歌姫の本棚

面白かった本の内容を紹介できればと思っています。

『私はガス室の「特殊任務をしていた』シュロモ・ヴェネチア著/鳥取絹子訳/河出書房新社

2019-01-28 09:48:16 | 読書
 映画『サウルの息子』を観て、アウシュヴィッツに「ゾンダーコマンド」と呼ばれる特殊任務部隊のあったことを初めて知る。

 「ゾンダーコマンド」とは、同胞(ユダヤ人)をガス室に送り、同胞の死亡後はガス室を掃除して元の状態に戻し、遺体を焼却して、遺灰は河に捨てる、という一連の作業を強制的にさせられてきた特殊任務部隊のこと。

 特殊任務部隊員もまた、虐殺の痕跡を消した後、ガス室で抹殺されていた。1944年10月、彼らの反乱が失敗に終わった時は、2日間で452人の特殊任務部隊員が殺された。著者のシュロモ・ヴェネツィアは、そのとき生き残ったわずかのゾンダーコマンドの中の1人だった。

 ゾンダーコマンドの任務は、虐殺の痕跡を消すこと。その詳細の一部について紹介する。

「ガス室から死体を出すときは(滑りやすくするために)水をまく必要がありませんでした。床はもう全体が濡れていたからです。ええ、本当に全体です。血や排泄物、尿、嘔吐物、何もかも……その中で滑ることもありました」111頁。

 焼却炉で遺体を焼いた後の灰はどうしたのかという質問には次のように答えている。

「灰もやはり痕跡を残さないために処分されました。骨盤のように焼きの悪い骨もそうです。焼却炉でも墓穴でも同じで、分厚い骨は引きあげ、別にして砕いてから、灰と一緒にして混ぜました」112頁。

 ところで、数日前、「豚コレラ」が発生した。その後、豚の殺処分のために自衛隊員が支援活動を行った。活動内容は、豚舎内での豚の追い込み、殺処分した豚や餌などを埋却地に運搬して処理、そして養豚場の消毒などで、獣医が電気ショックや注射で殺処分するにあたり、豚を追いこんで集めたり、暴れないように押さえ込んだりしたという。そのため、豚の断末魔に直面して精神的なショックを受けた自衛隊員はメンタルヘルスカウンセリングを受けたそうだ。この記事を読んだときに思い出したのが、この本だった。著者はメンタルヘルスカウンセリングを受けたのだろうか……。

「恐ろしい犠牲をともなう」ことなしには証言できないという体験。それは、「一時も離れない、刺すような苦しみを再びよみがえらせる」体験なのだ。「突然、絶望的になる。少しでも喜びを感じると、すぐに私の中で何かが拒絶反応を起こす。内面の傷のようなもの」。「私は『生き残り病』と言っています。チフスとか結核とか、人が一般にかかる病気じゃない。人の内面を蝕み、喜びの感情を破壊する病気です」。「この病は私に一瞬たりとも喜びや気苦労のない瞬間を与えてくれません。私の力を常時なし崩しにする一つの性格です」211頁。

 著者が自らの体験を語り始めたのは1992年、アウシュヴィッツの収容所を出てから47年後だった。なぜ半世紀近くもかかったのか? 話そうとしたことはあったが、人は聞きたがらずまた信じようとしなかったばかりか、「完全に気が狂っている」と言い始めたからだ。210頁。

 けれども現在、私たちは、彼の証言を信じることができる。他でもなく、第二次世界大戦という、人間の本質を徹底的に暴き出した戦争が、彼の証言を裏付けてくれているからだ。もし、地球規模の戦争が1918年に終止符をうたれていたなら、つまり第一次世界大戦だけで終わっていたなら、21世紀に生きる我々の人間観は、今よりも楽観的だったはずだし、ゆえに著者の証言内容も、作り話とみなして、楽しめる読者がいるかもしれない。