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カワセミRの終活ノート

カワセミRが寝たきり、痴呆になっても意志は伝えたいので書き残し(遺し)ます。KとSは、参考にしてください。

食べられなくなったら傍らに水だけを置く(引用・カワセミ共感する)

2019年10月12日 | 介護
食べられなくなったら傍らに水だけを置く
…離島の看取りから学ぶ「平穏死」
10/11(金) 12:19配信読売新聞(ヨミドクター)
石飛幸三の『人生の最期をどう迎えるか』
 私が介護施設の医療について考えるようになったのには、それなりの経緯があります。外科の医者として半世紀、体の部品修理に専念してきましたが、還暦が近づくにつれ、身体的な衰えを感じるようになりました。体を修理することにも限界があることや、有限の命に対する心構え、仏教で言えば悟りの境地について考えるようになり、高齢者の現実はどうなっているか見てみようと、特別養護老人ホームの常勤医になったのです。

 特養に来て、最初に深く考えさせてくれたのは「三宅島の看取(みと)り」の話でした。2000年の三宅島の噴火で、85歳の認知症の女性が息子さんと避難し、芦花ホームに入所されました。入所して5年が過ぎた頃、誤嚥(ごえん)を起こして病院で肺炎の治療を受けました。その入院先の医師から、すでに三宅島へ戻って働いていた息子さんに電話がありました。「お母さんはもう自分の口で食べることはできません。胃ろうをつけます」

食べられなくなったら傍らに水だけを置く…離島の看取りから学ぶ「平穏死」
「島では、食べられなくなったら水を置くだけ」
 息子さんは電話で懇願しました。「母はもう寿命です。お願いです。手術はしないでください」。1週間後、息子さんは島から船で竹芝桟橋に着き、病院からホームに戻っていたお母さんに会いました。

 お母さんは胃ろうはつけられていませんでしたが、鼻から胃に管を入れられ、水分と栄養が強制的に補給されていました。そんな母親の姿を見て、息子さんは私の前で泣きながら言いました。「島ではこんなことはしません。年寄りは食べられなくなったら、傍らに水だけを置いておきます。生きる力が残っていれば、自分で手を伸ばして水だけ飲んでも1か月は生きます」と。

 80年生きていれば4回は噴火に遭うといわれる、厳しい三宅島の自然を生きてきた人びとは、静かに自然に還(かえ)ることを学びつないできたのです。

 一方、当時の芦花ホームでは「1日1500キロカロリー」の水分と栄養をとってもらうために、介護士たちが懸命に働いていました。経鼻胃管の栄養チューブや胃ろうの人にも、決められた量の液体状の栄養が看護師によって与えられていました。高齢者の命を少しでも長く引き延ばすためです。

 しかし、私は息子さんの話を聞いて、ご家族が望まない、このような医療を行う必要がどこにあるのだろうかと疑問に思いました。
「ただ命を延ばすことが本人のためか」と家族
 さらに、もう一人の入所者のご家族との出会いがありました。アルツハイマー病の奥さんを自宅で18年間介護してきたご主人が、自転車事故で介護が続けられなくなり、奥さんを芦花ホームに預けました。ホームでは一律の「1500キロカロリー」という数字にとらわれて、「しっかり食べて」と食事を口に入れていました。これだけの水分と栄養はどうしても必要だと、延命に精を出していたのです。

 そうした様子を見て、ご主人は入所者の家族会で言いました。「本人のためになっているのでしょうか」。奥さんが誤嚥して病院に運ばれ、医者から「胃ろうをつけましょう」と言われた時、ご主人は「ただ命の時間を延ばすことが、本人のためになるのでしょうか。何もしないで逝かせるのも、愛情ではないでしょうか」と言われました。

誰も言わなかったことを言おう……「平穏死」提唱へ
 私たちは本当の使命を見失っていました。坂を下っている人に医療を押しつけて、無理にまた坂を逆戻りさせるような苦痛を強いてきたのです。

 こうした経験を通して私は、今まで誰も言わなかったことを言わなければならないと自覚しました。医療で命を引き延ばせても、その人らしく生きていけないのならば、そんな医療を受けさせるのは間違いだ、医療を差し控えることも必要だ、と。それが「平穏死」の提唱につながったのです。

 誰にも死は平等に訪れます。最期に残された時間は、その人のもの。穏やかに、自由に過ごしていただきたいと思います。


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