先日(3/27)訪れた熊本城のはなしの続き、
お城の中心となる建物は天守閣と本丸御殿、
ところが熊本城の場合その両方とも明治10年の西南戦争直前に焼失した。
天守閣は昭和35年に再建されたが、
本丸御殿のほうは平成10年から復元工事が行われ、
大広間を中心とする部分が「史実に忠実」に復元された。
ただし藩主の居間などは復元の対象にはなっていなかったようだ。
<大広間>
観光客は「大台所」を見たあと「大広間」へと導かれる。

この一番奥の部屋が「昭君の間」。
<昭君之間>
「王昭君」の物語を描いた障壁画が今回の目玉の一つ。

天井も美しい絵で飾られている。

この熊本城をつくったのは加藤清正、
豊臣秀吉の忠臣であった彼は、
秀吉の息子「秀頼」を迎えるためにこの部屋をつくったと言われる。
「昭君」は将軍を意味するのだという。
お城の中心となる建物は天守閣と本丸御殿、
ところが熊本城の場合その両方とも明治10年の西南戦争直前に焼失した。
天守閣は昭和35年に再建されたが、
本丸御殿のほうは平成10年から復元工事が行われ、
大広間を中心とする部分が「史実に忠実」に復元された。
ただし藩主の居間などは復元の対象にはなっていなかったようだ。
<大広間>
観光客は「大台所」を見たあと「大広間」へと導かれる。

この一番奥の部屋が「昭君の間」。
<昭君之間>
「王昭君」の物語を描いた障壁画が今回の目玉の一つ。

天井も美しい絵で飾られている。

この熊本城をつくったのは加藤清正、
豊臣秀吉の忠臣であった彼は、
秀吉の息子「秀頼」を迎えるためにこの部屋をつくったと言われる。
「昭君」は将軍を意味するのだという。
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