしまっている。実際に は、一つ一つの文章に頭をしぼらなければならないし、価値あるものを書こうとするならば一つの観念を長いあいだ一心に考えな ければならないのである」37頁。
「人間は、自分自身の嫌な点を受けいれてなんとか生きていくものである。このような受容の償いは他人に対して寛容になるこ とー独善の罪を浄化することーである」74頁
「他人に対する公明正大な態度の第一要件は、自分の間違いを他人のせいにしないことである。人間は、汚れた指をぼろぎれでふ くように、自分の罪悪感を他人になすりつける傾向がある。これは、搾取行為と同じように邪しまな、他人を虐待する行為であ る」76頁。
「くそまじめには虚栄心が顔をのぞかせる。虚栄心の強い者はささいなことを大げさに考える。虚栄心の強い者にとっては、自分 に起こるすべてが恐ろしく重要なのである。このようにみると、明らかに、虚栄心はトルー・ビリーヴァーの第一の構成要素である。 同じく、自己を重視しないことが極めて大切なのもあきらか」124頁。
※トルー・ビリーヴァーとは、"true believer"。 "true believer syndrome"「信じ込み症候群」を参照のこと。
◎私の感想◎
「自己を重視しない」という言葉はくり返し出てくる。著者は「自己を重視しないためにあらゆることをしてきた」とも言っている。私たちのまわりには、「自己を重視したいがためにあらゆることをしている」人のほうが多いのではないだろうか。
ではなぜ、著者は自己を重視しないように努めていたのだろうか?
一般的には、自己を重視することによって得られるものは、自尊心、だと思いがちだ。例えば、自己を重視したい為に(人から重視されたい為に)、有名校に進学したい、大企業に就職したい、大金持ちになりたい、社会的に高い地位を得たい、等という野心を抱く。中には、努力が嫌だという人は、手っ取り早く、ヴィトンやエスメスのバッグを、たとえそれが質流れでも、手に入れようとするかもしれない。
自尊心と虚栄心の違いを見抜いていた著者は『魂の錬金術』で次のように述べている。
「自尊心に支えられているときだけ個人は精神の均衡を保ちうる。自尊心の保持は、個人のあらゆる力と内面の資源を必要とする普段の作業である」中本義彦訳/作品社/2005年10月第6刷21頁