†† 虚構の砂漠††  Never knows Best

虚構で彩られた街
今日もこの街は、
刹那の夢を蜃気楼のように漂わす…
あぁ、東京砂漠!

“鴬谷アダルトライフ”

2006年03月12日 20時53分25秒 | 歩行者天国

ドキ!?もこみちだらけの水泳大会……
 嫌だわ!私ったらなんてハレンチな事を考えてるの。
 もこみち…もこみち…もこみち…」

MOCOMICHI 速水もこみち Photo&Talk book

小学館

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更新に少し間があいてしまいました。くろさわです。

仕事の疲れは心地よい疲れです。ですが生活に疲れています。
確かに、自由と孤独は表裏一体でしょうが、今の自分は自由も失い、家では孤独です。
この生活もあとひと月あまりの辛抱なのでしょうか。


今日は秋葉原に行きましたが、某女性に癒されただけで、かなりテンションと体力が低下しており、結原紗也さんの「sayapala Vol.3」の時間まで耐えられませんでした。なので、「sayapala Vol.3」のレポートは今回は出来ません。



これはお昼の「にゅーあきば△」配布の様子。また後日アップします。



今週はレディママレードの路上ライブが秋葉原でもあり、観てきました。その様子も後日アップします。
あぁ、お疲れですわ、メーテル。

池袋にお芝居を見に行った感想も後日に……

今日は少しアダルティーな路線で、っていうか下ネタにならないように。

先日、3年ほど会っていない女性から電話が掛かってきて、少し話しをしました。
その電話も途中で同居人が帰って来て、結論まで至れなかったのが残念です。

以前にその子から電話があった時は、その子が大麻の所持で警察に捕まった時でした(笑)なんだよ、それって感じですね。

今回は生きてる実感が得られないんだそうです。


生きてる実感が得られずに、不特定多数の男性とSEXをして、SEXをしたその次の日に携帯のメモリーを消していく生活を送っているそうです。

じゃあ、どうして僕の携帯のメモリーは残ってるのでしょうか?

まぁ、そこにはあまり触れずに。


難しいですね、生きてる実感は辛い事があった時や、悲しい出来事、仕事で失敗した時に感じますね。
特に知人が亡くなった時に、そういえば自分も生きていたんだと感じます。

今、FF11というゲームについて話しをすることが多少あります。
その話しをする人の顔を見て、会話をしている時が生活の中で癒されてる時かもしれません。
問題なのはFF11の話しをしているとまたやりたくなってきてしまう点ですね。


サービス開始当時は寝食を忘れてヴァナディールに居ました。
どれぐらい寝食を忘れていたかと言うと、通学中の電車の中で居眠りをしてしまい、そこまでならいいのですが、
その電車の中で夢精してしまったぐらいに寝食を忘れてです。

悲しいです、人として。

でも夢精した瞬間に、自分はそう言えば現実の世界で生きていたんだな、と思いましたね。
ヴァーチャルな世界から一瞬で現実の世界に引き戻されたわけです。


ある意味、私たちの普段の生活も頭の中で作り上げた、認識・解釈の世界を生きているのではないでしょいうか。

それがふとした瞬間に、自己の認識とは外れたものに遭遇した時に、事実の世界に引き戻されます。
このまま生きていたことさえ忘れて死んでいけたら本当は幸せなのかもしれませんね。

memento moriってやつですか。

ですが、そうもいきません。
まぁ、何年も売れない下積み時代が続いて、売れたと思ったら白血病にかかるカンニングの竹山の相方みたいな人生もあるので、生きて呼吸して、物が食べれて、誰かと会話して、そういうただただ当たり前の事が素晴らしいのかもしれません。

“生まれてきただけで、ましなのかもしれません”


結局は人はモノでしかなく、今は私の耳には誰かの声が聞こえてきて、私の目には誰かの姿が映りますが、いずれは誰の声も聞こえなくなり、誰の姿も見る事はできなくなります。

それを意識して生きていくことと、意識せずに生きていくこと、
どちらが幸せなのか、今の私には分かりません。


ですが、

私の耳に今も誰かの声が届いていること、


それだけは事実なのです。

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