ダブリンの空の下で。

ダブリンジャンキーの江戸っ子が綴る、愛しき街・人・生活・・・。

Vol.10 「すきすきマーケット!」

2006年09月10日 22時38分44秒 | ダブリン生活
「ダブリンのマーケット」

   マーケットって不思議な魅力がありますよね。私ももちろん大好きで、どこかの街を訪れるたび、マーケット探しに精を出すマーケットジャンキー、略して「マケジャン」です。遺跡とか見るより、正直、よっぽど好きです。パリやN.Yなどの雑多な蚤の市、いいですよねぇ。特にジャンクなモノが大好きな私は、N・Yの蚤の市で買ったヤギの頭蓋骨のオブジェや、パリのモントルイユの蚤の市で買ったアーミーっぽい頭陀袋の中に入ってたガスマスク(フランス滞在の後、このマスクを持ってイギリスに入国した際、どうかカバンの中を見られませんように、とビクビクした思い出が・・・)など、我が家は無意味なジャンクでいっぱいです。

   といっても、観光客として訪れるとなると、野菜や果物、肉や魚など生鮮食品を扱うマーケットでは、実際、なかなか買い物はできませんよね。だって、普通のホテルに滞在してる人間が、「わぁ、あのジャガイモ安い!一山1ユーロだって!」と飛びついても、ジャガイモ抱えてウロウロ旅を続けるわけいかないし。ダブリン市内にも数箇所フード・マーケットはありますが、フランスやイタリアみたいな市場天国に比べると、全然少ないと思う。とは言うものの、そこに住む人々の生活を垣間見れる場所として、観光客でも楽しめる(であろう)マーケットをご紹介します。そこが生活に根ざしたものであればあるほど面白いです。こんなふうに、特に目当てがあるわけじゃないけど、何かビビッ!と来たら買お~かなぁ・・・的な力の抜けたスタンスで歩き回る楽しさ。たまりません。まぁ、ビビッ!と来る前に、なんやかんやと買っちゃうのもマーケットの魔力だけど・・・。

「Temple Bar Food Market/Craft & Furniture Market」

   毎週土曜日、朝10時から夕方5時までテンプル・バー内にあるMeeting House Squareで開かれている、ちょっとオシャレなフード・マーケット。オーガニック野菜や果物などの他、ホームメイドのジャムやケーキ、肉屋さんに魚屋さん、オリーブ屋さんにチーズ屋さんにパン屋さん、コーヒー屋さんにクレープリー(クレープ屋さん)、すし屋さん(店の人が日本人かは不明)にタコス屋さんなど、こじんまりした広場にカラフルなパラソルを掲げた20軒ほどの屋台が軒を並べています。メキシカン・フードやおいしいソーセージを挟んだホット・ドッグ、ペストリーなどいろいろ買い食いできるのもココの魅力。
   普段、野菜と果物はムーア・ストリートにある庶民派マーケットを利用するのですが、気分がちょっとこじゃれてしまった土曜日(またはちょっとお財布にお金が多めに入ってる時など)、大きなバッグを持って、このマーケットにるんるんと買い出しにやって来ます。店備え付けの籐カゴを抱え、オーガニック野菜などを放り込んでいると、気分は一瞬有閑マダム。でも野菜大好き女の私は、ほっとくとカゴから転がり落ちるほど買い込んでしまい、会計時にその合計金額に口があんぐり開いてしまったりするので、よっぽど自制しなくてはなりません。ここは観光客の多いテンプル・バーという土地柄故か、全体的に値段は高いです(ま、オーガニックの食物はどこでも高いけど)。
   一度、ここのチーズ屋さんの前でどれにしようか悩んでいると、ラジオ局からこの市場の取材に来たというキリッとした老婦人と出会いました。彼女は私が日本人だと知ると、「日本人はどれくらいチーズを食べるの?」とか「日本ではどんなチーズが人気なの?」とか質問するので、「ん~、私はチーズ大好きですよ。特にブリーとかカマンベールみたいなやわらかいタイプ。洗ってない靴下みたいに匂いが強烈なフランスチーズも全然平気」などと答えてましたが、その老婦人は私の答えを逐一ノートに書き留めるので、「大丈夫かなあ、これが日本人代表みたいな答えに取られて、“日本人は臭い靴下みたいなチーズが好き”とか書かれたら・・・」と不安になりましたが、その店の若い女の子(日本に興味を持つロシア人)は、その老婦人だけでなく、私にまでいろんなチーズの味見をさせてくれたので、役得役得♪
   ここのクレープリーでシンプルなレモン&シュガークレープをかじりながら、豆の量り売りもやっているコーヒー屋さんで濃~~いエスプレッソを飲む。これが私の定番。

   土曜日がフード・マーケットなら日曜日はクラフト&ファニチャー・マーケット。お昼から6時くらいまでやってます。フード・マーケットと同じ場所で行われており、玉ねぎやトマトの棚があった場所には、地元や海外からのアーティストによる、アクセサリーやバッグなどのストールが並び、自然派ソープやキャンドル、絵や写真などのほか、家具も売られています。割と新しいマーケットなので、それほど人でごった返すこともなく、のんびり見て回ることができます。日曜日の散歩がてら立ち寄るのもいいかも。私好みのビーズ刺繍を施したバッグやサンダル、石や木を使ったネックレス、ファンキーな色合いのマフラーや帽子など、作家たちが丹精こめて創った、個性的な商品を見て回るだけでも楽しいです。少しだけど古着も扱ってますよ。

「Moore Street Market」

   ダブリンを代表する青空市場。全ての点においてテンプル・バーのフード・マーケットとは対極をなしてます。ムーア・ストリートはオコンネル・ストリートのすぐそばの、ヘンリー・ストリートとパーネル・ストリートを繋ぐ通りで、雰囲気はとてもエキゾティック。アジア系(ほぼ中国系)、アラブ系、アフリカ系などの店舗がずらりと並ぶこの通りは、スパイスの香りなどと相まって独特な猥雑感があります。この通りで月曜日から土曜日まで開かれる青空市場には、この庶民的な雰囲気に惹かれ、地元の買い物客だけでなくカメラを下げた観光客も集まって来ます。夕方になるとおばちゃんたちが店じまいの準備を始め、清掃車が空いたダンボール箱などを回収し、その後にはキャベツの切れっぱしや潰れたトマトが散乱する風景は、ダブリンにおける日常風景の一つ。この街の生活に根ざした市場だけあって、質より量と安さを求める人向きかも。
   この市場は野菜と果物がメインで、色鮮やかな花屋、おばちゃんたちがでっかい包丁で豪快にぶった切っている魚屋などの他、誰が着るんだ?というようなダサいジャージや巨大下着などを売る服屋、「トブラローネ!(スイスのチョコ・バー。中に砕いたキャンディが入ってるアレです)」と叫んで、チョコなどのお菓子を売っているこじんまりした屋台などがあります。屋台とは別に、太鼓腹のアイリッシュおじさんたちが商う常設店の肉屋も数軒あるし、この通りからILACショッピングセンターに入れるし、日用品がごちゃごちゃと詰め込まれた雑貨屋さん、安さの殿堂スーパー・LIDLもあり、この通り一本で全ての買い物はこと足りてしまいます。
   店のおばちゃんたちは見るからに肝っ玉アイリッシュ母ちゃん!といった感じで、客を右に左に大声でさばいています。私はここでリンゴを買っていた観光客らしき男性が「それじゃなくてもっと奥のキレイなやつをくれよ」と文句を言った瞬間、店のおばちゃんが「じゃあ、ここで買うのやめな!」と一喝し、追っ払ってしまった場面を目撃しました。こえ~~!とは言え常連になると、イチゴを2パック買った時、オマケにもう1パック付けてくれたり、「そのブロッコリーは色が悪いからこっちにしな、ハニー」と新鮮なのを持ってきてくれたり、「全部で4・5ユーロだけど、4ユーロでいいよ、ラブ」とマケてくれたりもします。とてもおジョーヒンなマーケットとは言えないけど、ガサツな下町女の私からすると心和む場所ではありました。
   ただねぇ、安いのでいつも買い過ぎちゃって、帰りがホントに辛いんですよね・・・。一袋1ユーロのジャガイモやニンジンや玉ねぎ、10個で1.5ユーロのオレンジやリンゴ、恐ろしいほど硬い超巨大キャベツ3ユーロ(マトリューシュカ人形みたいに中に5個ぐらい別のキャベツが入ってるんじゃないのか?と疑うほど)などが入った袋を想像してみなさい!力に自信がある私でも腕がもげるって!私のフラットから近いとは言え、やっぱり帰りはバスに頼ることに・・・。でもしこたま野菜を手に入れた日は、豪快に全ての野菜を刻んでぶっこみ、栄養たっぷりスープを作って、それで3,4日はしのげてしまいます。思い返すとダブリンにいる間、肉にさほど興味がない私は、この市場の野菜だけで生きてたような気がする・・・。お前は虫か?

「Cow’s Lane Market」

   テンプル・バー・エリアの西側にあるCow’s Laneで開かれているファッション&デザイン・マーケット。クライスト・チャーチからも近く、この静かな通りを含む周辺はOld Cityと呼ばれ、オシャレな家具やジュエリー、個性的な服を扱う店が多い洗練されたエリアです。このマーケットは毎週土曜日に行われていて、気鋭のデザイナーたちが創ったシックなジュエリーやバッグ、帽子や洋服、靴などを売るストールが並びます。基本的にヒッピーみたいなアクセサリーや古着が大好きな私からすると(昔から母親に「何であんたはいつもそんな小汚いモノばかり買ってくるの?!」と言われてますが)、ちょっと洗練され過ぎてるかな?という店もありますが、それらオリジナルデザインの商品は、シンプルな中にもゴージャス感があるものが多く、買わないにしても時々訪れては、商品チェックをして楽しんでます。
   また、かわいい子供服やファンキーなデザインのスカートやジャケットなど、値段は高いけど目を引き付けられるモノばかり。でも、昔はこの通り、何の変哲もないただのしみったれた裏道といった感じだったのに、こんなオシャレな雰囲気になろうとは・・・。いやはや。

「George’s Street Arcade」

   South Great Georges Streetにある常設マーケットで、ダンズ・ストアのすぐ隣。パリのパッサージュみたいなスタイルで、要するにショッピング・アーケードです。雨の日は便利だし、日曜日以外は毎日オープン。店の種類や取り扱っている商品などは(規模は比べ物にもならないけど)ロンドンのカムデン・マーケットみたい感じで(チェ・ゲバラの顔プリントTシャツとか南米っぽいデザインのショルダーバッグとかが売ってるような・・・。この感じ、分かります?)、ちょっとツーリスティックな雰囲気。
   古本屋や中古CD・レコード屋、指輪やアクセサリー屋や古着、映画ポスターなんかを取り扱ってる店の他、オーガニック・フードを扱う店、自然派化粧品を売る店、占い師など、50メートルほどのアーケードの中に様々な店が軒を並べています。Drury Street側の入り口脇の酒屋さんはワインの種類も豊富だし、店の主人(ちょっとミステリアスな雰囲気を漂わしているヒゲのおじさん)は気さくに相談にも乗ってくれるので、パーティへお呼ばれした際のおみやげや、スーパーの安売りじゃない、ちょっと上等なワインが飲みたいなあ・・・という時はココで買います。
   このアーケード内には数件のカフェがありますが、一番のお気に入りはGeorge’s Street側の入り口にあるSimon’s Place。ここはダブリンの街の中でも私の大好きなカフェの一つです。様々なポスターやチラシ(映画のポスター、アマチュア~プロのバンドのライブスケジュール、ヨガのレッスン、ギター教室、「フランス語個人レッスンします」などなど・・・)がベタベタ貼られた店内には、私が理想とするカフェの全てを具現化した雰囲気が溢れています。通りに面した大きなウィンドウ、幅広い客層(常連の学生、工事現場のおっさん、若いカップル、ランチに来た近所で働いてる人、ギターケースを抱えたミュージシャン、観光客・・・)、親密感のあるこぢんまりとしたスペース(地下にもテーブルあり)、飾り気のない気楽な空気、人々のおしゃべりや笑い声、飛び交う店のスタッフの声、エスプレッソ・メーカーが立てる「シュウウウ!」という音・・・。私のように1人でカウンター席に座り、本や新聞をのんびり楽しんでいるお客さんも多く、口にすると何だかバカみたいだけど、「ああ、私はこの街の一部なんだな」と感じさせてくれる雰囲気があります。日替わりのスープや楕円形のパンをスライスして作ったサンドイッチも大好き(特に歯ごたえのある耳の部分)。値段も庶民派カフェにふさわしく、安いです。感動的なほどおいしい!ってわけじゃないけど、気楽な味わいのペストリーやケーキも好き。

「Blackrock Market」

   番外編として、ダブリン郊外のブラックロックという町で行われるフリー・マーケット。ここは有名なのでご存知の方も多いと思います。郊外列車DARTのブラックロック駅から歩いて5分ほどの、この小さい町のメインストリート沿いで開かれており、毎週末オープン。規模はそれほど大きくはないんだけど、それでも50店舗ほどが敷地内に店を出しています。はたはたとひらめく飾り旗が掲げられた屋外ではジュエリー、雑貨、服、靴、家具、古本、中古CD、パン屋さん、占い師などが出店していますが、私が好きなのは、敷地の一番奥にある建物内の店。この中で出店しているのは、ほとんどアンティーク。いかにも「昔ながらの蚤の市」といった内容で、田舎のおばあちゃんの家で使われていたような古いスプーンや皿、ポットなどの食器類、50年代に使われていたようなクラシックなカバンや帽子、家具、古いポスターや絵画、古本、置物、時計、そしてもちろん古着。
   私が蚤の市を好きな理由の一つが、かすかに防腐剤の匂いが混じったような、埃っぽい空気。私はこの匂いが大好きで、こういう場所に来ると、ついクンクンと嗅いでしまいます。何年もまたは何十年も誰かの家の片隅で憩っていたモノたち。そして人から人へと渡ってきたモノたち。蚤の市での買い物って何だか「一期一会」だな、と思いませんか?デパートでの買い物と違って同じ商品はないので、ここで買わなかったらもう二度と出会わないだろうなぁ、と思わせる情緒があります。このジャケットも私以外、誰も持ってないだろうな~という優越感に浸れるのも結構好き(誰もそんなボロ、着たがらねーよ、というツッコミは別にして)。
   私はこのマーケットでチョコレート色の古い皮ジャン(私にしては超大金の50ユーロで購入!)、小さいウサギの置物(かわいげのない顔が好き。写真参照)などを買って、それらはいまだに大のお気に入りです。



   上記の他にも、フード・マーケットとしては、Pearse StreetのSt.Andrews Centreで毎週土曜日に行われているインドアのオーガニック・マーケット・「Dublin Food Co-Op」、オシャレなエリア、Ranelaghで毎週日曜日に行われている「Farmer’s Market」、通りの名前は忘れちゃったけど、セント・パトリック大聖堂からも割と近い、庶民的な裏通りで行われていた、まるで戦後の上野のアメ横みたいな雰囲気のマーケット(戦後のアメ横なんて実際には知らないけどさ)など、なかなか「隅に置けないわね!」的なマーケットもあります。

   ダブリン市内のマーケット情報はこちらでチェック。上記マーケットの情報のほとんどはここで見れます。

コメント返信:

   AMBERさん、「コメント第2号で賞」は予想通り、あなたのものです。おめでとうございます。恐らく「コメント第350で賞」あたりまでぶっちぎりで受賞できると思いますので、今後もよろしくお願い致します。


よろずやブログ③「女独り、地球を行く!其の弐」

2006年09月03日 20時26分23秒 | よろずやブログ
「マドリッドの浮気男」

   海外一人旅・男トラブル編、懲りずに続きます。今回はスペイン・マドリッドでの出来事・・・。

   バルセロナで楽しい時間を過ごし、マドリッドへ向かった私。夜の10時頃、バルセロナを出発した列車は、翌朝の7時半頃マドリッドのチャマルティン駅に到着。駅で軽く朝食を取った後、荷物を預け、地下鉄で街の中心地へ向かい、今晩の宿探しを始めました。

   プエルタ・デル・ソル広場は、カフェやレストラン、安宿などが集まった賑やかなエリア。何軒かのホステルを訪ねた後、感じのいい女主人のいる、裏通りのこじんまりしたホステルに決定。でも12時にならないとチェック・インできないと言うので、それまで街を散策することにしました。

   その日はちょうど日曜日だったので、スペインで最大の蚤の市・ラストロに向かうことに。私がいるホステルからちょっと離れているので、適当に歩いているうちにいつのまにか道に迷ってしまいました(そりゃそうだ)。誰かに道を聞こうと、ちょうど通りがかった黒ワンピース姿の若い女の子に、「ラストロの蚤の市ってどうやって行くんですか?」と尋ねると、その彼女、まったく英語が分からない様子。インチキスペイン語で尋ねると、ようやく話が通じましたが、この彼女、まだ朝も早いというのに、強烈にお酒の匂いがし、目も少し充血してるんです。

   あ、聞く相手を間違えた、と思い、礼を言って他の人をつかまえようとすると、やたらハイテンションな彼女は「大丈夫、私が連れて行くから!こっちこっち!」みたいなことを言って、先に歩き出しました。仕方ないのでその後をついて行き、スペイン語で陽気に話し続ける彼女に、分からないまま適当に合いの手を入れていました。しかし、奇妙なことに、彼女は公衆電話を見つける度に、「ちょっと待ってね」と立ち止まり、どこかへ電話するのです。でも相手が出ないらしく、

   電話を切る→歩き出す→電話を目ざとく見つける→再度かける→相手が出ない→歩き出す

   という行動を延々と繰り返すのです。電話を切るたびに、彼女はスペイン語で何かひどく毒づいているようですが、幸いなことにその罰当たりな言葉は私にはほとんど理解できません。

   そのうち、あるアパートの前で立ち止まった彼女、なんだなんだ??と思っている私を尻目に、ドアベルを連打し始めました。延々鳴らし続けましたが、結局部屋の主は出て来ず、またも毒づきながら私を促し、歩き始めるのでした。どうも部屋の主は、彼女が道中、電話をかけまくっていたボーイフレンドらしいのです。

   一体なんなの、この彼女??訳が分かんないし、時間ばっかり喰ってしまうので、「ここまでどうもありがとう。後は自分で行くわ」と言おうと考えましたが、彼氏がつかまらず落ち込んでいる彼女を残していくこともできませんでした。そのまま「困ったなぁ・・・」と思いながら歩いているうちに、ついに賑やかな蚤の市に到着!通りの両サイドに様々な店が軒を並べ、それがひたすらまっすぐ続いています。すげっ!!たのしそ~~!!わくわくした私は、彼女に礼を言って掘り出し物探しを開始しようとしましたが、なぜか彼女はそのまま私について来ます。どーしてついてくんのっ!?

   その後も、蚤の市を回りながら公衆電話を見つけては、相手が出ずに落ち込む彼女。1人で気ままに蚤の市を見たかったのですが、ど~にもこ~にも彼女が気の毒になり、蚤の市散策を諦めて近くのカフェに誘い、連れて来てくれたお礼に飲み物でもおごることにしました。そこのカフェでも当然公衆電話に飛びつき、ほとんどべそをかきながら、電話をする彼女・・・。その様子を見て、私とそのカフェのお兄さんは苦笑い。

   しかし、ダイ・ハードな彼女の努力が報われ、ついに彼氏につながった模様。大喜びで相手と話していた彼女がテーブルに戻ってくると、「彼とこのカフェで待ち合わせするの!すぐに来るって!」というようなことを叫びつつ、狂喜乱舞・・・。

   12時までにホステルに戻らないといけないので、「じゃ、私はこれで・・・」と帰ろうとすると、「ダメダメダメダメ!カレと会わなくっちゃ!」と彼女は離してくれません。延々待つ事1時間、ようやくその問題の彼氏が登場。「も~~、どこ行ってたのよ~!バカバカバカ!」といった感じで抱きつく彼女。まったく、かわいいなぁ・・・。しかしその彼氏は、見るからにテキトーそうなニヤけたスペイン男で、ペドロと名乗りました。彼は英語が話せるので、3人で少しおしゃべりすることに。そろそろホステルに戻ろうとする私に、「悪かったね、バイクで来てるからホステルまで乗せてってあげるよ」と彼が言うので、遠慮なく送ってもらうことにしました。ホステルの前で私を降ろすと、ペドロは「今度飲みに行こうよ。このホステルに電話するから」と言いました。飲みに行く時は、当然彼女も一緒だろうと思った私は「うん、いいよ」と返事し、ヨーロッパ流にほっぺキスでバイバイしようとしたんだけど、このペドロ、それをど~にかして口にしようとするんだよね・・・。カフェに現れた瞬間からどことなく「ピー!ピー!ピー!」と警戒警報を感じていた私ですが、「やっぱりこの男、うさんくさいわ・・・」と確信。

   ホステルに無事チェック・インした後、プラド通りへ出かけ、ティッセン・ボルネミッサ美術館へ。800点以上を越す収蔵品を誇るこの美術館、午後1時頃入場した私が美術館を出たのは夕方6時。観ている時は素晴らしい作品群に集中しているので疲れも感じないけれど、外に出た途端、5時間の鑑賞疲れが一気に襲いました。もう足が棒だし、腰は痛いし目はちかちかするし・・・。このプラド通りには、他にも世界4大美術館の一つであるプラド美術館、ピカソの「ゲルニカ」で有名な現代美術館である国立ソフィア王妃芸術センターが集まっています。ここでこんだけ疲れるとなると、さらに膨大な収蔵品数を誇るプラド美術館へ行ったりしたらマジで死ぬかもしれぬ・・・と怯えつつ、夕方でも強烈な太陽の下、ボーっとした頭と充足感を抱えて千鳥足のまま、プラド通りを歩き始めたのでした・・・(後日、他の二つの美術館にも行きました。感動と疲労で脳が溶けました)。

「何でこーなるの!?」

   チャマルティン駅へ戻り、今朝、預けた荷物を引き取って8時半頃ホステルに戻ると、おばさんが「ペドロという人から電話あったわよ」と教えてくれました。げ、連絡してくるのがずいぶん早い男だな、と思いつつ、彼が残した番号にかけると、「9時ごろ迎えに行くから飲みに行こうよ」とペドロ。もちろんあの彼女も一緒よね、と何の疑問も抱かなかった私は、了解して電話を切ったのでした。

   再びバイクでやって来たのは彼1人。「じゃ、すぐそこだから行こう」とバイクにまたがり、出発。私が「あの彼女は?」と聞くと、「さぁ、知らない」と言う答え。おいおいおい、何だよそれ、と思ってるうち、バイクはどこか見覚えのあるアパートの前に着いてしまいました。ん?ここは蚤の市に行く途中、彼女がドアベルを鳴らしまくっていたあのアパートじゃ?っちゅーか、ペドロん家じゃないのよ!

   「ちょっと着替えたいからアパート寄っていい?」と、寄ってもいいも何も既に寄っているペドロがのたまいました。「いいよ、ここで待ってるから着替えてくれば?」と言うと、「外で君を待たせてると焦っちゃうしさ、ソファに座って飲み物でも飲んでなよ」とか、いろいろごちゃごちゃと言い出すので、しぶしぶ彼の部屋へ。バカなやつだ、危ないのに、とお思いでしょう。まったくその通り。この展開はど~も危険なかほりが・・・。

   ソファに座って出してくれたコーラを飲んでる間に、部屋の奥へ消えたペドロ。何をやってんだか、なかなか出てきません。まったく早くしろよなー、と思っていると、妙にサッパリした顔で腰にタオル一枚のペドロ登場・・・。

   こらこらこら!何でシャワー浴びてんねん、何で腰タオル姿やねん、こいつはっ!着替えるどころか脱いどるやんけっ!!


   ほとんど呆れて物も言えない私に、腰タオル一丁のペドロは、「ねえ、踊ろうよ。僕がリードするから」とか「外に出ないで、このまま2人でワインでも飲もう」などとほざきつつ、図々しく迫って来ます。いい加減、ブチ切れた私は、

   「ぶゎっっっかじゃないのっ!?」

   「あんたね~、目の前であんたに会えて泣いて喜んでた彼女を見た私が、こんなことすると思ってるわけ?それとも、日本人の女だったらチョロいとでも思ったの?彼女ほっといて遊びたいなら、そこら辺で別の女でも拾ってくればいいでしょーが!そこどいてよ、私は帰るから」と憤然と立ち上がると、この腰タオル野郎は、私の突然の激怒にダンスポーズのまま、凍りついてしまったのでした・・・。

   カッカしながら外に出て、宿までずんずん歩いて帰るうち、気分がどんどん落ち込んできてしまいました。どーしていつもこういう流れになっちゃうの?相手を助長させるような、思わせぶりな態度を私が取ったとでも言うの?やっぱり、うさんくさいなぁ、と思いながらもついて行った私のせい?男だの女だの余計な事考えずに、何で普通に飲みに行って楽しく過ごして、それじゃバイバイ、で済まないの?と怒りと自己嫌悪で、あの彼女じゃないけど一気にヘコんでしまいました。いい年こいた大人のくせに、こんな事を言ってる私がナイーブ過ぎるのかもしれないけど、何で私が「一人旅」で、さらに「女」だというだけで、こういう事態に対して、いつもいつも緊張していなくてはいけないのか・・・。そりゃよく知らない男と2人きりになるのには危険が伴う、というのは一般常識だし、誰かに誘われたからって、相手の家へホイホイ行くことなんてしないけど、そういう展開をいつも用心しなくちゃいけない自体、どっか歪んでるんじゃないの?「後腐れのなさそうなお手軽1人旅女」と勘違いする、ペドロみたいな大ボケ野郎どものせいで、ごく普通の、気のいい男の子たちと知り合う機会まで無駄に敬遠しなくちゃいけないわけ?もちろん、世界にはこんな勘違い野郎ばかりじゃないし、経験から言ってもまともな男の子たちがほとんどです。でも、悲しい哉、一部には下心満載で近づいてくる男たちがいることも確かなんですよね・・・。

   もちろん「常識」に楯突いても、私にはどうすることもできません。ペドロのやり方がまかり通る世の中なら、不条理だなー、と思っていても、妖怪を察知する鬼太郎のアンテナみたいに、あちこちに注意を向けてなくてはなりません。それとも桃太郎侍みたいに不埒な男を懲らしめるため、外国行脚でもするべきか・・・?

   「あのクソったれ浮気性スペイン男にはこんなこと日常茶飯事なのかも知れないけどさ、まったくあの彼女も気の毒に・・・。余計なお世話だけど、あんなタコ野郎とはさっさと別れちまえばいいのに!ったく、腰タオル引っぺがして表通りに蹴り出してやればよかった、あの大ボケすけべ男がっ!!」と、プンプン怒りながら日本語で毒づいていた私の言葉は、幸いなことに回りのスペイン人には理解できなかったはず・・・。

   最後にコメント返信:
 
   AMBERさん、あなたはこのブログのコメント第一号です。ありがとう。「コメント第一号で賞」を進呈したいと思います。私の愛の詰まったブロンズの楯を送ろうとしましたが、ありがた迷惑になる、という協議の結果、断念しました。懲りずにまた見てやってくださいね~。

よろずやブログ②「女独り、地球を行く!」

2006年08月27日 15時00分47秒 | よろずやブログ
「女は(ある種)つらいよ」

   今までの旅行経験をつらつらと思い返してみると、かなりマヌケな思い出が次々と脳裏を去来し、思わず苦笑してしまう今日この頃。パスポートをホテルに置き忘れたまま次の町へ移動してしまい、慌てて引き返したことは何度もあるし、自分で財布を部屋に置いて外出したくせに、街なかで財布がないことに気付き、「財布を盗まれた!」と大騒ぎした挙句、警察に届け出てホテルへ疲れて帰った後、枕の下でその財布を発見したり、行きの飛行機内で出された岩みたいに硬いアイス最中をかじった瞬間(あんなスナック出すな!KLMのばかっ!)、前の差し歯が取れ、歯っ欠けのまま現地で歯医者探しに奔走する羽目になったり、クレジットカードをホテルの羽目板の間に落とし、何人ものホテルのスタッフを動員して、その羽目板をドライバーだのスパナだのでこじ開けてもらったり、とその当時は青くなったり赤くなったりしてましたが、今だから笑えるトラブルがたくさんあります。シリアスなトラブルは困りものだけど、全てがスムーズな旅は安全ではありますが、いまいち強烈な印象が残らないんですよね。時々、心の片隅でこそっとハプニングを望んでさえいる自分が・・・。

   その中でも女の独り旅に付き物なのが、男絡みのトラブル。私は海外旅行は1人で行くことがほとんどなので、どうしてもそういう出来事が発生しがちです。よく「1人で旅行して寂しくないの?」と聞かれますが、現地の人々とのコミュニケーションが最大の楽しみである私は、特にそういう思いをしたことがありません。正確に言うと、「寂しい時もあるけどその孤独感がまたハッピー♪」と言えるかも知れない。今までも旅行先では老若男女問わず多くの人々と楽しい時間を過ごしてきたけれど、中にはもちろん私が「若い女性」で「独り」だから近づいてくる輩もいます。お調子者ラテン男が多い地域や戒律厳しいイスラム教の地域などでは、より起こりがち(それ以外の地域でももちろん起こる)。片っ端からケーカイしてたら誰とも知り合えないし、あまりにもオープン過ぎると余計なトラブルを背負い込むことにもなる。女独りはいろいろ面倒でもあります・・・。

「モロッコの求愛男」

   あれはティトゥアンからウェッザーンという町へのバス移動から始まりました。昼に出発するバスに乗り込んだ私(その前に買っておいたバスのチケットをなぜかなくしてしまい、運ちゃんにその事を話すと、「ああ、いいから乗んな」と乗せてくれた。ラッキー♪)。たいていバスターミナルには、客のバッグなどを運んで、チップを受け取ろうとする人たちがいますが、そのうちの1人が(「重くないから自分で運べる」って言ってんのに)、私のバッグを車内に運んでくれ、「5ディラハム(当時約64円)」と要求するのを1ディラハムまで値切った後(近くの席のおばちゃんいわく、5ディラハムは妥当な金額との事。頼んでないとは言え、そこまで値切ることなかったな、と今更反省・・・。)、バスが出発しました。

   最後部座席に座っていた私の隣には、こざっぱりした服を着たメガネの若い男の子。出発してしばらくすると、窓の外をワクワクしながら眺めている私に、彼が話し掛けてきました。アラブ語がまったく通じないと見て取るや、彼はフランス語に切り替えましたが(ご存知のとおり、モロッコは以前、フランスが植民地化していたため、フランス語を話せる人が多い)、私の方はフランス語もほんの少ししか分かりません。それでもめげない彼は、英語じゃないみたいな英語に切り替え、トークを続けようとします。まぁ、現地の人と知り合えるのは楽しくはあるのですが、なんせ、彼の英語がしっちゃかめっちゃか過ぎて、聞き取ることさえ苦労し、しまいにはぐったり疲れてしまいました。カリムという名のその彼は、モロッコでは珍しいシャイな感じの男の子で、控えめな調子で静かに話すその態度は、決して押し付けがましいものではありませんでした。

   適当に相槌を打っているうち、ウェッザーンに到着。疲れていた私は内心ちょっとホッとして、「それじゃね」と言うと、カリムが「君はまだ泊まるところ決まってないんだろ。一緒に探すよ」と(恐らくそんな内容を)言い出しました。焦った私が、「いやいやいやいやいやいやいや、大丈夫。1人で探せるし、1人で探したいの」と主張しましたが、彼はこの町で私を守る騎士役を硬く決意したらしく、引きません。典型的押し売りガイド男風だったら、キッパリ「失せろ!」という態度を示すこともできますが、ごくフツーの、不器用だけど人のいいカリムには、なぜかそういう態度も取れませんでした。相変わらず理解不可能の彼の英語によると、この町に住んでいる学生さんとのこと。とにかく彼の手を借りて、宿を見つけてチェックインした後、「これから僕の両親の家に行かない?」と(いうようなことを)言い出しました。固く辞退したのですが、「いい両親なんだよ。僕の住んでる家も見て欲しいし」と必死な彼を見て、モロッコの一般家庭にお邪魔するいい機会かも、とも思い直し、付いていく事に。

   ウェッザーンは坂道の多い魅力的な町です。裏道などを通り抜け、あ~、早く1人になって好き勝手に歩き回りたいなと思っているうち、彼の家に到着。割に大きい、きちんと手入れの行き届いたキレイなお宅で、静かだけどとても優しげなご両親に紹介されました。そのうち、彼の妹も帰宅し、みんなでお茶などを頂きながら、穏やかな時間を過ごし(みんな英語を話さないので、ニッコリ微笑みあうとか身振り手振り、私のインチキフランス語を駆使したうえでの会話です)、「父も母も君を気に入っているよ」と、彼はなぜか誇らしげに私を見つめているのでした。何であんたが誇らしげやねん・・・。

   そろそろ失礼しようと腰を上げると、「町を案内する」と彼も一緒に腰をあげるので、慌てて再び固辞したのですが、やっぱり傷ついた子犬みたいな目で見つめられると、そうむげにもできません。まぁ、町をよく知る地元の人と一緒なら、ガイドやらみやげ物屋やらにしつこく声を掛けられてしちめんどくさい目に遭わないで済むし、と、彼と一緒にこのウェッザーンの町を歩き回ったのでした。ブラブラ歩き回るうち、彼の友人が店番をしていた小さな雑貨屋さんの前を通りかかりました。その友人は英語を話すので、カリムはここぞとばかりに彼に通訳してもらい、色々と私に尋ねてくるのでした。私が明日にはフェズに移動するつもり、と言うと、友人いわく「カリムも君と一緒にフェズに行きたいんだって」。おーーーーーーい!

   いろいろお世話になったので、宿に併設されたカフェで飲み物をご馳走し、そろそろお引取り願おうかと考えていると、なぜか急に無口になり、やたら真剣な視線で私を見つめる彼。すると彼は盛んにカフェの外と私の持っているカメラを指差して、何かを繰り返し尋ねてきます。何だかよく分からずぽかんとしている私を見ると、彼はさらに英語じゃない英語で必死に何かを頼んでるようです。外でこのカメラを使って彼の写真を撮って欲しい、と言っているのかと思った私が、「もう外は暗いし、今、ストロボもないから撮れないよ」と言ったのですが、ど~もそうではなさそう。ついには英語を話せるカフェの主人を通訳に借り出した彼。聞いてみると「すぐ近くにある写真館で、思い出に君と一緒に写真を撮りたいって彼は言ってるんだよ」とのこと。

ええええええ、何でわざわざ写真館に行って2人でにっこり写真撮らなくちゃいけないんだ~!!

   私が「いいよ~、やめようよ~、わざわざそんな事するの~!めちゃくちゃこっぱずかしいじゃん!」と断っても、カリムは「プリーズ、プリーズ」と繰り返すばかり。しまいにはカフェのおやぢまで、「一緒に行ってやんなよ」とニヤニヤ笑っています。お前は引っ込んでろ、おやぢっ!

   もう抵抗するのにも疲れた私は、何でもいいやと思い、彼と一緒にその写真館に行くことに・・・。彼と一緒にスタジオに並んで(背景にはロマンチックに花がちらほらと散っている絵が・・・!)、頑固一徹そうな写真館の主人に撮ってもらいました。その後、何度も何度も礼を言いつつ、やっとのことで彼は去っていったのでした。はぁぁぁぁ~~~、長い一日だった・・・。

   翌朝、宿を出た私がフェズに移動するため、バスターミナルへ向かっていると、後ろから追いかけてくる人物が。げげげげげげっ!それは何とカリム!!バスターミナルに着くと、タイミングが悪いことに、次のフェズ行きバスは10時半とのこと。あと小一時間ほど待たなくてはなりません(行き当たりばったりな旅をしてるからこーゆー羽目になる…)。「10時半までバス来ないんだって。それまで私はそこのカフェで1人で待つから、もう帰ったほうがいいよ」と説得するのですが、「僕も一緒に待つよ」とカフェについて来る彼・・・。テーブルにつくと、カリムがやたらと思いつめた表情で私を見つめるので、私は必死に気付かない振りをしてコーヒーを飲み続けました。すると彼は、「昨日の夜も今朝もずーっと君の事を想っていたんだ」とか「アイラブユー・・・」とか照れながら告白してくる始末。困ったな、どーしよ・・・と思い、どうにか話の流れを変えようと、一生懸命どうでもいい話題を振り続け、頼むから早くバス来てくれぇぇぇぇ!と願うしかありませんでした。

   お互いのアドレスを交換し、ようやくやって来たバスに私が嬉々として乗り込もうとすると、カリムは「絶対手紙を送ってね。あの写真を眺めながら僕はず~っと待ってるよ」というようなことを言って、私のアドレスが書かれた紙を大切に握りしめるのでした。

   ようやく出発したバスの中、ふか~~~いため息が・・・。感じるのは1人になれてホッとした気持ちと、罪悪感が混じった複雑な感情。だけど、一体どーすりゃ良かったのよ??確かにカリムは私が出会った他のモロッコ男と違い、とても控えめで図々しさもない、好青年です。だから逆にその真面目さが困っちゃうし、びびってしまいます。その気もないのにやたら真剣な彼に応えるような態度も取れないし、親切な彼に邪険な態度も取れません。

   ・・・と、窓の外を眺めながら、ぼんやり考え込んでいた私でしたが、それも隣に座ったやたら陽気な100%典型的モロッコおじさんのおしゃべりに阻まれ、そしてバスは一路フェズへ。かようにこの国では、窓の外の景色をのんびり楽しむことは難しい模様です・・・。

   後日談:その後、日本に帰った私に、カリムからの熱~いラブレターが何通も待っていました・・・。




Vol.9 「私的ダブリンガイド」

2006年08月22日 14時30分55秒 | ダブリン生活
「My Favourite Things in Dublin」

   私が愛したダブリンのいろいろなモノ・コトをご紹介します。もちろんこの他にもお気に入りはたくさんあるけれど、あまりガイドブックでは紹介しないような事物に限定しました。ですので、パトリック大聖堂だのトリニティカレッジだのBewley’s Caféだのは間違っても出てきません。これはあくまで私的お気に入りリストですので、あしからず。

「Father Ted」

   これは90年代に製作されたアイルランドのコメディ番組。要するに「テッド神父」。Craggy Islandという小さな島(架空の島です、念のため)の舞台に、煩悩のかたまりでいつもトラブルを引き起こす(でも、この奇人・変人メンバーの中では一番まとも)Father Ted、元気いっぱいおバカ丸出しの若きFather Dougal、いつも「酒っ!!」と叫んでカウチで寝てる以外存在理由のないアル中Father Jack、甲高い声でベラベラベラベラさえずり続け、人にお茶を勧めるのが生き甲斐の家政婦Mrs. Doyleという4人が繰り広げるはちゃめちゃな(古い表現だな、これも)人気コメディです。今だに再放送され続けているこの番組、私がダブリンに滞在していた時は、アイルランドの国営放送RTE2で月曜日の夜に放送されてました。
   ある日、英語学校の先生がこの番組のDVDを授業で見せてくれ、そのあまりのおバカっぷりにあっという間にファンになった私。よくこんなキリスト教や神父の姿をおちょくった内容の番組を、超カソリックのアイルランドで放映できたなあ・・・と思ってたら、案の定、そういう筋から非難があがり、先にイギリスで話題になった後で逆輸入みたいな形でアイルランドに戻ってきたらしいです。イギリスの国営放送BBCで放映されていたコメディ番組「Monty Python’s Flying Circus」の大ファンの私ですが、シャープで、シニカルで、性格の悪いイギリス軍団・モンティ・パイソンに比べると、「Father Ted」はいい意味でどんくさくて、マヌケで、それ故愛しくなるその登場人物たちが、ああ、アイルランドだなぁ、と思います。このシリーズはDVDでも発売してるので、興味のある方は見てみてくださいね。「Father Ted」で大ウケした後、同じチャンネルで放映していたアメリカ発の人気ドラマ「Lost」を見ながら過ごすのが、月曜の夜の定番。
*何だか相当濃ゆいファンが作ったらしい「Father Ted」のサイト(英語)

「Totally Dublin」

   インタビュー記事やレストランや映画、音楽などのレビュー、ライブの予定などが載っているダブリン情報満載のフリー・ペーパー。これは読み物としてもとても質が高く、構成もユニークな情報誌です。お気に入りのカフェで、これを読みながらのんびりお茶してると、「あぁ~~、シアワセ・・・」な気分。記事も読みごたえがあるし、何と言っても写真がいいです。情報誌の写真ってだいたいありきたりで退屈なものが多いけど、「Totally Dublin」の写真はどれもかっこいい!見ていると、「ふぅぅむ・・・」と唸らされてしまいます。一言で言うと、「スタイリッシュなフリー・ペーパー」。隔週で発行しているような感じではありますが、正確には知りません。パブやカフェなどに置いてあったりもするのですが、私はだいたいIrish Film Institute(後述)の入り口近くに積んであるのを取ってました。その写真の質や構成に惹かれ、発行元の出版社に「働かせてくださ~い」メールを送ったことがあるんですよね、実は。その結果は・・・・。まぁ、気が向いたら後日書きます・・・。

Iveagh Garden/アイビー・ガーデン(Clonmel Street Dublin2)

   知る人ぞ知る!的雰囲気を持つ公園。ダブリン市内には公園がやたらたくさんありますが、街の中心だとセント・スティーブンス・グリーンやメリオン・スクエアあたりが有名ですよね。でも人が多い!いつも観光客がいっぱい!ってことで、静かに芝生で寝転びたい・・・と思った時、迷わずここへ向かいます。実際にはセント・スティーブンス・グリーンのすぐ近くなのに、意外と知られてない模様。Harcourt Streetからちょっと入ったところに小さな門があり、そこが入り口。こじんまりした秘密めいた門を入ると、中は予想外の広さの公園!大きな木に囲まれた細い小道、広々とした芝生、そして歩く人もまばら・・・。
   やることのない日曜日の朝、珍しく太陽サンサン空は真っ青!だったりすると、サンドイッチを作り、デザートとしてリンゴやオレンジなどを1個、そして読みかけの本と一緒にバッグへ突っ込み、アイビー・ガーデンへ向かいます。ダブリンの人たちは、青空の日になると、待ってました!とばかりに公園へつめかけ、そこでランチしたり、芝生で寝転がって読書したり、カップルでいちゃついたりしています。なので、そんな日は公園はいつも人で大賑わい(青空の下、幸せそうな人々を見るのも悪くないんだけどね)。そんな中、このアイビー・ガーデンはいつでも人が少なく、落ち着いて大の字になって寝転がれる穴場(セント・スティーブンス・グリーンなんかだと、寝転がる時、すぐそばに人がいるので気使っちゃうんだもん)。下には鮮やかな緑の芝生、上にはすっこーんと抜けるような青空、そしてこの静けさ・・・。一体、他に何を望むというのか?
*この公園の開閉時間などここでチェックしてみてね。(英語)

IFI Bar & Cafe(Eustace Street, Temple Bar, Dublin 2)

   ここはまぁ、知ってる人も多いかもしれませんが、IFI(Irish Film Institute)はテンプル・バーの中にある映画館。私はこの映画館が大好きで、ダブリンに行くと必ず入っちゃいます。日本で言う「アート系シアター」みたいな感じで、他の映画館ではかからない個性的な映画をいつも上映しています。外国映画特集や作家や監督を招いてトーク・セッションみたいなこともやってます(そう言えば、オリジナルの「ゴジラ」を上映してたこともあったな)。特筆したいのが、ここは私にとって大事なトイレポイントの一つ。街なかで突然尿意をもよおした時など、デパートのトイレはいつも混んでるし、お金払わないといけないとこも多い(まあたかだが20セント程度だけど)。パブやカフェに入ってトイレだけ借りるってのはやりにくい。でもココのトイレは入ってすぐの通路にあるため、ここにす~っと入ってトイレだけ借りてす~っと出て行けるので、そういう点だけでも非常に利用価値高し。
   映画館自体も個性的で素晴らしいのですが、ここで注目したいのは、併設されたIFI Bar&Cafe。1階席と2階席がありますが、私は天井が高く、落ち着いた雰囲気の1階席が好き。壁には古い映画のポスターなどが貼られ、カジュアルだけどシックな感じ。パニーニ(サラダ付き)やファラフェルのピタ(このファラフェルが巨大!)やベジタリアン・ヌードル、手作りラザーニャなどちょっとオシャレなメニューが、安い値段で食べられるのも魅力。また夜中までオープンしているので(映画館の窓口は9時で締め切り)、6時ぐらいにさっさと閉まってしまう街なかのカフェと違い、どこかのレストランでたらふく食べた後、ココに移動してエスプレッソを頂くこともできます。若いスタッフも皆感じがいいし。バーのカウンターで映画の前(または後)にワインなんぞをくいっと引っ掛けるのも良し。
*Irish Film InstituteのHP。カフェ情報もこの中にあります。(英語)


Hogans(South Great Georges Street Dublin2)

   テンプル・バーにも近いGeorges Street周辺には、トレンディな(死語?)パブがひしめいているエリア。The GlobeやMarket Bar、The George(ただしここはゲイパブ。でも女性も入れるし、週末近くには美しきゲイのお姉さまたちによるショーもやってます)など、若いオシャレな人たちが集まるパブがたくさんあります。Hogansもそんなパブの一つで、私のダブリンライフにおいて「最多出演パブで賞」を進呈できるぐらいの超行きつけ。と言っても全然気取ってるわけじゃないし、居心地のいいフツーのパブです。だいたいパブっていうのは、昼間でも店内は薄ぼんやりとしていて、電気が煌々と点いてるような場所じゃありません。Hogansのよく磨かれた床やカウンターに、通りに面した大きな窓から差し込む陽光が反射し、ほのかに店内を照らします。夜の賑やかさとは打って変わった昼間の静かな時間帯、ギネスなんぞゆーっくりすすりながら流れる時間に身をゆだねていると、「なんかどうなってもいいや~・・・♪」的気分になります。
   私の友人たちはほとんど南サイドに住んでるので、北サイドの住人の私が彼らと待ち合わせするのにちょうどいい場所でもあり、すぐそばにバス停があるのであっちゅー間にフラットに帰ることもできるし(すぐバスが来た場合に限る。たいてい来ないけど)。最初にここで軽く引っ掛けてから、他のパブに移動、または他で飲んでからHogansでしめる、みたいな使い方をしています。ダブリンに来るたびここでギネスを飲んでるので、「あ~、私は今、ダブリンにいるんだなぁ・・・」としみじみと感じさせてくれるパブです。ちなみにここではアイリッシュ・ミュージックはやらないし、バンド自体入ってません。音楽がガンガン鳴り響き、とんでもなく大声で喋らなければいけないパブと違って、ある種の落ち着きもあるところが好き。地下一階のフロアは週末にはDJが入るクラブなので、い~気分になって、「よ~し、踊ったろか!」という時は下でガツンと楽しむこともできます。ただし、さすが人気のパブ、週末の夜11時ぐらいはもうとんでもないほどの人・人・人!時々入れないことさえあります。そういうのが苦手な人は、月~水曜日あたりの早い時間に来た方がいいかも。
*プチHogans情報(英語)


「Queen Of Tarts」のN.Yチーズケーキ(Dame Street Dublin2)

   とにかくチーズケーキが大好きなんですよねぇ、私。それもレアチーズケーキとかはダメ。しっかりどっしりのベイクドチーズケーキじゃないと!ってことで、ここはそんな私好みのチーズケーキが食べられるお店。ベイリーズのチョコレート・チーズケーキがそれ!もぉ、ほんっっとにんまい!これを書いてるそばから口の中がそわそわしてきちゃいます。意外に街なかではN.Yスタイルのチーズケーキが食べられるカフェは少ないんです。もちろんここのケーキはすべてホームメイド。このカフェの唯一の難点は、店が小さいのですぐ人でいっぱいになり、なかなか座れないこと。「あ~、今日はチーズケーキが食べたいな・・・」とこの店の前を通ると中は満席で、泣く泣く諦めなくちゃいけない歯がゆい思いをすることも。テイクアウトもできるので売り切れになる前にゲットし、家で食べる、という手もありますが。
   他のケーキももちろんと~ってもおいしいです。ショーケースの上には、マフィンやスコーン、ブラウニーなどがこんもりと積み上げられ、中にはキャロット・ケーキ、レモン・メレンゲ、チョコ・ファッジ・ケーキなどのあまたのケーキちゃんたちが、私たちを待っております(ケーキ類のほとんどは3・95ユーロ)。パリのケーキ屋さんのそれみたいに妙なおジョーヒンさはなく、料理の得意なおばあちゃんが作るケーキのような気取りのない、どっしりとしているところが魅力。でもそのセンスの良い飾り付けもオシャレで最高!また、ケーキばかりでなくおいしくて値段も手ごろなブレックファスト/ランチメニューもあり、ホームメイドのパンで作ったサンドイッチなども超おいしいです。なので、運よく空いてるテーブルを見かけたら、速攻店内へ飛び込み、確保すべき。ここにも雑誌の取材で訪れたことがありましたが、ここの女性シェフともどもスタッフは全員感じがよく、おまけにみんな美人です。
*この店の情報はこちらでチェック。(英語)


偶然性

   これは私がダブリンで最も愛するモノかもしれません。もちろん小さい街だからというのもありますが、街なかを歩いてると、笑っちゃうくらい誰かと鉢合わせしちゃうんですよね。滞在期間が長くて、知人・友人が増えれば増えるほど、当然その確立は高くなります。一度など、一日のうちに4人の友人とそれぞればったり会ったことさえあります。こういうのが続くと、何だかダブリンって首都で都会ではあるけれど、どこかこじんまりしたコミュニティみたいなところがあるなぁ、と感じます。世界4大都市の一つ・東京からやってきた私としては、そういうのが楽しくてたまらない!東京で生まれ育った私は、全人生を通して、東京の街の中で誰かとばったり会ったことなんて、たぶん3回くらいですよ。一日で4人って、何じゃそれ!「~とバッタリ出会う」と言う時、「bump into ~」と英語で表現しますが、ダブリンで真っ先に覚える表現の一つかも。
    ここでは人と人との横のつながりを肌で感じることがよくあります。例えば、私が「この前日本人の友だちの○○と映画に行って・・・」と言えば、相手が「○○?ああ、その日本人の子、知ってるよ。先週、友だちと飲みに行った時、一緒に来てた子だ」とか、「グラフトン・ストリートで演奏してるバンドで超お気に入りがいるんだよね。こういう音楽でこういう格好してて・・・」と言えば、「そのバンドでギターやってる子、私の友だちの彼氏だよ」とか、「私、ニール・ジョーダン(ダブリン出身の映画監督)の大ファンなんですよ~」と言えば、「俺、前に彼と一緒に仕事してたよ」とか。なんだか「あんたたち、街の人とみんな知り合いなのか!」と言いたくなるほど。そういう、目には見えないけど、誰かと誰かを結んでいる糸のようなものが、ハッキリくっきり、また痛快なまでに感じられるのです。そして、私にとっては、「ケルズの書」だの「クライスト・チャーチ」だの「ギネス」だのよりも、これこそがダブリンらしさだなぁと思っちゃうんです。

・・・・・・こういう「お気に入り」なんぞを書いてるとキリがなくなってくるので、これにて本日はおしまい。

Vol.8 「ダブリンで(にわか)寿司シェフになる!」

2006年08月17日 00時00分00秒 | ダブリン生活
「Party Hardy!」

   ある日、友人グェンからEメールが届きました。

「○月○日、我が家にて寿司パーティ開催!シェフは○○(私のこと)!!」

   はいいいぃぃぃぃ!?いつから寿司シェフになったんだ、私は?寿司なんか日本でも作ったことないぞー!と不安におののいたのも束の間、すぐさまケータイに彼女からメールが(ケータイメールのことをこちらでは「text」と言います)。「で、寿司作るのに、どーすればいいの~?」

   グェンはダブリンで大手PC会社に勤めるフランス人。私が初めてアイルランドにやってきた時に知り合った、一番古いダブリン友だちです。彼女とはテンプル・バーの真ん中にある「Auld Dubliner」というパブで邂逅。私が地下のトイレの鏡でちょっと髪を整えていると、まったく同じ仕草で髪を直していた彼女と鏡の中で目が合いました。お互いに噴き出し、「やっぱり女の子だからね~」などと言い合った後、私は一人で座っていたカウンター席に戻りました。するとすぐ隣の椅子に座っていた客も席に戻った気配。振り向くとそこにいたのはその彼女!お互い、再び大笑いし、フランス人の友だち3人で来ていた彼女が私を誘い、一緒にギネスを飲み始めたのが、長い友情の始まりでした。

   ああ、あれからかれこれ7年・・・。その後も付き合いはずっと続いており、グェンとそのボーイフレンド、ヴァンサン(アイルランドでは英語読みのヴィンセントで通してるけど)は、ダブリンを訪れるたびに一緒に過ごす親しい友人です。部屋探してる時は、「見つかるまで家においで」と言ってくれ、フラットを見つけた後は、彼らの家の余っているテレビをくれ、仕事を探している時は色々な仕事情報をメールで送ってよこし、とあるアイルランドの男の子に私がポ~ッとなっていた時はアタック法を伝授し、英語の勉強に悩んでいた時はずーっと励ましてくれた彼ら。そのフランス人カップルの家でのホームパーティにお呼ばれしたり、会社のパーティに誘ってくれたり、映画を見に行ったり、もちろんパブで飲み明かしたりしているうち、アイリッシュよりフランスの友人たちが異常に増えてしまいました(いや、もちろん嬉しいんですけどね)。

   気のいいグェン&ヴァンサンの友人たちも皆いい奴ばかり。類は友を呼びます。彼らは特に日本の友人たちと何ら変わらない気の使い方や配り方をするので、一緒にいて気が楽だし、特別、「私は今、フランス人と遊んでいる」という意識も感じませんでした(まー、時間にルーズっていう点ではさすがフランス人とも思うけど・・・)。

   「寿司パーティ」メールが来る以前から、グェンは「今度寿司パーティやろ!やろうよぉぉぉ!」と言っていたので、とうとう来たか、という感じではありましたが、実際私は自分で寿司なんか作ったことはありません。だからグェンにも「日本人だからって寿司のこと何でも知ってるとは思わないように。セルフスタイルの手巻き寿司パーティはすることはあるけど、普通、日本人は寿司っていったら外で食べるかどこかで買ってくるものだよ」と念を押しときました。同じ内容のメールは既に他の招待客にも送り済みなので、もう後には引けません。しかし、彼女に「今度の寿司パーティで必要なものって何?」と聞かれた時、「うーんと、新鮮な生魚と海苔と日本米と醤油と・・・」と返答するうち、酢飯の作り方ってどーすんだ?と一瞬考え込んでしまった私。おいしい寿司にとって新鮮な魚と同様、重要なシャリ。その時助けになったのが、日本へ帰国した友人がくれた日本の家庭料理の本。見てみると「散らし寿司」の項が!そこで酢飯の酢の配合を知り(アジア食品店にはすし酢もあるんだけど)、ホッと胸を撫で下ろしたのでした。という事で、私が米、海苔、米酢(あっちのいわゆる「ビネガー」は寿司には向かない)などを用意し、パーティ当日の朝早く、漁港のあるホウス(Howth)まで、新鮮な魚をゲットしに彼らの車で出かけたのでした。

   ホウスは市内から車で30分ほど。郊外列車DARTでも行けます。年季の入った漁船が停泊する堤防沿いに、何軒かの魚屋が並んでいるのです。私たちが魚屋を回っていると、一人の漁師っぽいおじさんが「アザラシが見れるよ~。これからエサあげるよ~」と言いながら港を回っていたので、その後について行きました。他の見物客も集まった所でおもむろに海に向かって変な声で呼びかけ始めるおじさん。すると海の中からつるんとした頭のアザラシちゃんが!あ、あそこにも!「あれはジャックだな」とか「あいつは最近顔を見せなかったなぁ」とか言いながらバケツから小さい魚を放り投げてやるのでした。私にはジャックもその他のアザラシも全然区別がつかなかったけど・・・。

   小さな店内に並んだ新鮮な魚たちを目にし、メラメラと燃え上がる内なる大和魂。う~む、うまそう・・・。刺身とほかほか白飯で食いて~!しかし、日本でのように種類はそうそう見込めません。タコとかイカなんか食べたいんだけどなぁ・・・とは思いましたが売ってません。なぜならアイリッシュはそんなもの食べないから(時期によってはたま~~に見かけるけど)。店を回るうち、意外にも自分が魚の種類を見分けられないことを発見(だって切り身で売ってるし・・・)。なーんかタラっぽい・・・とか、どことなくタイに似てる・・・ぐらいしか判別できないので、二人に「これ、寿司に使える?」とか「これ、何ていう魚?」などと聞かれ、慌てた私は「んーとね、それは白身の魚、で、こっちは赤身」と答えて、彼らに呆れられたのでした。

   かように「魚に詳しい(はずの)」日本人としての恥をさらした後、見た目が間違いようのないサーモンとマグロ、シャコに似た小ぶりのエビなどを買いこみ、潮の香り漂うホウスの港を後にしたのでした・・・。

   パーティは7時からスタートなので、おっぺけシェフの私は準備のため、6時に彼らの家へ。そこでふと気がついた事実。

   「炊飯器がない」

   今回のパーティに集まるのは総勢6名。6人分の米をしっかりしゃっきり状態で作らなくてはなりません。あああ、一番ハイライトとも言えるご飯!鍋で米炊いたことなんてほとんどないぞ~!せっかく新鮮な魚を買ってきておいて、私がびちゃびちゃの米を炊いたりしたら、ど~しよ~!横で、私の指示どおりに魚を切り分けていたヴァンサンは、「大丈夫、君が“これが寿司なんだ!”って言えば、みんな“そーゆーものか”って納得するから」などと、これっぽっちも慰めにならない慰め方をしてくれました。緊張の中、恐ろしく神経質に米を計り、それを洗って30分ざる上げしておき、その後これまた神経質に水を計ってびくびくしながら鍋で炊き始めたのでした。

   他のゲストも集まり始め、ワインだのマティーニだのビールだののアペリティフでパーティがユル~く開始。私以外は全員フランス人です。何度も鍋の中を覗きたい誘惑を、「赤子泣いてもフタ取るな、赤子泣いてもフタ取るな・・・」と唱えながら必死に我慢した問題のご飯、さて、その結果は・・・?

   大成功!!

   硬さも完璧!興奮した私が、「ちょっとちょっと!私って天才!見て見て、この完璧なご飯!」と、日本のご飯の炊き上がりを知らないフランス人相手に大騒ぎしていると、彼らは何だかよく分からないながらも「おお~~~・・・」と拍手してくれたのでした。

   その後はみんなでおしゃべりしながら、準備を続けます(一人がご飯にせっせと酢を混ぜ、一人が横でうちわを使って冷ましているフランス人の図って・・・)。私が指導して(なんせシェフですから)、握り寿司と巻き寿司の見本を見せると、全員が嬉々として作り始めました。結果、形がバラバラなサーモンとマグロとエビの握り、唖然とするほどぶっとい巻き寿司がたんまりと出来上がったのでした。

   その晩集まったメンバーは全員生魚OKだったので、まぁ食べること食べること。中でも暴走したのがアメリカ系航空会社に勤めるジェラルディン。「ワサビ大好き!」と宣言した彼女は、何を思ったか、チューブ入りのワサビをてんこ盛りですくい、そのまま口に入れるという暴挙へ。「やっぱりおいし~い。・・・・ゲホ、ゲホホホホホホ!!」と、その後15分ほどむせ続けたのでした。

   あれだけの量の寿司を一つ残らずぺろりとたいらげた後、デザートはヴァンサン特製パイナップルケーキ(プチ情報:料理が苦手なグェンの誕生日に、ヴァンサンは栗原はるみさんの英語版料理書をプレゼントした)。その後、ワインがさらに開けられ、超強烈なフランスのリキュール、アブサンまで登場(度数70度以上!!)、それを小さなグラスでみんなで一気した後、アブサンを初めて飲んだ私は床に倒れこんで玉砕、その姿をしっかりデジカメで撮られてしまったのでした・・・。

   その後、何度友人に請われ、寿司パーティを開いたことか・・・。グェン&ヴァンサン宅で2度、ドイツ人の友人宅で2度(日本通の彼女の家には炊飯器があり、一安心。が、天ぷらを作る羽目になり、また緊張した)、アイリッシュの友人宅で1度、英語学校の持ち寄りパーティで一度・・・と日本で食べる5年分くらいは寿司を食べることに・・・。でも思うのは、食に対してオープンで好奇心豊かな私の友人たち。フランス人のオリヴィエは「食べる前から偏見を持つのは嫌いだ。何でも食べてみないと」と言っていましたが、確かにその通り。実際、生魚を食べたことがない人が恐る恐る食べた結果、大喜びしたり、私が作った天ぷらがあっという間に食べ尽くされたり、ワカメの味噌汁を不思議そうにすすりながらも「ホッとする味だね」などと言ってもらえるのは、嬉しい驚きでした。まずは好奇心を持って、世界の料理に触れましょう。

「ダブリン日本食事情」

   ダブリンにいる間、自分のキッチンでは、取り立てて日本食らしい日本食を作ることはありませんでした(ご飯もたまにしか食べない)。理由は特に日本食が恋しくないということと、日本食の材料をこっちで買うと馬鹿馬鹿しいほど高いから。酢、醤油、みりん、味噌、ブルドックソース(お好み焼き用のおたふくソースまで!)、かつお節、梅干、納豆、乾燥ワカメ、そば、うどん、豆腐など、ほとんどの物はアジア系食料品店で手に入ります(South Great Georges Street近くのDrury Lane にある「Asia Market」という店は中も広く、品物の種類も豊富です。でも入り口が分かりにくいので上を向いて看板を見逃さないように)。でもねー、やっぱり高いんだもん。そりゃ日本食は大好きだけど、特別こだわりはないし、恋しくなるわけでもないので、みりん一本に大枚払うくらいなら、テキトー無国籍料理で充分です。それに普段は自炊していますが、たまには外食も楽しいし。ってことでダブリンには、首都らしく各国のレストランがた~くさんあります。イタリア料理、フランス料理、スペイン料理、中国料理、韓国料理、インド料理、ペルシャ料理、ルーマニア料理、トルコ料理、ベトナム料理その他いろいろ・・・・・。

   そんな私なので、ダブリンの日本食レストランに行ったのも、「ジャパニーズレストラン行きたい!」と言う現地の友人に引っ張られてのこと。最近ますます乱立する中華料理の店とは反対に、日本食レストランは数軒しかありません。私が行ったことがある店を挙げてみると・・・。

   まずは、ダブリンの日本食レストランと言えば誰もが思い浮かべる「ヤマモリ(Yamamori)」。South Great Georges Streetにあるこのレストランは、いつも地元の人たちで賑わっています。店のスタッフは日本人がほとんどですが、後日、雑誌の撮影でこのレストランのキッチンを訪れると、日本人はゼロ(たまたまその日はそうだったのかもしれないけど)。でも、ここでは「酢の物」とかさりげない物が頼めるし、焼きそばとか焼き鳥なんかもあり、全体的には結構おいしいと思いました(ここの寿司は食べたことなし)。値段もそれほど高くないし。店内の雰囲気もいいので、割と気に入ってます。ランチタイムにはお寿司に他の料理が付いたお得なサービスセットなどもやってます。ちなみにオーナーはアイリッシュ。

   次はセント・スティーブンス・グリーン・ショッピング・センターの下にある「ワガママ(Wagamama)」。この店はロンドンにもありますが、そのダブリン支店です。日本食というより「ヌードル・レストラン」と銘打ってるので、ラーメン屋さんですよね。でも内装は妙にスペイシー。階段を下りるとすぐ目の前にある巨大な牛のオブジェが、ガラスケースの中でお客さんをお出迎え。長いテーブルが整然と並び、スタイリッシュな店内ではたくさんの人がラーメンをすすってます。ここは雑誌の撮影で訪れたのみなので、残念ながら食事をしたことはありません。この店のマネージャーに「キッチンの写真を撮りたいんですけど」と頼むと、彼は私を客席からも見えるキッチンへ連れて行き、そこで働いていた中国人コックさんに頼んで、テレビでよく見る「必殺!火がボォォォ~DEフライパン返し!」をやってもらうことに。日本食レストランのはずが、そこだけは中国4000年の厨房と化したのでした・・・。

   最後に、この街に定着した感のあるベルトコンベヤSUSHIレストラン「アヤ(AYA)」。要するに回転寿司屋です。この店は私が後に働くことになったカルチャー雑誌、「The Dubliner」のオフィスからも近いClarendon Streetにあるので、しょっちゅう目の前を通ってましたが、ランチタイムはいつも混み混み!ここへは日本大好きドイツ人の友達に連れられて行きましたが、正直言って、もう一度行きたいとは思えないんだなぁ・・・。店の中央に置かれた巨大なベルトコンベヤの上では、常識的な寿司の間を縫って、不可解な食べ物が「うぃ~~~ん・・・」と流れています。私が許せないのがネタの魚の貧弱さ!トロだのマグロだの風が吹けば飛びそうなペラペラしたのが一枚、乾燥して反り返った姿でコンベヤの上を回りつづけておりました。その間を焼きそばが盛られた皿、揚げ春巻きの皿、エビチリの皿、チョコレートケーキの皿などが黙々と流れていきます・・・。コンベヤ前の席で肩を押し合いつつ、皿を取っているお客さんの姿は、日本の回転寿司屋とそっくりなんだけど、やっぱりネタが悪くちゃどーしよーもない。その日がたまたま悪かったのかもしれないけど、そんなの理由にならないっす。日本語を多少話せる友人が、店内を忙しく回るアジア人スタッフに「スイマセ~ン、アガリクダサイ」と言って、きょとんとされてました。日本人スタッフはいない模様です。(私にとっては)キテレツな店の割には人気があり、ダブリンでは珍しいスーツ姿の男性たちがビジネスランチらしきものをしてたりします。みんな楽しそうに食べてるから、ま、いっか、といった感じの店。

   あと、Georges Streetをちょっと入ったWiclow Streetに「浮世(UKIYO)」という(レストランと言うかバーと言うか)店もあります。店の外側に障子が貼ってあるので、目に付きやすいのですが、どうもこっぱずかしくてここは入る気になれません。カラオケナイトもあるらしいです(さらにこっぱずかしい・・・)。昔に比べると、ダブリンにはアジア系食料品店が急激に増え、品物の種類も驚くほど豊かです。なので、ダブリンに住みたいけど、ジャガイモばっかり食ってられるか!という「日本食命!」の人でも、問題なく日本的食生活は送れるはず。ただ、もうちょっと安ければねぇ・・・。


   

Vol.7 「これって燃えつき症候群!?」

2006年08月10日 14時52分00秒 | ダブリン生活
「プチ引きこもり」

   フラット生活にも学校生活にも慣れ、日々のリズムが整ってきました。
 ・朝8時半にはフラットを出てバスに乗る(渋滞がなければフラットから学校まで20分弱。しかし私がダブリンにやって来た当時、北側の大通りオコンネル・ストリートは大々的に整備工事を行っており、この通りの渋滞を考えて授業の45分前にはフラットを出ていた。それでも時々遅刻した)。
 ・午後1時まで授業。
 ・元気があれば歩いて(買い物など寄り道しながら)ブラブラとフラットに帰る。
 ・夕方まで今日の宿題・復習をする。
 ・テレビで「フレンズ」を見ながら(この番組、あまりにもしょっちゅうやってるので、ストーリーが完璧に頭の中に刷り込まれてしまった)、夕飯の支度をする。
 ・夕食後、友達と約束がある時は出かける/読書またはテレビを見る/勉強をする。
 ・12時には寝る。

   非常にシンプルな生活。とにかくこの時期、英語の勉強を中心に世界が回ってました。仕事探しにこの街に来たというのに、そんなものそっちのけで英語勉強にメラメラ燃えまくり。バスに乗ったら他の乗客の会話を盗み聞きしてリスニングの勉強(ある朝、私の前に座っていた二人組のおっちゃんたちは、各単語の前に必ず“fucking”という形容詞がつけていた。とても勉強になった)。テレビを見る時も当然リスニングの勉強も兼ねているので、あまりに集中しすぎに見終わるとぐったり・・・。友達と出かけた時は、ここぞとばかり覚えた新しい表現を使って喋りまくり、最後には声が嗄れる。ライティングの宿題は1ページでいいのに、のめり込み過ぎて気がつくと4ページぐらい書いてしまい、それをまた1ページにまとめ直すため、その宿題だけで夜中まで掛かったり・・・。しまいに一日でも勉強をサボると、どうにも気分が落ち着かなくなってくる始末。

   このように物事にのめり込みやすい、猪突猛進型の私。自分では新しい生活、英語上達という目標に向かって充実した毎日を過ごしているつもりだったのですが、このような生活を続けるうち、ふと気がつくと憑き物が落ちたみたいに虚脱状態に・・・。自分では相当努力してるつもりなのに、自分が望んでいるような成果が上がらず、無意識に日々、ストレスを感じ始めていたのです。

   私は当時、ラッキー・ストライクを吸っていたのですが(今から思うと何てリッチ!当時ラッキーは1箱6.35ユーロ。なんと900円以上!!日本の約3倍!!なのでその後、安い紙巻タバコを買うようになった。さらにその後、ラッキーは6.45ユーロに値上がりした。なめてんのか!!)、店でこのタバコを買うたびに、「え?」と聞き返され、ヘコむ事が多々ありました。Lucky Strike。日本人にとっての核弾頭・LとR。そのうえ、ダブリン訛りのせいで、「ラッキー・ストライク」と言うより「ロッキー・ストロォイク」と発音しないと通じません。何だかアイダホ出身の売れないカントリー歌手みたいじゃないのよ・・・とぶちぶち言いながらも、「ロッキー・ストロォイク下さい」と言ってました。ちなみにこちらの大衆スーパー「Dunnes Store」。「ダンズ・ストア」ではありません。「ドゥンズ・ストア」です。何だかなぁ、あんまり買い物したくない名前だな・・・。んなことはどーでもいいんですが、かように日々つまらない事で、「ああ、私って英語下手だなぁ・・・」と自責の念に駆られるようになってしまったのです。

   学校の先生たちはみなダブリン出身のアイリッシュですが、特別、彼らのダブリン訛りを意識したことはありません。しかし、学校から一歩外に出ると、「ロッキー」だの「ドゥンズ」だのの嵐。もちろん、皆が皆、強烈な訛りで話すわけじゃないし、大抵、ごく普通に聞き取れます。でも私にとっては、特に中年のおじさんたちが話す英語が聞き取りづらい(若い子たちはめちゃくちゃ早口なんだけど、聞き取るのはそれほど大変じゃない)!単語の最後をバキバキと端折ったような発音なので、相手がベラベラベラベラ話すのを聞いていても、どこが文の切れ目なのかがさっぱり分かりません。

   基本的に私はアイルランド訛りが大好きです。ダブリンに来るたびに、この独特なアクセントの英語に囲まれると自然に心が浮き立ってくるし、耳に心地良いとさえ思ってます。でも実際、このアクセントと共に生活するとなると、そんなポエティックな事ばかり言ってられません。

   ついには変な心理状態に・・・。自分の英語がいい加減だと知っていた時は、その文法的呪縛から離れて自由に話せていたのに、学校で勉強するうち、如何に自分がいい加減に英語を話していたかを自覚して、正しい知識を得れば得るほど、逆に英語が混乱してきてしまったのです。まともな英語を話したいという意識と、実際に口から出るへっぽこ英語の落差に、だんだん話すのが苦痛になってきてしまいました。もともと早口の私が、未来完了形だの仮定法過去だのが混じった文章をつっかえつっかえ話す自分にうんざりし、落ち込んでしまうのです。もちろん自分が文法に捕らえられ過ぎて、頭でっかちになっているのは分かっているのに。

   そんなこんなで、表面上は日々変わらず過ごしてはいるけれど、どこか無気力状態に陥り、外に出かけたくなくなり、フラットに閉じこもることに安心感を覚えるようになってしまいました。そのうち「ああ、私って孤独だ、誰にも愛されていない・・・」などと意味不明な事を考え出す始末。この当時は気がつきもしなかったのですが、最近ネットで調べ物をしているうち、ふと目に付いた言葉。

   「Burnout Syndrome」

   これは日本語で「燃えつき症候群」と呼ばれる心理学用語。これは、熱心にある物事に取り組んでいた人が(仕事、勉強、子育てなどなど・・・)、努力の成果を感じられず、長い間、無意識に心理的プレッシャーを受けていたため、何かをきっかけにあたかも燃え尽きるようにそれまでのエネルギーを失い、落ち込み、イライラ、強い無力感に陥る状態のことです。こわっ!!って、まさにこれ、当時の私じゃん!!

   自己に対する過大評価あるいは過小評価のため引き起こされるこの症状、マジメな性格の完璧主義の人間がなりやすいそうで。マジメ完ぺき主義の乙女座のA型である私は(周りから「なに言ってんだ、お前は」と言う呆れた声が聞こえる・・・)、どーも自滅型の性格らしく、これに似たような心理状態を過去に何度も繰り返してきたような気がします。もちろん、そんなシリアスなものじゃなくね。「あーあ、私ってダメだなぁ・・・」なんて一人で鬱々とヘコむのは誰にだってあることですが、当時はなぜか異常に切迫していたらしく(何に切迫していたのか、自分でもさっぱり分からんけど)、引きこもり状態に半足突っ込んでたらしいです。こんな短期間に燃え尽きてどーすんだ、って気もするけど・・・。

「キックボクシング・クラス」

   当時、「燃えつき症候群」なんて言葉を知らなくても、自分が妙な状態にある事には気づいていたので、それからの脱却を図ろうとしました。
すなわち、「嫌だろうとめんどくさかろうと、無理やりにでも外の世界と関わる」。学校や友人たち以外の外の世界の人たちと。

   そう決意したが早いが、キックボクシングを習うことにしました。これが何の解決になるかは分からないけど、キックボクシングと言ったらずいぶん激しそうだし、めちゃくちゃに暴れてぜーぜー言うくらい汗を流したら、気分的にもスッキリするんじゃなかろうか、それに他の人たちと一緒に何かを習うのも良さそうだし。

   うちのフラットから歩いて5分ほどのところに、大きなテスコ(イギリス資本のスーパーマーケット)があります。そこへ買い物に行くたび、その上階にあるジムの案内看板を目にしていました。以前にも「運動不足だから、ジムで筋トレでもしようかなぁ」と思い、見学に行くと、ちょうどその日はトレーニングルームの向かいの部屋で合気道のクラスが行われていました。胴着を着込んだアイリッシュやらフランス人やらが、「はぁっ!!」だの「ふんっ!!」だの言いながら、お互いを投げ飛ばしてました。うーむ、アイルランドで合気道習うってのもいいかも、あ、あのコーチ、かっこいい・・・、とうっとりしていると、ふと目に付いた受付わきの「キックボクシング・クラス」のポスター。キック・ボクシングもいいなぁ、一度見学に来たいなぁと思い、ジムの受付の女の子に尋ねてみると、「キックボクシングは火・土・日にやってるわよ。いつからでも始められるし、お金は1レッスンごとにそのコーチに払うの」とのこと。ふーむ、月謝制じゃないのもいいし、好きな時に来ればいいっていうのが気楽だわ、と思いながら、その日はジムを後にしたのでした。

   とある土曜日の夕方、キックボクシングのクラスへ出かけた私。着替えを済ませ、練習場に出ると、意外に女の子が多い。間もなく自転車を押してコーチ登場。背が低い丸坊主の男の人で、小柄だけど余計な肉は1gたりとも付いていない、体脂肪3%ぐらいの筋肉質の体。二の腕はタトゥーだらけで、ひときわ目を引いたのが右腕の「龍」(漢字)の文字・・・。ぎょ、なんかこわそ・・・と思いつつ、彼に近づき、「あのー、今日初めて来たんですけど、参加してもいいですか?」と聞くと、「もちろんどうぞ」とコーチ。間もなく、各自ダンベルを両手に持ち、トレーニングが始まりました。これがきっっっっっっつい!!ダンベルを持ったまま、腹筋、腕立て、パンチ練習と繰り返し、延々と続きます。おいおい、ここは海軍か?と思える激しさ。でも負けてなるものかと、遅れることなく皆について行きました。皆の間を回っていたコーチが私に近づき、そっと「初めてなんだから、そんなに無理しなくてもいいよ」と声を掛けてくれたので、嬉しくなり逆によけい頑張ってしまいました。こーだから、「燃えつき症候群」になるんだっつーの・・・。

   基本的には誰かとペアになって、一つの技のお手本をコーチが見せた後、それをパートナーと一緒に練習するというスタイル。護身術の要素もあり、いざと言う時には役に立ちそうです。自分で言うのもなんですが、運動神経はいいので特に困ることもなく、回し蹴り入れたり、パンチ入れたり、相手を組み伏せたりと、凶暴な本能を満足させつつ、楽しい時間を過ごしたのでした。

   とんでもなく激しいクラスの後、着替え室で他の女の子達から、「あなた運動神経いいのねー。覚えがすごく早い~」と誉められて有頂天。あー、ホントにおもしろかった!久しぶりの激しい運動に気分もスッキリ♪他のメンバーもみんな感じいいし、コーチもちょっと見はおっかなそうだけど、実際は気さくで親切。来週もまた来よっと!

   その後、キックボクシングと平行して、同じジムでなぜかピラテスの6週間コースにも参加。キックボクシングとピラテス。う~ん、私ってバランス取れてる~、と訳の分からない事を言いつつも、これらを日常に組み込んでいったのでした(結局キックボクシングは日本に帰る直前まで続けました)。

・・・その後は皆さんのご想像どおり、今度はキックボクシングとピラテスにのめり込んでいく私。どーにかして、この性格・・・。



Vol.6 「英語研鑚生活」

2006年08月09日 22時43分24秒 | ダブリン生活
「私の英語学校」

   私の最初の英語学校・Dublin Language Instituteは、街の中心地から徒歩10分ほどのHarrington street沿いにあります。並木道がまっすぐ続くこの通りは、夏は生い茂った濃い緑の枝葉から夏の木漏れ日が差し、秋には黄色く色づいた葉がはらはらと落ち、歩道を埋めたその落ち葉の上を歩くと、カサカサと素敵な音がします。赤いドアがかわいいジョージアン・スタイルの建物で、こぢんまりとした外観。ここは以前、A子(前述)がTEFLコース(Teaching English as a foreign language/英語教師養成コース)のため通っていたこともあり、教師の質の高さやそのアットホームな雰囲気は彼女のお墨付きなのでした。

   学校との相性ってすごく重要ですよね。それは授業内容、講師の質と性格、そこに通う生徒達、建物の雰囲気等、色々な因子が渾然一体となって作られるものだと思います。事実、今の英語学校に満足できず、学校を渡り歩く「放浪・英語学校渡り鳥」みたいな人もいるしね。私に関しては、この学校に出会えて本当に良かったなあと思います。この学校は政府認可校の一つではありますが(アイルランド政府教育庁「Department of  Education」が公式に認可している語学学校)、その授業内容が皆さん全員にとって満足の行くものかどうかは分かりません。なぜなら人それぞれ学校に求めるものが違うから。少なくとも私にとって、この学校はとても満足が行く所だったし、相性と言えば、バツグンだったと思います。

   私が英語学校に求めていた要素は、
 1)少人数制であること。 
 2)スピーキングに力を入れていること(生活手段としての英語という意味で)。
 3)日本人が少ないこと。
 と、ごく一般的。正直言って、別に友達を作りに行くわけじゃないしさ、講師と気が合わなくても英語さえ上達すればいいんだもーん、とドライに考えていました。でもやっぱり、授業を一歩離れたところで、先生や他の生徒と気軽にコミュニケートできる雰囲気はいいな、と思います。この学校は規模が小さいので、校長を始め、先生たちが全生徒を把握しています。英語レベルはもちろん、どういう性格かまで。

   他の英語学校は1クラスの生徒数が最大15人とかいう所も多いのですが、ここでは10人まで。クラス数自体も少ないです。私が通っていた半年の間、私がいたクラスは最大でも6人でした(それも私を含めて)。6人もいると、「あら、今日はずいぶん多いな」と感じたものです(先生を入れて3人、または、マンツーマンの時だってしょっちゅうあった)。そのうえ、私が在校していた間、日本人は私だけ(3ヵ月後に日本人の女の子が一人だけ入ってきましたが、違うクラスだったし、二週間しかいなかった)。私のように長期で受講している生徒が少なかったので、時間が立つにつれ、一番の古株みたいな状況に。先生も何かの折で生徒数を数える時など、私をカウントするのを忘れてしまい、「ああ、○○(私のこと)もいたっけ。いつもいるから学校の一部みたいに考えてた」などと言い出す始末。私は学校の備品か?

   国籍別に見て、ダントツに多かったのがフランス人。この学校にはフランスの企業が英語研修のために社員をよく送り込んで来るので、一週間から一ヶ月のスパンで、入れ替わり立ち代りフランス人がやって来るのです。彼らは長くても2ヶ月ほどで自分の国に去っていく事が多かったので、この流動的な状況は、私にとっていつも新鮮に感じました。

   なんせ全生徒数が少ないので、授業中はいやでも喋らなければいけない、内容の濃い授業になります。二日酔いで「ああ、今朝は頭が回らない・・・」と無口になることなど許されません。そのため、よく話に聞く「生徒数が多すぎて(特に人を押しのけて自己主張するラテン系が多すぎて)、発言する機会がつかめない」などという状況は、ついぞ経験しませんでした(というより、私自身が人を押しのけて発言してたせいもあるけど・・・)。英語を勉強しに来てるんだから、しゃべってなんぼ、ですよね。

   夏の天気のいい日などは、こじんまりした中庭に出て、リンゴの木陰のベンチで授業したりすることもありました。太陽がまぶしい日はダブリン中の公園は人であふれます。ソーラーパワーで充電中の電池みたいに幸せそうに芝生でゴロゴロ・・・。なんせ天気のいい日は貴重だからね、室内なんかにいられるかとばかりに殺気立って太陽浴びてます。

   この学校に通ったことのある方はご存知だと思いますが、毎週木曜日の夜には学校からも近いトラディショナルなパブ“Devitts”で飲むのが恒例でした(そう、今でもこの習慣は続いてるんです)。木曜日の夜、このパブの2階ではアイリッシュ・ミュージックが聞けます。時々、客が飛び入りし、ミュージシャンの演奏をバックに自慢ののどを聞かせることも。確かに雰囲気のいいパブだと思うし、そこの常連ミュージシャンも素晴らしいと思うのですが、困ったことがひとつ。

誰かが歌ってる時、おしゃべりすると怒られる。

   ミュージシャン達がみんなでちゃんかちゃんか演奏している時は別に問題はないのですが、誰かがシャーン・ノスでしんみりと歌い始めた時(シャーン・ノスとはアイルランド音楽独特の無伴奏の歌唱法。いわゆるアカペラ)、こちらで何やら盛り上がっておしゃべりしていると、すかさず他の客たちから

 「しーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

という矢のような叱責が飛びます。で、我々はなんだか政府の転覆を狙う謀反グループみたいに頭を突き合わせてこそこそと話すか、諦めて歌を聴くことに・・・。

   そりゃね、歌が素晴らしかったら、自然におしゃべりは止めて耳を傾けます。誰かが歌っている時は、暗黙の了解でおしゃべりをやめるのがマナー、というのも承知してます。でもこっちだってリラックスしてみんなとおしゃべりを楽しみたいしさ、話題が盛り上がればさ、ほんの少しはさ、声も大きくなるでしょ。でもテンプル・バーのパブの中でみたいに大声で大騒ぎしてるわけじゃないしさ、そんな四方八方から「しー!しー!」って言って犬みたいな気分にさせなくたって・・・。この音楽に対する超マジな態度が怖いよ~。実際、このパブに初めて来たというダブリンっ子の先生は、「え、なに、このパブ?いつもあんな言い方されちゃうの?」とムッとしてました。このパブも嫌いじゃないけどー、もうちょっと賑やかなパブに鞍替えすればいいのに~・・・と思うこともありました。このパブの後でハシゴすることが多かったのが、通りを挟んだ向かいのパブ“Flannerys”。ここはここで夜になるとDJが入ったりする音楽ガンガンな店なので、逆におしゃべりが不可能。両極端過ぎだっつーの。

   ちなみにDublin Language Instituteのサイトをリンクしておきます。
Dublin Language InstituteのHP(英語)
 
(注:少人数とか日本人がいないとか色々と書きましたが、それに惹かれてこの学校に興味をもたれた方、まずは自分自身で学校側に確認して見てくださいね。特に日本で学校の手続きを終えてから出発するあなた、英語学校の生徒数というのは常に流動的です。留学関係のサイトにもよく書かれてますが、「この学校は日本人が少ない!」という内容を読んだ途端、そこに日本人が殺到し、実際行ってみたら周りは日本人だらけ、ということがよく起こるらしいので。カリキュラムなどに関しても、自分が何を望んでいるのかをしっかり把握し、現地で後悔しないためにも、事前調査は怠らないべきだと思います。だから、行ってみたら日本人ばっかりだったぞ、おい!なんて私に怒らないでね・・・)

「英語再考」

   むかーしむかし、あれはロサンゼルスでのことじゃった・・・。

   そこは私にとって初めての海外、その当時、英語はへっぽこ、心は錦。私がとある映画館に行き、遅れて来る現地の友人のために先に席を取っていたのです。上映時間が近づくにつれ、徐々にお客さんが増えてきました。そこへ現れたのは黒人のカップル。暗い劇場内なのになぜかサングラスをかけたままのおにいちゃんの方が、友人のため取っておいた私の隣の空いた席を見て、「Do you mind(この席、座ってもいい)?」と尋ねました。とっさに「No!」と答えてしまった私。文の構造上、日本人がよくやる間違いですが、この場合だったら、「Yes」と答えるべき。超直訳:「Do you mind~(~したらあなたは気にしますか?)」「Yes(ええ、気にします。つまり~してほしくない)」/「No(いいえ、気にしません。~しても結構です)」ってな感じです。私のように「No」と答えたら、「ええ、どうぞ。座っていいですよ」の意味になってしまいます。「ああ、どーも」と、そのカップルは当然座ろうとします。そこで自分の間違いに気付いた私がまた「Yes!」と叫ぶと、そのカップル、「おいおい、どっちなんだよ?」みたいな顔で見るので、「いやね、友達がね、来るもんだからね、えへ」と説明すると、そのおにいちゃん、

「もっと英語勉強してからアメリカに来な」

 と言い放ち、違う席へ移っていったのでした。

   想像に難くないでしょうが、やっぱり傷つきました。ショックでした。もともと英語は好きで、中学・高校でもマジメに授業を聞いていた方だと思うけど(物理だの化学だのの授業では机の陰で本読んでたし)、今思い返すと、これを契機に「他人と意思疎通をはかる手段としての英語」を改めて意識するようになった気がします。

   英語学校に通うのが初めて(日本でもアイルランドでも)の私が気がついたのは、「私って今まで勘で英語しゃべってたなぁ・・・」という事。未来形にしてもこんなにニュアンスが違うんだ!と驚いたし、分かったつもりでいた文法も、実際は何て奥が深かったんだろう・・・と素直に感心してしまいました。一時期、同じクラスだったフランス人のルノーは、ホームステイ先のママに「今夜は何食べたい?」と聞かれるたび、「I don’t care」と答えてたそうです。彼としては「何でもいいよ(I don’t mind)」と言ってるつもりだったらしいけど、「I don’t care」だと「どーだっていいよ(・・・ったくうるせーな)」的ニュアンスになってしまうので、「何を作ろうかしら」と張り切っていたママもさぞかしびっくりだったでしょう(まあ、彼女は外国の学生を多く受け入れているので、こういう間違いには慣れていると思いますが・・・)。

   こんな感じでつい知らずに使っていた勘違いな表現にもたくさん気付かされ(「I don’t care」と「I don’t mind」の違いくらいは知ってたけどさ)、目からウロコから背ビレから尾ビレからぽろぽろと落ちまくりでした。このあたりから私がどんどん英語にのめりこみ、今まで意識していなかったその言語学的複雑さと面白さに、わき目も振らないガリ勉君になっていくのでした。以前は「他の言語に比べて、英語って割と単純」なんて考えていた自分は一体何だったのか!家で宿題やら予習やら復習やらしていると、ふと気がついたら7時間くらい机にかじりついていて、自分でもギョッとすることがありました。

   語学って英語に限らず、初級レベルから中級レベルまでの進歩が早いんですよね。自分がどんどん上達していくのが分かるから、勉強してても楽しいし、その進歩に励まされ、更に勉強に勤しんでしまう。でもupper intermediateからadvanced levelまで行くのが大変。その微妙な境界線をなかなか超えられず、頭の上に広がる壁を「もう少しなのに・・・。ん~~・・・ん~~・・・」と頭でぶち破ろうともがいてる感じ。イライラしちゃいます。また、学校に通い始めた頃、私にとってまず厄介だったのが、所有代名詞とか目的代名詞とか不定詞とか、ごくごく基本的な文法の名前を英語で覚えなくちゃいけなかったこと。複雑な文章構造自体は理解できるのに、「さて、“This book is hers.”のこの“hers”は何でしょう?」なんてバカみたいな質問されても、当時の私は英語で答えられませんでした(この文はあくまで例えですよ、例え)。なぜならpossessive pronoun(所有格代名詞)という英単語を知らないから。英語で授業を受けるんだから英語で文法の名前を知っとかなくちゃいけないのは当たり前なのに、そこでまずつまずくとは、まったく私もマヌケです。

   言語とは思考そのもの、何百、何千という単語や表現を駆使して細かいニュアンスまで伝えるって何て大変、外国語を習得するって何て神業・・・と溜め息が出ます。そりゃね、何千も単語や表現を覚えなくたって、会話はできます。アイリッシュだって英語を完璧に使っているとは思えないしさ。わが国でだって、日本語力の低下がよく問題視されてますよね?でもいくら低下したって、考えるのと同じスピードで言いたい事を表現できて、手を変え品を変え、相手に伝えることができるのが母国語。そう、少なくとも私にとって大事なのは瞬発力。日本語で考えてから話すのではなく、一挙に英語で考えてそれを外に出す!いわゆる「英語モード」にいつも自分を保ってないといけません。それが嵩じると、気がつかないうちに一人でぶつぶつ英語で思考していたり、夢も英語で見るようになってきます(英語の夢を見ていた時、とある単語が思い出せなくて目が覚め、完璧主義の乙女座ゆえか夜中にごそごそ起きて辞書で調べたりすることもあった)。

   ラテン系は考える前にしゃべるとよく言われてますが(「だからさ、あー、えーと、ほら、アレ、アレだよ。あ~、う~、ぎゃははは」・・・ちっとは考えてから口ひらけよ、と突っ込みたくなる時多数)、彼らが素晴らしいなと思うのは、その内容うんぬんよりもいつもいつも口を動かしているので、ちょっと聞きには流暢に聞こえてカッコいい点(実際の文法はめちゃくちゃとはいえ)。頭の中でいくら完璧な文章が出来上がってても、実際口に出してみないと、いざって時に口が回らないんですよね。彼らは脳でより口の筋肉で覚えてる気がする(決して脳みそ使ってないって意味じゃないですよ)。早口言葉と同じで、何回も唱えてるうちに、勝手に口がペラペラ回るのと同じ原理なのでしょう。会話って反射神経が必要だし、打ったら響く的会話をしたいなら、脳より口の筋肉を鍛えるべきかも知れません。

   とは言うものの、何が腹が立つってあのPhrasal Verb(句動詞)の多さ!動詞+前置詞の組み合わせでできるアレです。前置詞単独の表現だけでもゴマンとあるってーのに、break upだの break downだの get inだの get in onだのmake outだのmake up toだの・・・・、きぃぃぃーーーー!!!!思わず頭をガシガシかきむしってハゲになりそうなくらい死ぬほどありますが、このPhrasal Verbは日常英会話において最・最・最重要表現なので、とにかく使用頻度の多いものを片っ端から覚えるしかありません。まさに

 「禅の境地」

   たかがちっぽけな前置詞一つで意味が大幅に変わることにイラつかず、「天下泰平」みたいな顔で地味に覚えるしかないんですよね。Phrasal Verbsを制する者、日常会話を制す・・・。これが使えないと自然な話し方にならないし、ネイティブは容赦なしに使ってくるし・・・。

   新しい単語をひとつづつ覚えるのももちろん大事だけれど、その単語をいくつもの違う表現で説明できる能力のほうがよっぽど役に立つし、長い目で見て重要なんじゃないかなと思います。極端だけど、別に「dermatologist(皮膚科医)」なんて単語を知らなくたって、「皮膚の(skin)お医者さん(doctor)」で済むじゃん、と言うことです。そりゃ一言、「Dermatologist!」って言えればそれはそれで素晴らしいんだけどさ。

   私にとって、英語を学ぶ上での座右の銘は「フレキシブルであれ」。言葉って結局、単なる意思疎通の道具です。と、同時に他人と心の深い部分まで分かち合えるとんでもなく崇高で美しい道具。重箱の隅を突付くみたいに細かいことばかりに気を取られてはいけないし、同時にちっぽけな前置詞一つもないがしろにできません。私が英語に限らず外国語を話す事が好きなのは、日本語独自の文法的発音的慣用句的表現的歴史的しがらみから離れて自由になれるから。文の構造が違う故に、思考の構造も変えることに快感を覚えるから。語学習得法はそこにいる人の数だけあるってよく言いますけど、確かにそうですよね。空気を吸うみたいに、耳で聞いたことをどんどん吸収するタイプもいるし、テキストでじっくりゆっくり学ぶタイプもいる。楽しく学ぶことを第一にする人もいるし、苦行みたいに参考書に囲まれて学ぶ人もいる。NOVAに通うも良し、外国で学ぶも良し。こう言っちゃうと身も蓋もないけど、自分に適した方法を見つけるしかないんですよね。

   しかし、そんなこんなで英語漬けの毎日、上達の遅さにイライラするあまり、英語的ひきこもりが徐々に始まっていたのです・・・。ちゃららっちゃららっちゃ~ら~~~~ん!(←火サステーマ曲)

Vol.5 「学生ビザを取ろう!」

2006年08月09日 01時55分15秒 | ダブリン生活
「学生ビザ獲得顛末記」

   空港での拉致事件(?)の後、2週間以内に英語学校を決定し、その手続きを完了させなくてはならなくなった私(Vol.4参照)。

   するべき事。
 ①英語学校をさっさと決め、授業料を払い、学生ビザ申請時に必要なレターを作成してもらう。
 ②銀行の残高証明書を手に入れる。
 ③パスポートと上記の書類を持って、ダブリンの入国管理局・GNIB (Garda National Immigration Bureau)で学生ビザの申請をする。

   ①に関しては、アイルランドに観光で入国して、ちと英語でも勉強するべかなと、3ヶ月未満のコースを受講するのなら、学生ビザの申請はしなくたって大丈夫(アイルランドに入ってから出るまでが3ヶ月未満ってこと)。英語学校で授業料さえ払えば、面倒な手続きをせずともとっとと授業をスタートすることができます。が、3ヶ月以上学校に通うつもりの私は、当然ビザが必要。

   ②は学校に通うその期間、充分暮らしていけるだけのお金があるかどうか証明するためのもの。アイルランドの銀行に口座を持っていれば、そこで発行してもらえば済むけど、私はそんなもの開設していないので、日本の銀行にお願いして、英文(もちろんユーロ表示の)の証明書を作ってもらわなければいけません。

   ③に関して。3ヶ月以上アイルランドに滞在する人は、学校に通っても通わなくても警察で外国人登録をしなければなりません。GNIBでは学生ビザ申請時に外国人登録が同時にできます。学生ビザ申請に関しては下記のサイトを参照してみてください。
アイルランド司法省のHP(PDF版・英語)
アイルランド留学クラブ(日本語)

   ということで、英語学校を何ヶ所か回った結果、街の中心地からも近いDublin Language Instituteに決定。そこで25週間分の授業料を納めた後、GNIBに提出するレターをもらいます。そして、日本にいる母親にお願いして、銀行で英文の残高証明書を作成し、それを郵送してもらいました。

   散々時間がかかった末(何で銀行ってああ融通が利かないのか・・・)、ようやく届いた証明書と学校のレター、パスポートを持って、いざGNIB へ!そしてここでも頼りになるのはA子。7年の滞在暦でビザの更新等に関しては百戦錬磨の彼女は、拉致事件のトラウマのせいで申請に対してナーバスになっている私を見て、同行してくれることになったのです。

   ダブリンのイミグレ、GNIBは、街のど真ん中を流れるリフィ川沿いのバー・キィ(Burgh Quay)にあります。殺風景な灰色の建物。まず、ドアを開けましょう(当たり前だ)。そして受付を過ぎ、入り口脇の機械でチケットを忘れずに取ります。右手に進み、ビザ申請窓口の待合エリアへ。午後3時頃に訪れた我々が見たものは、待ち疲れ顔の人・人・人・・・!きゃー!どんだけ待つことになるんだろ・・・とげんなりしつつ、ソファで順番が来るのをおとなしく待ちましょう。焦っても余計疲れるだけです。

   周りはアフリカ系(たいがい家族で来ている)、アジア系(ダントツで中国人多し)、中東系(男はみんなヒゲを生やしている)、アメリカ人やEU以外の東ヨーロッパ系(この手はあんまり見かけない)など多種多様。ソファと窓口の間のあいたスペースでは、子供達が一団となって駆け回り、泣き叫び、転げまわっている阿鼻叫喚の図が展開されております。おーい、そこの親!このガキどもを注意しろ!おのれの子供だろうが!と思うのですが、すでに何時間も待っているであろう親たちは、おざなりに「騒いじゃダメよ~・・・」と言うだけ。犬でさえ、叱る時は本気で叱らないと、しちゃいけない事を学ばないというのに・・・。

   スタッフが応対する窓口は全部で15番まであります。が、稼動しているのはせいぜい4、5つ。時間帯によっては2つぐらいしか稼動してない時もあります。使う気ないなら15番まで窓口を作るな!と言いたいとこですが、無駄なのでその文句は飲み込みます。待っている人数に対して、あまりにも対応しているスタッフが少ないので、ブースの中央あたりに設置された番号を表示する電光掲示板も、「ピンポ~ン(311番)・・・・・・・・・・・・・・・・・、ピンポ~ン(312番)・・・・・・・・・・・・・・」と、まったくやる気なさげ。江戸っ子の血が「もっとテキパキとやらんかい、わりゃあ!」と凶暴になりますが、これまた無駄なので飲み込みます。

   その長い待ち時間、A子は私の緊張をほぐそうと、「あの5番ブースのお兄ちゃんは絶対ゲイだ。あの歩き方と背筋の伸ばし方で分かる」とか「あのぴちっとしたTシャツを見よ。賭けてもいいけど、彼は乳首ピアスしている」とか「クリスマス前のイミグレに来たら、スタッフがトナカイの被り物をして対応していた。トナカイに真面目なこと質問されるのは切なかった」など、かなりどうでもいい情報を教えてくれるのでした。

    実際、対応しているスタッフには突っ込みがキツいタイプと、どうでもいいや~・・・タイプに分類されるように見えます。突っ込みがきつそうな窓口では、「何で申請が下りんのじゃ、われぇぇぇ!何が問題だっちゅうんじゃあああ!!」と喚き声が聞こえ、エキサイティングなドラマが展開している模様。ああ、どうかあの窓口には当たりませんように・・・。

   また、A子は「余計なことは言うな。聞かれたことだけ、簡潔に答えろ」とか「口が裂けてもアイルランドで働いてみたいとか口にするな。言いそうになったら口を裂け」とか「7番の窓口に当たるよう祈れ。私が見たところ、あのスタッフはやる気がないから、すぐビザくれる」とか、耳打ちしてくるので、ますますキンチョー・・・。

   その後、何度もここに来るにつれ、「なんか窓口によって当たり外れがあるのよね・・・」という感想を持つことになります。これは相手が親切だとか意地悪だとか、そういうレベルの話ではありません。必要な書類や手続きの仕方なども相手によって言うことが違う、という意味で。

   これは私が経験したことですが、違う英語学校に行くため、現時点の学生ビザが切れる前に、ビザの再申請をしに行きました。それ以前にもイミグレを訪れ、そのために必要な書類は何かなどを聞きに行った時には、「残高証書と新しい学校のレターを持って来い」と言われていたのです。普通、英語学校を変える時、申請時には前の学校の「Attendance Record」というものが必要になります。これは学校側が作成する出席率を記した書類のこと(ちなみに出席率が悪いと、申請は却下される)。私が「本当にそれだけでいいの?他には何の書類もいらないの?」と念を押すと、「それだけでいい」とのこと。「ホントかなぁ、Attendance Recordいるだろう、普通・・・」と思いつつ、後日、申請のため訪れた窓口には、前回のテキトーそうな若い男とは違う神経質そうな女性。持参した書類を見た後、予想通り「Attendance Record持って来て」と言いました。

   既にこういう展開に慣れていた私は、「だって、残高証明書とレターだけでいいって言われたもん」などとは言わず、おとなしくその場を引き下がり、そのままゆっくりとランチを楽しみ、その後はショッピングしたりブラブラした後、夕方に再びイミグレに戻ります。窓口のスタッフが総入れ替えになってるのを確認後、再度、窓口で最初と同じ書類を見せると、あら不思議、あっという間にビザが取れました。これが「相手によって対応が違う」好例です。何度経験しても、この「いい人に当たればラッキー。ダメなら残念でした♪」式の対応はまったく不条理だと思うのですが、逆に言えばこのように抜け道として活用できるということ。まったく困ったものです(お前が言うなよ)。ですが、これも運が良かったからできたこと。運に任せる前に、キチンとした準備で申請に臨みましょうね(だから、お前が言うなっつーの)。

   私はビザを申請する時、その前にマメにイミグレに顔を出します。「行かなくても必要なものは知ってるもん」という場合でもです。つまんない用事でもいいから「これってどうすればいいの?」とか「こういう場合は?」などと、窓口で熱心な振りして質問しときます。イミグレに行けば、それはあちらの記録に残ります。これはビザが切れる前にどうにかしようと努力していた態度を見せつけることにもなり、難しい申請時にも有利に働いてくれたりします。「私って法律を尊ぶマジメな人間なのよ!法に触れることするなんてとんでもない!」という証拠にもなってくれるのです。

   とまあ、永遠とも思えた待ち時間でしたが、自分の番が近づくにつれ、またしてもドキドキしてきた私。その後、度重なるイミグレ詣でですっかり面の皮が厚くなった今から考えると、私ったら何て初々しかったのかしらと感慨に耽ってしまう今日この頃・・・。

   ついにやってきた私の番。私よりかなり年下そうな女性スタッフと私を仕切るのは、刑務所の面会室のようなガラス窓。あちら側とこちら側を繋ぐのは、銀行の窓口にあるお金をやり取りするような穴だけなので、相手の言ってることが聞き取りにくいこと、この上ない。なので、やたら声を張り上げなくちゃいけない始末。

    そのスタッフは私のパスポートをPCに読み込ませ、画面をじ~っと見つめています。やだなぁ、空港での出来事はすべて記録されてるんだろうなあ・・・と顔は冷静、心ビクビクの私。が、そのスタッフは「外国人登録カード作るから、あなたの横にあるそのカメラを見て」と言うと、手元のPCを操作し、「未来世紀ブラジル」に出てくるようなレンズがぐりぐり動く、目玉みたいなカメラで私を撮ると、「1番のブースで名前呼ばれるからあっちで待ってて。そこでパスポートとカードを渡すから」と言って、さっさと席を立ち、奥へ消えてしまいました。

   空港での事件を突っ込まれるかと身を硬くしていた私は、拍子抜け。ほどなく私の名前が怪しい発音でアナウンスされ、無事に登録カードとパスポートをゲット!やったぁぁぁ!政府のお墨付きでこの国にいれる!すっかり有頂天になった私とA子が共にきゃほきゃほ言いながらイミグレを出たのは、入ってから3時間後のことでした・・・。

「このビザを保有する者、いかなる労働も禁止!?」

   浮かれまくった私とA子はカフェで一息入れることに。が、パスポートに押された学生ビザのスタンプを改めて眺めて見ると、なんか不可解な文章が・・・・・。

「“このビザを所有するものはいかなる労働も禁止する”」?

   えええええ、だってだってだって、政府認定校で25週間以上、フルタイム(週15時間以上)で勉強する人間には週20時間以内のアルバイトが許可されるはずじゃないの!?だから、この英語学校で25週間のコースを取ったというのに・・・。A子いわく、「あ、このスタンプ、就労に関して私のと内容が違う・・・」とのこと。

   イミグレに行く前、Webサイトで調べたところでは、それまで15週間以上のコースの受講者のみに与えられたバイトOK付きビザは、2005年4月18日より「就労許可付きの学生ビザは、政府認定校で25週間以上のフルタイム・コースを受講する者にのみ与えられる」に改定されたはず。学校でレターを作ってもらう際にも、「アルバイトはするの?」と聞かれ、「ええ、したいです」と答えたし。

   A子はすぐにイミグレに戻って、この件を問い正したほうがいい、と勧めるのですが、色々な疑心暗鬼に捕らえられた私。やっぱり空港での事件が影響してるんじゃ・・・?そういえばあの時、何だか「緋文字」みたいに、パスポートの最終ページに変な番号を書きつけられたし。この番号って「こいつは怪しい」って意味があるのでは?いくら条件を満たしても、疑いのある人間にはバイト許可はくれないんだ、きっと・・・。これでバイトできないのは変だ変だ!と騒いだら、「お前はやっぱり授業より就労目的で学校に通うつもりだろ!」と言われてしまいそうだし・・・と、考え込んだ私。あの事件は自分の考えている以上に、私に深いトラウマを残したようです。

   その後、しばらく悩みましたが、やはり政府に楯突くことを恐れた私。確かにイミグレで異議申し立てをするべきだったのかもしれませんが、空港で不法就労を疑われたという後ろ暗い過去がある分、堂々とそれができない自分が・・・。幸い、アルバイトをしなくても暮らしていけるだけの貯金はあります。だったら、私が考えていたプランが大幅に変更されてしまったけれど、下手なことをしてアイルランドに正当に居れるチャンスを吹き飛ばすよりも、その分、思いっきり英語を勉強してやれ、と最終的には決心したのでした。

   ということで皆さん、後ろ暗い過去がなく勉強しながらアルバイトをしたいなら、事前調査をしっかり行い(ビザに関する法律は突然変わることが多々、あるので)、学校側、イミグレ側共に、しっかり確認を行いましょう・・・、というお話でした、マル(なんつーオチ・・・)。

「よろずやブログ①:モロッコでゲリ子」

2006年08月02日 22時43分19秒 | よろずやブログ
「はじめに」

   さて、突然始まりました「よろずやブログ」。これは私がふと「書きたいな」と思ったよろずの事々を紹介していく番外編のページです。話題は多岐に渡る予定ですが、アイルランドとは全く関係ない時もございます。「今はこの事、書きたい気分なのよねん」と、ただただ勢いで書いたものが多くなると思いますが、「アイルランドの話以外、興味ねーよ」という方は、どうかご容赦を・・・。

「ダイアナ事件inモロッコ」

   1997年8月のあの悲劇の日。私はモロッコのとあるホテルのベッドの上におりました・・・。

   スペインの最南端に位置する町、アルヘシラスからフェリーでモロッコに入った私。セウタからウザンヌ、フェズ、メクネスなどの町でだらだらと滞在した後、マラケシュに向かいました。私はここからあの雄大なサハラ砂漠に向かうつもりだったのですが・・・。

   基本的に私はイスラム教の国が好きです。全く違う文化、視覚的な驚き、そして人々。しかし困るのが彼らのたくましい(過ぎる)商魂。モロッコに行かれた方はほぼ全員、そうだと思うのですが、街で声を掛けられ、「面白い所に連れて行く」と言われたら、まずそこは絨毯屋です(もちろん実際に面白い所に連れて行ってくれることもあるけれど)。私もセウタという北端の街で、おぢさんに声を掛けられ、色々な場所に連れて行ってくれた後、辿り着いたのは絨毯屋。そこの主人とのバトルを以下に再現。

 絨毯屋主人:「君はどの絨毯がいい?(壁に沿ってずら~~っと巻いて並べられた絨毯を指し示しながら) これなんかいいんじゃないかな」
 私:「キレイですねぇ。でも私にはとても買えませんね」
 主人:「大丈夫。クレジットカードも取り扱ってるし、日本へ送ることもできるんだから」
 私:「申し訳ないけど、こんなでかい絨毯、私の部屋に入りませんよ」
 主人:「それじゃ、小さいタイプの絨毯もあるよ。ほら。ほら。ほら・・・(私の前にどんどん並べていく)」
 私:「もちろんキレイだなとは思うんだけど、買う気は全くないんです」
 主人:「どうして?この絨毯は僕らの文化の一部なんだ。僕らの文化が嫌いなの?僕は日本文化が大好きなのに」
 私:「(そう来たか・・・)嫌いだったらモロッコに来ませんよ。ただ私がどこの国の絨毯にも興味がないだけで」
 主人:「これは一生モノだよ。すごく丈夫だし、君が気に入らなかったら、子供の代、孫の代まで引き継ぐことができる」
 私:「日本の畳って知ってます?私の家、畳張りなんですよ。だから絨毯いらないの(ウソ。ほんとはフローリング)」
 主人:「その上に敷けばいいじゃないか」
 私:「(何でやねん)畳の上に絨毯敷いたら、畳の意味がなくなっちゃいますよ」
 主人:「そんなに嫌がるってことは、僕らの文化が嫌いだって事だね・・・」
 私:「だからそうじゃないって言ってるでしょ」
 主人:「好きだったら買ってるはずだよ」 
 私:「じゃあ、あんたは日本に来たら真っ先に畳を買うのか!?畳は日本文化そのものなの。それを買わなかったら、あんたは日本文化を否定したことになるのよ!」

   ・・・・以上、不毛な会話の一部でした。

   古都メクネスを夕方6時に出発したバスは、一路マラケシュへ。車中一泊になるので、メクネスのスーク(市場)で食料を買い出しておきました。ミネラル・ウォーター、日持ちしそうなパン、チョコレート、小さなリンゴをいくつか。これで準備万端。途中でお腹がすいても大丈夫♪

   当時、世界各地を放浪中だった私は、モロッコにいた時点で、日本を出て既に半年ほど経っていました。その間、様々なものを食べました。というか、様々な衛生状態のものを食べました。ハエがたかったご飯(タイでの出来事。ご飯の鉢にかかっていた布巾を屋台のおばちゃんが取ると、中には黒い物体が。おばちゃんが手を振ると、何かが一斉に飛び立ちました。現れたのは白いご飯、黒いモノはハエでした)、腐りかけた果物、どう考えても「不思議だな」という匂いがするサンドイッチなどいろいろ・・・。

   もともと胃腸が強い私は、これらのような物を食べてもぜーんぜん平気(腐ったモノ慣れしているという訳では決してない)。病気することもなく、ケロッとした顔でケロケロと旅を続けておりました。ところがメクネスの市場で買ったリンゴ。小さなかわいいリンゴちゃん。色は多少悪かったけど、特に気にせず何個か購入したのです。

   深夜のバスの中、やっぱり眠いので、それほど食欲は起きません。ただ一度、のどが渇いたのでサッパリしたものを、と思い、この小さなリンゴを1個、食べただけでした。「う~む、何だか違う方向性の酸味があるな・・・」とは思ったのですが、ま、いいかと1個完食したのが運の尽き・・・。

   それから間もなく。お腹の調子がど~~~~も、おかしい・・・。何だろ何だろ、と思ううちに、強烈な激痛が・・・。胃の中はまるで魔女たちが作る不気味な鍋の中身のよう。

   うおおおぉぉぉう!なんじゃい、こりゃぁぁぁああ!

   ジーパン刑事もビックリするぐらいの激痛です。

   その後、どこかの町の明かりが見えるたびに、「あ、あそこがマラケシュ!?」(通過)「じゃ、あそこ!?」(通過)「今度こそマラケシュに決まってるわ!」(無情に通過・・・)

   マラケシュに着いたのは、それから3時間後。まだ夜も明けていない早朝でした。とにかく早くバスを降りて、バスターミナルのオフィスかなんかで、近所の宿を探してもらおう!そして正露丸を飲み、ベッドに飛び込もう、と考え、バスからよろよろと降りた私は周りを見回し、愕然。

   ・・・・どっこも開いてない。

   いや、正確には小さなカフェが一軒、開いてはいたのですが、蛾でさえ見過ごしてしまいそうなほどちっぽけな明かりを一つ灯してるのみ。カフェのおやぢも客らしきおっさんたちとテーブルでだべっていました。今までのモロッコ経験から彼らにホテルの場所を聞いたら最後、全員が全員、別の事を言い出して収拾つかなくなるに決まってます。

   引いては寄せる無慈悲な波のような激痛に、そのまましゃがみこみそうになる自分を叱咤し、ターミナルに止まっていたタクシーのドアを開け、中に転がり込みました(今から考えると英語を話す運ちゃんを、一発で捕まえられたのはラッキーだった)。「どこでもいいから、すぐ近くの宿に連れてって!今すぐ!」と叫んだ私に、その運ちゃんは「どんなホテル?安いところがいいんだろ?」と聞くので、「安くなくても構わん!いくら掛かってもいいから早く連れてけ!」と心で叫びつつ、激痛にのた打ち回りながらも、

  「うん、安いほうがいいな」

  と告げたのでした(貧乏旅行者の切なさよ・・・)。

   私の尋常じゃない状態に多少焦ったらしい運ちゃん、「すぐ近くに安い宿がある」と、ターミナルから近い宿の前まで車を走らせ、私を残してそのホテルの中へダッシュしました。そして戻ってきた運ちゃんはすまなそうに、「満室だって・・・」。私が「じゃ、次!次に行け!」とわめくと、運ちゃんは次の宿へ再び猛ダッシュで車を走らせるのでした。

   2軒目にも断られた私が、「ぬぅおおおおおおお!」と叫んでいると、運ちゃんが「じゃ、市内の高級ホテルでいいか?あそこならでかいから満室って事もないだろう」と提案。今すぐにでもベッドに倒れこめるのなら(その前にトイレに3時間こもれるのなら)、もうマラケシュでお金が尽きても構わん、という気持ちになっておりました。

   ようやく辿り着いたのは、とんでもなくゴージャスなホテル。と言っても、到着時は外観など目に入りませんでしたが。心配した運ちゃんがフロントまで着いてきてくれ、いかにも高級ホテルのフロント然とした男性と何事が交渉しています。そして「一泊250ディラハム(当時で3200円ほど)だって。それでいい?」と聞くので、「いい、いい!トイレ付きの部屋ならいくらでもいい!」とまた心で叫び、運ちゃんにその状況で出来る限りの礼とチップをはずみ、チェックインしたのでした。

   部屋に飛び込んだ私は、既に昇っていた太陽の光に満ちた、ゴージャスな部屋の様子を無視し、真っ先にトイレへ。(日本から持参した正露丸を飲んだ後、)ベッドに倒れこんだのはその1時間後でした・・・。

   下痢と嘔吐で一睡もできずに、昼が過ぎ、夕方が過ぎました。メクネスの腐った小さなリンゴは、正露丸なんぞモノともしません。

   おおおい、大幸薬品~~!モロッコ仕様じゃないのか、正露丸は~~!

   胃の中にはこれ以上出るものなどない筈なのに、下痢と嘔吐はやみません。もうお尻が痛いよう・・・(すいません、おゲヒンで・・・)としくしく泣いていましたが、ついに正露丸に見切りをつけ、フロントに内線電話をしました。

 私:「あの~~~、滞在をもう一泊のばしたいんですが。あと、とってもとってもゲリゲリしてるんです、私。そういうのに効く薬をどうか頂けないでしょうか・・・?」
 フロント氏:「ちょっと待ってなさい、すぐに薬持っていくから」
と頼もしいお返事。

   待つこと数分、ノックの音が聞こえたので、気分は匍匐前進でドアへ向かい開けてみると、立っていたのは初老のおじちゃん。「これを今すぐ飲みなさい。あとでまた持ってきてあげるから」とのこと。

   その正体不明の丸薬を飲んだ後、痛みをこらえながらもベッドで熟睡。数時間後、目を覚ますと、あら不思議、かなり嘔吐感が収まっています。立ち上がってみると体がふわっと軽い感じ。あんだけ出せば軽くもなります。腸とかまで吐いてないよなぁ、と思いつつ、脱水症状にならないよう、ひたすら水を飲みました(もちろんミネラルウォーター。二度とあんな目はゴメンだから)。

   ふらつきながらも歩けそうな感じなので、外に出て何か食べることにしました(食欲なんかまるでなかったけど)。バスターミナルからこのホテルまでの間、ほとんど痛みで茫洋としていた私は、ここが街のどこなのかさっぱり分かりません。とにかく暗い通りを歩き、人の多そうな方角へ歩いていくと、どこかの広場へ辿り着きました。後で分かったことですが、その活気に満ちた空間は、有名なジャマ・エル・フナ広場。広い敷地にテントが立ち並び、食べ物や衣類など様々な物が売られています。

   妙によろよろした日本の小娘は注目の的。他の中東の国々でもそうでしたが、アジア人女性が一人で歩いてると、無闇に目を引いてしまうのです。健康な時はこの視線攻撃、かなり疲れるものですが、今はそんな視線など気にしてる余裕はありません。「何でもいい、何か食わなければ・・・」と歩きつつ、広場の奥におっさんたちが集まった屋台があったので、そこの椅子に座りました。

   屋台のおじちゃんはまったく英語を解さなかったのですが、助かったことに目の前に並んだ鍋の中で何やらぐつぐつ煮えている物が見えるので、適当に指を指すと、おじちゃんはクスクス(引き割り小麦を蒸したもの)を盛った皿の上にその得体の知れない鍋の中身を掛け、私の前に置いてくれました。

   正直言って味は覚えてません。いくら払ったのかも覚えてないんだよなぁ。まずくなかったと思うんだけど、下痢発症後、初めて食べた固形物にムカツキ感を覚え、でも力をつけるために食べなくちゃ、と出来る限り胃に送り込みました。これは私の状態のせいであって、決してその料理がまずい、ということではなかったと思います。実際食べた時、何か懐かしい味だな、と思ったのは覚えてるし。

   またホテルに戻った私がベッドに寝ていると、薬を持って来てくれたおじちゃんが再度現れ、同じ薬を置いていってくれたのです。親切なホテルだなぁ~、ここは・・・。

「ダイアナがどーしたの?」

   翌日、すっかりこのホテルが気に入り、また、まだ調子が悪かった私は、滞在をもう一泊延長。今、考えると下痢で半死状態になったのが、モロッコで良かった。パリとかロンドンでこんな目にあって、同じような高級ホテルに泊まったりなんかしたら、あっという間にお財布空っぽです。部屋の様子が目に入るようになった私は今更ながらカンゲキ。こんな豪華な部屋は、一度も泊まったことありません。それなのに、一泊3000円かそこら!やすっ!それに一日のほとんどを費やしているトイレも広々としてキレイなこと!安さにつられてユースホステルなんか泊まろうもんなら、共同トイレを半日近く占拠している私に、宿泊者全員から大クレームが来ていたことでしょう。そして、ふとクローゼットの大きな鏡に全身を映してみて、ビックリ。

   私ったら激ヤセ!!

   たった2,3日で何だか小顔になっちゃったし、首もほっそり。足なんかめちゃほそっ(決して今までおデブだった訳じゃありませんが・・・)!

   胃が気持ち悪いよ~、でもちょっとスレンダーになっちゃった~♪と痛ウキウキしながら、ベッドに寝転がりつつテレビでニュース(フランス語放送)を見るとはなしに見ていると、やたらダイアナ妃の写真が画面に踊っています。そして、どこかのトンネル入り口の写真。そしてどシリアスな顔と口調のアナウンサー。どうやら同じニュースを何度も報じているらしいのです。ダイアナ妃がどーかしたの?そして、チャンネルをBBCの英語放送に切り替え、びっくり。

   ダイアナ妃が事故死。

   このニュースはもちろん皆さんご存知だと思いますので、ここでは繰り返しませんが、ただ、モロッコのマラケシュのホテルの一室で、下痢と嘔吐に煩悶しながらダイアナ事故死のニュースを知ったあの日、人生って何だか不思議なものだな、と思ったのでした。

   日本ではこの事件、どのように報道されていたのかは知りませんが、ヨーロッパの近くにいる分、何故だかそのニュースに妙にリアリティが加味され、私は今、歴史の一部の空気を吸っているんだ、と変なことを強く思ったことを覚えています。それが何年か後、ダブリンで聞いた2005年7月のロンドンの地下鉄爆発事件、翌年2月、ダブリンの中心地で起こったイギリス人プロテスタントグループの暴動事件などの時にも感じたことでした。

   なぜあの日あの時、あの場所にいたんだろう(又は、いなかったんだろう)、と思う時ってないですか?もちろん大体が自分の選択に寄るものなのは間違いないけれど、何か奇妙な運命のうねりのようなものが、私の背中をそっと押している、と感じられることがあるのです・・・。

Vol.4 「強制送還!?(前回の続き)」

2006年07月30日 00時02分30秒 | ダブリン生活
「プチロンドン旅行」

   ある日、近く日本へ帰国予定の友人、A子が突如叫びました。「私ったら、7年もアイルランドに住んでるっていうのに、ロクに旅行もしてないじゃないの!日本に帰ったらヨーロッパ旅行するなんて、そう簡単に出来なくなっちゃう!だからヨーロッパにいるうちにヨーロッパを旅行しなくっちゃ!」。そして、彼女は私をインターネットカフェに引っ張って行き、安い航空チケットの検索を始めました。その結果、あっという間に二人でロンドンへ日帰り旅行することに・・・。展開はやっ!

   A子は高校卒業後、単身アイルランドに移り住み、こちらのカレッジで経済の勉強をしています。非常に気が合う私たちは、しょっちゅう顔を合わせては、カフェだのパブだのレストランだの映画だのとダブリンの街を二人で闊歩していました。さすがアイルランド在住暦7年、こちらで生活する上で役立つ情報満載の彼女。
 「あそこのパブはバゴット・ストリートで働くかっこいいスーツ姿の男の人が集まる(ダブリンではスーツ姿の人を見かけることが少ない。バゴット・ストリートはそのスーツ姿の人々を見ることができる、ダブリン市内でも数少ないオフィス街)」
 「ズボンのすそ上げをするならアビー・ストリートのあの店がいい。安いし早いしスタッフが親切だ」
 「そこに行くなら○○番のバスがいい。△△番だと遠回りになるルートだから」
 「こっちでは会計を頼む時、"Check, please"とは言わないで"Bill, please"と言う」
 「“Queen of tarts”のチーズケーキはダブリンで一番!」
などなど・・・。

   また、ある日、二人でお茶している時に、私が「これから英語学校に通おうかなと思ってるんだよね。どこがいいかこれからあちこち回って見るつもり」と言うと、私を引っ張って、評判のいい英語学校巡りツアーに引っ張っていってくれたりもした頼もしい友人です。

   といっても、彼女とは長い付き合いと言うわけでは全然ありません。私が前回ダブリンに来た時、共通の現地の友人を介して知り合った一人なのですが、その時はそれほど言葉を交わすこともないまま、私は間もなく日本へ帰ってしまい、連絡を取り合うこともありませんでした。そして今回、彼女を紹介してくれた現カナダ在住の友人からダブリンにいる私にメールが届き、「A子のこと覚えてる?彼女はまだダブリンにいるから、連絡してみたら?きっと喜ぶと思う」と電話番号を教えてくれたので、さっそく連絡を取ったのでした。

   その後、あっという間に仲良しになった私たちですが、A子は約2ヵ月後についに帰国することになっていました。なので時間を惜しむが如く、しょっちゅう顔を合わせては延々とくだらない話をしたり、人生について語り合ったり、彼女の友人たちを紹介してもらったりと、私にとって大事な友人になりました。だから、このロンドンもお別れ旅行的な意味合いもあったのです。

 私:「ってか何でロンドン?すぐ隣じゃん」
 A子:「日帰りできるし、航空券安いんだもん。それにロンドン行ったことないし」

   アイルランドに7年も住んでるくせに、ロンドンさえ行ってないのか、お前は!  

   私自身はロンドンへ何度か行ったことがあるのですが、でも彼女が行きたいと言うなら行きましょう、ロンドン!ロンド~~~ン!(「え~、ロンドン?」とか渋ってたくせに行くと決まるとワクワクする私なのでした)

   そんなこんなで当日は、午前9時頃の便でダブリン空港を発ち、1時間半もしないうちにロンドン到着。

   私にとって、今回のロンドン旅行が画期的だったのが、A子の希望で市内巡りバス・ツアーに参加したこと!いわゆるHop On/Hop Off式(市内の観光名所付近に設けられたバス停で、好きに乗り降りできるもの。このシティ・ツアーはもちろんダブリンにもあります)のお気楽なツアー。過去にエジプトで遺跡巡りするのにバス・ツアーを利用したことがありますが(遺跡が広い範囲のあちこちに散らばっている為、個人で移動するのはかなり困難)、それ以外一度もありません。なので、ヴィクトリア駅前の停留所でツアー・バスに乗り込んだ時、なぜだか思わず照れてしまいました。

   でも、結果として、バス・ツアーで街を回るのって意外に面白いな、と新しい発見が。今までは「ツアー」と聞いただけで、反射的に拒否反応を示していた私ですが、特に今回のような時間が限られた旅行の時は、やっぱり便利だし、だいいち楽チン!色々なトラブルと共に自分の好きなように歩き回るのは最高だけど、やっぱり楽ってのもいいわぁ~。また、バスの二階席から眺める久しぶりのロンドンは、ダブリンに比べるとなんて大都会!ダブリンも前に比べるとずいぶん外国人が増えたと思うけど、ロンドンの比ではありません。まさに世界に名だたる大都会。なんてエネルギッシュな街なんだ!それに今は五月!季節はまさに春!

   その後、バスを降りた後、観光客らしく地下鉄ピカデリー・ラインの駅から近いコベントガーデン・マーケットへ行き、怪しげなアンティークの置物や指輪などを物色したり、カフェに座って行き交う人々をぼんやり眺めたり・・・。「他のフリー・マーケットを回りたいね~」「もっと時間あったら良かったのにね~」「私、来週またロンドン来ようかな」などと言い合いつつ、夕方5時半の飛行機に乗るため、名残惜しくも空港に向かったのでした。

   楽しい思い出に耽るヒマもないほど、すぐにダブリン空港到着。その後私たちは入国審査へ。そしてこれが、心臓が縮みそうな(実際、縮んだ)事態への幕開けだったのです・・・。


「今晩の宿は刑務所!?」

   まず先に入国審査を受けたのはA子。アイルランドの学生ビザを保持している彼女は、何の問題もなくさっさと審査を終え、先に立って私を待っていました。次に私がカウンターへ近づくと、そこにいたのは、「コンニチワ」などとのたまっている、割に愛想のいい審査官。

 審査官:「(私のパスポートをペラペラめくりつつ)今日はどこから?」
 私:「ロンドンからです」
 審査官:「ここでの滞在の目的は?」
 私:「観光です」
 審査官「(パスポートをじっと見る)こっちに家族とか友人はいるの?」
 私:「(なぜか「家族」という言葉に気を取られて反射的に)いいえ、いません」
 審査官:「あの彼女は?友人じゃないの?」
 私:「あ、いや、友人です。こっちで知り合った人なんですけど(・・・何でこんな余計な事言ったんだ?)」
 審査官:「(・・・不穏な空気が漂い始める)今、どこに泊まってるの?アイルランドにはいつ着いたの?こっちにはどれ位滞在するつもり?」
 私:「今は自分でフラット借りてます。3月末に着いて、あと一ヶ月くらいは滞在するつもりです」
 審査官:「(既に彼の顔から愛想笑いが消えている)・・・君、過去にずいぶんアイルランドに来てるね」
 私:「ええ、観光で。アイルランド好きなもんですから」
 審査官:「(PCを何やらぱたぱた叩く)・・・・・・君、この国で働いてるんじゃないの?」
 私:「は?働いてませんよ。観光で来てるんだから」
 審査官:「(どこかに電話をかける)ちょっと一緒に別室へ来て」

   内心大パニック!今までずいぶんあちこちの国を旅したけれど、入国審査でひっかかったのは初めての経験。入国に関して厳しいので有名なイギリスでも、こんな目にあったことはありません。でも必死に落ち着いた態度を保とうと、「別にどうってことないわ」みたいな顔を続けてました。小さな部屋に通され、机を挟んで審査官の向かいに座らされた私。まるで映画の中の取調室での尋問シーンみたい。というか、まさに取調室での尋問そのもの。そして更に、この審査官とは別の、女性審査官が不吉な雲のように登場。何だか、すっごく冗談が通じなそうなタイプです・・・。

 審査官:「もう一度聞くけど、不法で働いてるんじゃないのか?」
 私:「働いてませんって。働く気もないですよ。これから英語強化のために学校に通うつもりでいるんですから」
 審査官:「学校の書類持ってるの?」
 私:「いいえ。どの学校にするか今検討中なので」
 審査官:「君ね、嘘つかないほうがいいよ。君を今晩、ロンドンに送り返す事も刑務所に入れる事もできるんだから」
 私:「(げげげげげっ!!)嘘なんてついてませんよ」
 審査官:「何でさっき、家族か友人はいるかって質問した時、「いない」って答えたの?」
 私:「実際にこっちに家族がいるわけじゃないし、緊張してたんでちょっと勘違いしただけです」
 審査官:「君、日本で何やってるの?」
 私:「(徐々に不安が怒りへと変貌)カメラマンです」
 審査官:「ちょっと君のカバンの中、見せてもらうよ」

   すると、脇に立って私の言うことをせせら笑うような表情で聞いていた女性審査官が(やな女!)、おもむろに医者が手術の時使うような透明なゴム手袋を取り出し、それをぴちっと手にはめました。おいおいおい、何だよ、この人何するつもり!?ドラッグか何か隠してないか、私のお尻の穴でも調べる気じゃないでしょーね!?

   カバンの中身すべてを机の上に開けられ、二人の審査官が財布、ケータイ電話、メモ帳、カメラなどを逐一チェック。ケータイのメールや発着信履歴まで覗かれ、その屈辱感に頭がぐつぐつと煮立ってくるのが分かりました。「このシーマスって人、誰?友達?」とか「このスポーツジムの電話番号は君が通ってるところ?どれくらいやってるの?」とか「このメール送ってきた人は、ダブリンで何やってる人?」とか質問を浴びせ掛けてきます。完全に頭にきた私は、おとなしくしてればいーものを、「あのね、私は違法なことなんて一つもしてないの!何聞かれても構わないけど、このまま取調べを続ける気なら、日本語の通訳呼んで来てよ。私の英語力じゃ細かい事まで説明できないし、そんなのフェアじゃない!」と怒鳴り散らすと、審査官は一言、「必要ないよ。君の言ってること100%理解できるし」。勝手に理解すんな!怒りのあまり、何言ってるんだか自分でも分かってないんだから!

   ケータイをいじくって履歴を見ていた女性審査官が、もう一人のほうにコソッと何かを伝えると、そのままケータイと共に部屋を出て行ってしまいました。まさか履歴に残っている人すべてに電話するつもりじゃないだろ~な~・・・。やめてくれぇぇ~!

   友達に迷惑が掛かるんじゃないか、本当に電話かけたら、相手は私のこと、何て答えるんだろう・・・とドキドキしていると、私のメモ帳を見ていた男のほうの審査官、突然ニヤリと笑いました。
   
 審査官:「何、これは?」

   ぎゃあああああああ!!

   彼が見せたのは、仕事の求人サイトのアドレスが羅列しているページ!!

 審査官:「・・・さっき、働く気ないって言ったよね?許可証なしで働くのは違法なんだよ?」

   わかっとるわ!んなこたぁ!そのいかにも「してやったり顔」にムッカ~~~ときた私は、「抑えて抑えて・・・」と頭の中に響く声を無視し、「ハイハイ、確かに私は仕事を探してましたよ!でも違法で働くつもりなんか全くないんです!キチンと保証人になってくれる雇い主を探してたし、でも今はもう仕事探すのをやめて、英語学校に行くつもりだったんですから。その先のページも見てくださいよ。私が書いた英語学校のリストが載ってるでしょ。とにかくね、私は法に触れることは今までもこれからも一切してないし、するつもりもないの!!」

   完全に逆ギレした短気な私は、もうロンドンにでもイルクーツクにでも送り返すなら送り返せ!刑務所だぁ!?上等じゃないの!入ってやらぁ!でもこの男に、「不法就労者みっけ♪」なんて思わせたままにしとくのは、絶対にやだ!!と、頭のてっぺんから湯気をしゅんしゅん出しながら、一人、怒り狂うのでした。

   その後も細かいことを根掘り葉掘り聞かれ、また別のおっさん審査官がやって来たり、戻ってきたビッチ審査官に「あなたの友達、先に帰したから。あなたのことをロンドンに送り返すって伝えといたわ」などと言われたりして、二時間が過ぎました。怒り狂うのにも疲れ始めた頃、取調室を出された私は、「そこのソファで待ってろ」と、空港に着いた他の客が行き来するロビーに出されました。う~む、トイレに行きたい、でも行っていいか聞くのもシャクだ・・・、いい加減に解放しろ~!とモジモジしながら待っていると、部屋から出てきた審査官が審査カウンターに座り、私を手招きしました。何だってーのよ、えらそーにさ。ふんっ・・・!

 審査官:「君に二週間あげる。その間に、日本に帰るなり、英語学校の手続きするなりしなさい」
 
   え?ええええええ!?ついに解放!?My sweet homeに帰れるぅぅぅぅ!!

   私のパスポートに二週間後の日付を書き付けている審査官に、さっきまでの怒りも忘れ、「きゃ~♪ありがとぉぉぉぉぉ!あなたって最高にステキ~!すごくフェアなお方!」と愛嬌を振りまいていると、「分かった、分かった。はよ行け」と苦笑しながら追っ払われてしまいました。

「バスの中のヴァイオリン弾き」

   空港スタッフオンリーの秘密通路みたいなところを通って、ようやく外に出された私。深い深~い溜め息が出ました・・・。とにかく安心させようとA子に連絡を入れたところ、「ああああ、良かった~~~!どうしようかと思った!!私がロンドンに誘ったせいでこんな事になっちゃって・・・。こういう状況に詳しい友達と電話で相談してたとこなの!」 いやいや、完璧に私の説明が相手に疑惑を持たせたようなものだから。とにかく、すぐにフラットに戻ってホッとしたいので、やって来たバスに乗り込みました。

   バスの二階席に腰を下ろした私は、すでに真っ暗になった外の風景をぼんやり眺めながら、今更ながらショックで心臓がドキドキしだし、体の震えが止まらなくなってしまいました。何でこんな私みたいな正直者を疑うのかしら、何で気持ちよく入国させてくれないのかしら・・・と、すっかり落ち込んで泣きたくなってくる始末(←私って変なところでナイーブ・・・)。

   本当にもう、日本に帰ろうかしら、こんなに歓迎されない国にいたってしょうがないわ・・・などとヤケになって考えていると、途中のバス停でヴァイオリンケースを持った若い男の子とその連れが、ガヤガヤ賑やかに乗り込んで来ました。二階の一番後ろの席に陣取った彼らはしばらくおしゃべりに興じていましたが、突然、そのヴァイオリン弾きが楽器を取り出し、演奏し始めたのです。それがまた素晴らしいの!私も含めて、二階席にいた乗客すべてが彼を振り返り、静かに耳を傾けていました。そして、曲が終わるごとに満場の拍手!一階席からもやんやの掛け声!

   するとそのヴァイオリン弾き、「どーもどーも。ありがとう。お~い、運転手~!聞こえるか~!?素晴らしい演奏を提供したんだから、運賃返せー。タダにしろ~!」と大声で1階の運転手に呼びかけたのです。対する運転手もマイクを使って、

   「Oh、yeah~!!」。

   乗客全員大爆笑!

   彼の演奏と運転手とのやりとりを聞いてるうちに、硬く強張っていた心がみるみる溶けていくのを、ハッキリ感じました。ああ、何て愉快な、面白い国なんだ、こんなハプニングが日常的に起こるような、チャーミングな国をどうやったら出て行ける?絶対、出て行かない。何があってもしがみついてやる!と、体の奥から純なパワーがもりもり湧いてきたのです。

   バスを降りる際、思わず後部席の彼に、「Thank you for your playing! You’re amazing!(演奏ありがとう!あんた最高!)」と声を掛けると、彼は立ち上がって一礼し、手を振ってくれました。こういうやりとりが、私は今、ダブリンにいるんだなぁ、と実感させてくれる瞬間です。すっかり気分が軽くなった私は、るんるん気分で家路に着いたのでした・・・。

   さて、これから二週間のうちに英語学校を決め、書類を揃え、入国管理局(Garda National Immigration Bureau)に出向かなくてはなりません。何が何でもダブリンに残ってやるううううう!!