昨日4講終わりに立ち上がった途端、血の気がひいて頭が真っ白になっていく感じがして
何とか教室を出たものの廊下で急に気持ち悪くなって立てなくなりました。
数分の後、偶然通り掛かったゼミの先生(いや、倒れてた廊下の横の部屋で講義していたのは知ってたから必然)に
医務室,地下鉄の終点まで付き添っていただきました。感謝。
終点からは親と一緒に病院へ。
そして、またしても点滴を…
今回4回目(^_^;
周りの皆様方から心配され今日学校行くなとストップがかかりました。
タイトルはゼミの先生の日記内容にリンクさせています。
カラーソックスが何かに飲み込まれる感覚に抵抗し得る手段であるのなら、
それは個性の主張なのだろうな、と。
先生は「一丸となって」も嫌いなようだから。
組織化,細分化されごみごみした社会の中で表現の自由や個性を主張することがいかに難しいか。
それは死に近いほどで、息苦しい。
私のような似非作詩家だけじゃなく研究者もそうなんだろうな。
何かに飲み込まれそうなとき、人は孤独だ
点滴に繋がれながらそんなことを思ってました。
何とか教室を出たものの廊下で急に気持ち悪くなって立てなくなりました。
数分の後、偶然通り掛かったゼミの先生(いや、倒れてた廊下の横の部屋で講義していたのは知ってたから必然)に
医務室,地下鉄の終点まで付き添っていただきました。感謝。
終点からは親と一緒に病院へ。
そして、またしても点滴を…
今回4回目(^_^;
周りの皆様方から心配され今日学校行くなとストップがかかりました。
タイトルはゼミの先生の日記内容にリンクさせています。
カラーソックスが何かに飲み込まれる感覚に抵抗し得る手段であるのなら、
それは個性の主張なのだろうな、と。
先生は「一丸となって」も嫌いなようだから。
組織化,細分化されごみごみした社会の中で表現の自由や個性を主張することがいかに難しいか。
それは死に近いほどで、息苦しい。
私のような似非作詩家だけじゃなく研究者もそうなんだろうな。
何かに飲み込まれそうなとき、人は孤独だ
点滴に繋がれながらそんなことを思ってました。
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