「行き当たりばったり」は私だけかと不安になり、煙草休憩中にうちのスタッフに聞いてみた。
「私の人生って行き当たりばったりなんだけど、どう思う?」
・・・いやな支配人である。私の上司がもしそんなこと言ったら不安になる。しかしうちのスタッフは強かった。
「え?俺の人生もそうですよ。」
彼が高校・大学を決めた時も「行き当たりばったり」、入社をした時も「行き当たりばったり」。特にうちの会社に入ったきっかけは傑作だった。
もともと他県のとあるホテルに就職をしたいと就職説明会に行った彼は、たくさんなぜか人が集まっていたブースについ自分も並んでしまい、まんまとうちの会社に入社してしまったと言うのだ。(ホテル就職フェアみたいなものだったらしい)
それから彼はかれこれ10年以上うちのホテルで働いている。
「よかったのっ?それでっ?」
「いやー、いいんじゃないですか?」
気力抜け気味な答えを笑いながらする彼は、仕事っぷりではうちのマネージメントを支える大切なスタッフだ。モチベーションも高い。
その他もろもろ女友達にもリサーチをした私だったが、人生設計をきちんとしてそのとおりになっている者は誰一人いなかった。(私のまわりだけ?)
結局「決断」はそんなに重要なことではないのかもしれない。要は「決断」した後「どうするか」、だ。それを「後始末」と私のように自虐的な言葉で表してはいないようだが、皆さん「決断」を信じたり、受け入れたりしながらその「決断」を「ただしかった決断」に変えてゆくのだ。
「決断」をしたらそれに責任を持てばいいのだ。責任が持てないと感じたら、今度は「責任を持たないという決断」をしてそれに自分なりの責任を持てばいい。ただそれだけだ。
とは言え、それが難しいのだけどねぇ・・・